見出し画像

ストレスフリーな生活を送るために行動心理士が『八正道』を語る📕Part8『正念(しょうねん)』

”正念”の”念”は「念じる」、ではない。「気づく」ことだ。つまり「正念」とは「正しい気づき」のこと。こころの汚れが無くすような方向へ客観的に気づいていくことだ。正念と次回の正定は、解脱のための修行方法でもある。

「今の瞬間の自分に気づくこと」…これが ”正念”。

お釈迦さまの遺言で『不放逸』という言葉が出てくる。
これは「今の瞬間に気づいている状態(覚醒している状態)を維持する」という意味だ。
お釈迦さまは最後の最後まで ”念(気づき)” の実践に励むことを説いた。『四念処経しねんじゅきょう』という、経典がある。

そこには

「人間のすべての憂い、悲しみ、悩みを全部なくすため、清らかな心を作るため、解脱するためには ”念(気づき)”を実践してください。涅槃を経験するためには、この道しかありません」

と説いている。


「四念処」の「四」は「身体・感受作用・心・法」の四つで、「念処」とは「気づいて止まる(気づいたことについて考えたり妄想をはたらかせたりしない)」ということだ。

①身体の動きに気づく
その時、その瞬間瞬間の動きに気づく

②感覚に気づく
身体に気づくことが、いくらかできるようになったところで、実践に入る。
感覚があって身体が動いている。感覚とは苦・楽・不苦不楽という3つに分かれる。いまの瞬間にどんな感覚があるのか、気付いてみるのだ。

③心の動きに気づく
活発になったり、鈍くなったり、強くなったり、弱くなったり、
やる気が起きたり、やる気を失ったり、眠くなったり、興奮したりする
自分の心に気づく。要するに、今の心はどんな状況なのかと気づいてみる。

④真理(法)に気づく
以上の3つができてくると、自分の身体を客観的に見ることができる。

怒り・嫉妬・欲などがあらわれたり消えたりする自分がいないだろうか。
ものごとは瞬間瞬間に変化するということも発見するだろう。
見るもの聴くものなどが変化すると同時に、自分の心も同調して変化することを発見するはずだ。

瞬間瞬間の感覚に気づいてみると、
たとえ感覚が苦・楽・不苦不楽であると以前に観察してあったとしても、
結局は、感覚はすべて苦であると発見する。

この4つは、目覚めた人として生きる方法だという。
一切の洗脳から解放される方法なのだ。

普通、だれでもそれなりにものごとに気づいていると思うが、感覚器官に入る情報を主観的に見て妄想したり、推測したりするので煩悩が限りなく生まれてくる。

お釈迦さまが「”念(気づき)”の実践によってのみ解脱に至れます」と説いた。それほど大きな力を持っているはたらきだから、”念(気付き)”を理論的に説明することは容易ではない。

理屈で理解するためには厖大な学問が必要になる。
”念(気付き)”については理屈で理解しようとするよりも、実際に修行をして体験してみるのが一番てっとり早くわかり、しかも自分の人生にもたいへん役に立つ。

余談だが、個人的に”正念”は映画『スターウォーズ』の【フォース(理力)】に通じていると解釈した。ジェダイは、『修行』によって、四念処に気づき、精神的な自我のコントロールを行う。極めたものが『マスター』となる。

スターウォーズより

少しだけ理論的に説明をしたい。
「気づき」のない状態を「聞くこと」を例に考えてみる。

私たちは普通、自分の感情や固定概念で、聞いたこと(音)を瞬時に判断して解釈している。今、まさにこのnoteがそうだろう。

耳に音が入った瞬間に「気持ちのいい音楽だ」「上司がまた怒っている」などと解釈し、サッと気持ちがよくなったり、イヤになったりする。

そのように、「聞くこと」によって煩悩(欲・怒り・無知)有無を言わさず生じる。感覚の対象(この場合は音)によって、心がいいように操られているのだ。

音に「怒りなさい」と命令されると怒る。「執着しなさい」と命令されると執着する。音の奴隷状態。音だけではない。

「見るもの・音・匂い・味・皮膚感覚・妄想や思考」という六つの感覚器官から入る情報に、私たちは命令され、支配されている。

そしてそれによって自分の心を煩悩で汚すという不善をなし、知らないうちに悪業をつくりつづける羽目に陥っているのが現実だ。その不善の道を善の道に変えるのが、”念(気づき)”だ。

正しく気づくことによって、欲や怒りを止め、最終的には煩悩が生じない状態にまでもっていくのだ。といっても、好きな音楽が聞こえた時、「音、音、音だ」と正しく気づこうとがんばったとしても、直ちに智慧が生じて音楽に惹かれる気持ち(欲)がなくなるわけではない。

それ程単純ではないのだ。

”念(気づき)”を長年、毎日毎日正しく積み重ねていくと、だんだん対象への執着が薄れてくる。少しずついろんな対象から束縛されないようになっていき、特別な智慧が生まれる。

”念(気づき)”にはもう一つ、すばらしいはたらきがある。悟るためにはたくさんの善因が必要だが、そのすべての善因を引き寄せるのだ。

”念(気づき)” をちゃんと実行していれば、集中力や、智慧や、精進や、そういう悟るために必要な善い因がすべてついてくる。

”念(気づき)”の実践は「その時、その時、今の瞬間の自分に気づいていく」というとても簡単なやり方で、年齢を問わず、誰でも実践できる。

”念(気づき)”を正しくつづけると、究極の悟りまで運んでくれる。

”念(気づき)” の道は、涅槃まで一方通行で進ませる不思議な道。これは、何か神秘的な体験を得る道ではなく、その人の人間そのものを完全な人格者に育て上げ、解脱するところまで成長させる道なのだ。

この次は、その”念(気づき)”の実践、正定”マインドフルネス”を語ろう。

この記事が参加している募集

スキしてみて

習慣にしていること

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?