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トイレでお土産を残されたときに、すかさず「流せバカヤロー」と言える瞬発力がほしい

かきあつめのテーマは「お土産」。お土産について考えたのだが、トイレでウンコが流されていないときのことを「お土産が残っている」というような気がしたのだが、そんなことはないだろうか。

先日、かきあつめのミーティングがあったときに「トイレにウンコが残っていることを『お土産が残っている』って言うよね?」と聞いたら、あまり馴染みがないという。あれれー、僕が男兄弟だからか分からないが、昔は実家でよくこのセリフを吐いた気がしたが、気のせいだったのか。

気になったので調べてみると、居酒屋や駅で吐しゃ物のことを隠語で「お土産」と言っていたらしい。あぁなるほど、こういった由来だったのか。

前置きが長くなってしまったが、今回僕がしたい話は「ウンコを『お土産』と表現する隠語の話」ではなく、「トイレでお土産に出会ったとき、貴方だったらどう反応するか」という話である。

僕の結論は「出会い頭に『オイ、流せバカヤロー!!』といける瞬発力がほしいなぁ」である。君にも思い当たるフシがあると思うので、読み続けてほしい。

何事にも動じないのが男らしさだと思っていた

普段から破天荒を豪語している僕だが、実は小心者の平和主義者である。女性にモテたい意識も高いので、「何事があってもドッシリと動じない」「紳士は対話で解決する」をモットーに、「それでも破天荒がにじみ出てしまう僕」を演じてきた。

それはトイレでお土産に遭遇したときも同様である。

蓋を開けるとそこにはブツが。背中の首筋にかけて血が湧くのを感じるが、「落ち着けっ!」と目を閉じる。1秒・2秒。深呼吸をしながらゆっくりと目を開ける。大丈夫だ、相手は動かない。冷静に流せばいいだけさ。

残っていたブツを流す。フフッ、落ち着いてみればなんてことはない。僕だって急いでトイレに駆け込んだのだ。前の人も恐らく急いでいて、流すのを忘れてしまったのだろう。

「出たら笑い話として喋ってやろう」と思いながら、そんなときはトイレを綺麗にしてから出る。人のウンコにも動じず、ユーモアと礼節を忘れない僕はなんて紳士で破天荒なんだろうと思っていた。

しかし、ある友人の行動によって、僕の理想像は揺らがされるのである。

「ウンコ流せバカヤロー!」に生粋の破天荒を感じた

それは高校時代、授業の合間の時間だったかと思う。友人との連れションをしていると、大便にはいったソイツが「うおおおい!!ふざけんな、ウンコ残っているじゃねぇかーー!!!」と大声を出したのである。

廊下に響き渡るほどの大声だったのも印象的だったが、シビレたのがその瞬発力だ。ブツを見てカンマを入れずに吐き出されるその雄叫びは、普段「動じない」をモットーにしている僕にはやりたくてもできない芸当であった。

その後も似たような場面に遭遇するのだが、彼らのその瞬発力には毎度惚れ惚れした。西日暮里駅のトイレで大便を待っていたおっさんが、トイレに入ったかと思った瞬間に「ウンコ流せバカヤロー!」と吠えたときには、「あぁ公共の空間で大声を出すなんて嫌だなぁ」という気持ちと同時に、憧れに近い感情を抱いたのを覚えている。

僕みたいな「作られた破天荒」と、彼ら「ネイティブ破天荒」には大きな壁がある。トイレに残されたお土産は、僕にその事実を突きつけたのだ。

その日のために、「ウンコ流せバカヤロー!」を日々練習している

「キレる」という表現だと分かりやすいが、僕は普段キレることがないので、キレるのが下手である。とっさに大声を出すのもそうで、感情をとっさに大声に変換することができない。「ウンコ流せバカヤロー!」なんて、言い慣れていないから尚更だ。

一応伝えておくが、キレたいのでも、公衆の面前で大声を出したいわけではない。破天荒に憧れる僕は、ネイティブ破天荒の持つ「瞬発力」を獲得したいのである。そして最近では、トレーニングによって獲得できるのではないかと思うようになってきた。

もちろん、彼らネイティブ破天荒は幼少期から瞬発力をトレーニングしているのは重々承知だ。しかし僕だって今からトレーニングを行えば、瞬発力が獲得され、破天荒さにも厚みが来ると思うのだ。日々便座を意識してトレーニングすれば、10年後には今よりナイスなミドルになれているだろう。

いつその日がきても大丈夫なよう、僕は今日も「ウンコ流せバカヤロー!」を練習している。

記事:アカ ヨシロウ
編集:円(えん)

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