そこのお前、正論に逃げるなよ!

みなさんこんにちは、Akitoです。

今日は”論破になんか何の意味もないだろ”って話をしていきたいと思います。

今日もTwitterやtiktok などのSNSでは飽きもせず論破大会が行わえています。誰が一番正論を言えるのかという競技の大会があちらこちらで行われ大盛況です。

有名人がなにか耳なじみのない言葉を吐こうものなら、「それ来た、行けーー!」といった感じで大勢の人が一気にとびかかる。コメント欄(リプライ)を見ると、初めは有名人めがけて走っていったはずの人たちが気が付いたら観客同士で殴り合いをしています。

あれはインタネット上の戦争といっても過言ではありません。どちらが勝っても誰が勝っても誰もいい思いをしません。まさに戦争のそれです。誰が一番正論を言えるか戦争において、開戦の理由はとても言いがかりじみたものばかりです。いうなれば、SNS戦争のほとんどは、大阪冬の陣です。

なぜ人はみな正論を言いたくなるのでしょうか。僕もよく正論を人に押し付けていました。その理由を考えるに、端的に言うと”マウンティング”です。「相手より自分の方が頭がいいんだぞ」ということをアピールしたいだけです。

理由を作ろうと思えばたくさん作れると思いますが、元をたどればなんてことはありません。ただ、他の人よりも優位に立っていたいという本能の現れでしかありません。

SNS戦争では、多くの人がその戦いを見ています。そのためその戦いで勝とうものなら、自分の優位性を多くの人に見てもらうことが出来ます。そのため誰もがこぞって参加するわけです。

じゃあ、その戦争って本当のところ意味があるのでしょうか。

結論から言うと、意味などなにもありません。報酬も名誉もなければ、誰も得をしません。一度冷静になって考えてみましょう。戦場にされた人はもちろん自分の土地が誰とも知らない奴らに燃やされているわけですからたまったもんじゃありません。戦場で言い争っている、一般連中も倒したところでその人の顔も名前も知らない人と殴り合い、論破した側も論破された側もいい思いをしていません。見ているお客さんは一番深いな想いをしていることでしょう。

SNS(戦場ネットワークサービス)はLOSERしか生まないわけです。

正論で論破したくなる気持ちはわかります。論破した一瞬だけは少しの優越感に浸れるからです。ついでに「正しいこと言ってる自分かっけー」と自分にも浸れます。

そしてなにより、正論を言うことが一番簡単です。これだけ情報の民主化が起こり誰もが様々な情報にアクセスできるようになった現在では、正論なんてGoogle先生でも言えます。

結局それは思ったことをただ言っているだけの幼稚な行為です。幼稚園児と変わりません。その言葉を言うことで相手はどう思うのか、聞いている人は?、自分は?それを言葉を発する前に数秒考えれば口から出る言葉は変わるはずです。そのほんの数秒の思考を人はさぼってしまうわけです。

顔も名前もわからないSNS上で戦争に勝ち、旗を振り回すことが自分にとってプラスになるのかを今一度考えるべきです。

議論をするなと言っているわけではありません。言葉を発するなと言っているわけでもありません。ただ、その伝え方には細心の注意を払うべきだと思います。

顔も名前もわからない信頼性ゼロの状態で自分はどのような言い方をすればいいのか。その伝え方を知らなければなりません。とても難しいと思います。身内では伝わるはずの冗談は戦争の火種になるかもしれません。友達にいつも言っているジョークが誰かの地雷になるかもしれません。SNS(戦場ネットワークサービス)はそれほど未知の土地なのです。

この話はSNS上に限ったことではありません。日常生活でも論破はなにも生みません。どのように伝えれば相手がわかってくれるか。その伝え方を日々考え続けることが人類である私たちに課せられた課題です。

まとめに入ります。

正論なんて馬鹿でもAIでも言えます。なにか納得のいかないことが起きても、正論に逃げるのではなく、どうすれば相手に自分の思っていることを嫌な思いをさせずに伝えることが出来るかを考えることが大切です。そんな人の方が正論をかますだけの人より何千倍も大人に見えますよ。見ている側もきっとそう思うはずです。

では、また!