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文学フリマ出店準備記録①

ちょうど一週間ほど前に文学フリマに出店させていただくことが決まりました、明日です。

決断と申し込みから大体一週間経って、スズメの一歩程度には準備を進めたい、とあれこれ色々と考えていました。

まず、出店の形態についてです。
これについては、一緒に出店してくれる友人とも相談しなければならないことなのですが、私個人としては、実は、可能な限り、私自身と来場者の方との間に面識を作りたくないという思惑を持っています。

それは別に、個人情報が、とか、そういう問題ではなく、こういう人間が書いたという情報が、私の作品に興味を持ってくださった方や、私の作品をこれまでに、あるいはこれから読んでくださる方の読書体験にいくらか影響を及ぼしてしまうことを恐れているからです。

早い話、私は自分自身の存在が作品のノイズになることを嫌がっているわけなのです。
が、これを実現するためにはどうすればいいのか・・・。
いっそ覆面でも被って参加しようか、と思いましたが、それはそれで、どころかその方が生の顔面以上に印象に残ってしまうでしょうし・・・。
難しいところですね、要検討です。

次の悩みは、フリマに出店する上で決して避けては通れない、冊数と値段の問題です。
今回私が出店を決意した理由は、友人が私の書いた作品を、文学フリマに出してみようと言ってくれたからでした。
もちろん、他者に作品を認めてもらうことができたのはありがたいことです。
しかし、これはあくまで、見知った友人からの評価でしかありません。
この一週間の間にそのことを改めて考え、私という人間がどんな存在かという情報を抜きに、作品そのものだけを見てもらった上で評価を得たい、自分の作品がどこまで人の興味を引くことができるのか試してみたい、という新たな動機を獲得しました。

文学フリマに出店する店舗の数は限られています。
それは当然、会場のスペースに限りがあるからです。
ですが、その限りがあることによるメリットがあると私は思っています。

考えてもみてください。
例えばこのnoteに作品を投稿して、それが一体何人の目に届くでしょうか。
人による、というのが答えだと思います。
国語教育の普及や情報化によって、誰もが作品を読むだけでなく、書くことができるようになった今、ネット上には、「無限」といっていいほどの数の作品が溢れています。
だからこそ、それぞれの人がどれだけ心血を注いだ作品でも、何か余程のチャンスを得ない限りは、大勢の人の目に触れることはできません。

作家として、作品を広く世に知らしめるための一番手っ取り早い方法はもちろん、新人賞を通過してデビューすることなのでしょうけれど、残念ながら、おそらく私にその実力はまだありません。
(文学の実力とは何ぞやと聞かれるとそれはそれで難しいですが・・・)

だからまず、自分自身が少しずつ階段を上りながら、同時により多くの人から評価を受け、批判を受け、それをまた階段を上るための力にしたいと思っているわけなのです。

話が二重に脱線してしまっているので、一つずつ戻していきましょう。
文学フリマへ出店できる店舗の数が有限であることのメリット。
それは、限られた数の中で勝負ができるということです。
太平洋のどこかに浮かぶボートより、風呂場に浮かべたアヒルのおもちゃの方が見つけやすいですよね。
つまり、文学フリマの会場においては、来場者の選択肢そのものが始めから限られていて、その中で勝負をすることができるということです。

そして、「文学」フリマと言う通り、仮にも文学をメインに据えたイベントですから、集まる来場者もいくらか文学に興味がある人々です。
そうした人たちに対して、一体自分の作品がどれだけ刺さるのか、どれくらいの値段で売ればいいのか、というのが問題になるのです。
やっと話が本筋に戻ってきました。

冊数はまだいいとして、最大の問題は値段です。
小説にしろ映画にしろ絵画にしろ、あるいはそれ以外の何かしらの芸術表現の媒体にしろ、全ての作品には一定の商品性があります。
なぜなら、作品は受け取る人がいなければ意味をなさないからです。
受け取ってもらうためには、それ相応の工夫が必要です。
それは内容と、作品を広めるための方法の両方にです。
この工夫が、作品に商品性を与え(てしまい)ます。
これは父の言葉の受け売り・・・を若干自分なりに味付けしたものですが、まさしくその通りだと思います。

ここで、値段の問題が出てきます。
今回の文学フリマに置いて、私はそもそも利益を出すことを目的とはしていません。
先に述べた通り、私が今回フリマで得たいのは、どれだけの人が私の作品に興味を持ってくれるのかという情報、また可能であれば、完全な第三者からの作品に対する批評です。
文学のいいところは、とりあえず生きてさえいれば、脳みそだけで作品を作ることができる点です。

とはいえ、毎回大赤字を叩き出していては、そのうち作品を作る予算がなくなってしまいます。
いくらか、使ったお金を回収しつつ、今後の活動につなげたいとは思うものの、果たして自分の作品にどれだけの価値があるのか・・・。
この点については、一応、貧弱な解決策を思いついてはいます。
具体的には、例の友人に決めてもらっちゃおう、というものです。
はい、人任せ、と言われればそこまでですが、結局、作品の価値は他者評価でしか決まりません。
それなら最低限、身近でもいいから、他者の評価を値段として表してもらうのがいいのではと思った次第なのです。

現場でお客さんに値段決めてもらえばええやん、と思う方もおられるかもしれませんが、そういうの、お互いに気を遣いますからね、私は苦手です。

はい、そんなこんなで一回目の準備報告でした。
準備というよりほとんど構想の話でした。
一応、具体的な準備のお話もしておくと、少し前、自分の作品が何ページになるのか、そのページ数なら印刷にどれくらいお金がかかるのか調べてみました。

「大体百二十ページくらいやろ!」
というあまい計算を基にいくつかの印刷所の簡単な見積もりを立てた後、
「そうか、A4で計算してたけど、文庫版ってA6なんか・・・」
と文庫版のサイズをWordで作って計算したところ、
驚愕の234ページでした。

つまり、値段のイメージも立て直し・・・?

・・・その辺も要検討ですね。

なんかとっちらかった文章になった気がしますが、最近文字を打ち過ぎていよいよ脳がおかしくなってきているからだと思ってどうかお許しください。


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