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ワンオペ育児は心を殺す

■出産後1週間で転勤辞令

「…えっ?!転勤?!い、今!何で??」
思い出すだけで下腹がきゅーっとなる。

私は不動産会社(オフィス賃貸)で10年、臨月になるまで働き退職した。

新築マンションを購入、オーダーカーテンからこだわりの家具、ピッカピカのベビーベッドを揃えて長男を出産した。

退院して「この家で新しい生活が始まるんだ…」と決意をしたのも束の間、たった5日後に名古屋転勤の辞令。

2人目3人目ならまだしも、初産で悪露も止まらず体調はボロボロ。育児のいの字も知らない私が降りたこともない、知り合いもいない、誰の助けも無い、病院もスーパーも何もかも知らない街で第一子を育てることになる。

■乳児をかかえて生活以外にやる事が山盛り

先ずは購入した東京のマンションを貸す事から。ピッカピカのマンションを人に貸す。嫌だ。汚れる。わたしが使うはずだったキッチン、赤ちゃんと一緒に入るはずのお風呂、陽当たり良く風通しの良いリビング…

見ず知らずの他人に使われて汚される。嫌だ。こんな感情しか湧かないが生活のためには貸さなきゃいけない。運良く借主が決まり名古屋に越すまでには契約鍵渡しを終えた。

ここで大事な事を言う。主人は辞令が出てすぐに一人で名古屋に行っている。

いない。

そう、私は長男をおんぶしながら不動産会社をまわり、2時間おきの授乳をしながら管理委託契約を読み、オムツを替えながら署名捺印し、30分以上も泣き止まない長男をあやしながら鍵を渡した。
ほとんど寝ていない。引越し業者の手配もある。楽々パックにするも自分で荷詰めもある程度必要。死ぬ。寝ていない。正常な判断が出来ず2週間で4キロ痩せたし、白髪を初めて発見した。

ここで心が10%死んだ。

■心が徐々に死んでゆく

新幹線のホームには沢山の友達が見送りに来てくれた。泣いた。大人になってここまで泣いた事あったかな。

名古屋での生活が始まる。主人も新しい環境とは言えど「椅子」が用意されてるじゃない?

私は何もない。畑から私と言う苗を根こそぎ抜かれて、隣の畑に「ポイ」っと投げられ「自分で根をはり成長しやがれ」と捨てられたのだ。

名古屋の夏は殺人的。アスファルト近くは50度近くになる。ベビーカーで散歩するには朝しかない。
旦那の出勤時間に合わせて一緒に出て散歩。あとは冷房をきかせた家で夜まで過ごす。
BGMは長男の耳をつんざく泣き声とうるせえ蝉の鳴き声と時折通りかかるうるせえ小学生の声。本来なら可愛いはずの小学生さえ敵に感じる。ここで20%心が死亡。

私の役目は「この子を死なせない」しかない。主人は毎日23時過ぎの帰宅。友達もいない、家族もいない。
私が倒れたらこの子は死ぬ。そんな責任感だけが私を動かしていた。

気が付いたら畳の目の数を数える毎日。長男と一緒に泣きながら「畳の目っていくつあるのかな…」って指でなぞって数えていた。
助けて。もう40%だ。

同じ時期に出産した義妹は、赤ちゃんが便秘したくらいで義母にメロン持たせて電車で1時間の距離を移動させ自宅に呼ぶ。
「変な薬は飲ませたくない!メロンが便秘にいいの!」とか言って。

そんなん綿棒にオリーブオイル塗って突っこんどけやボケ。

私は精神が嫉妬で精神がおかしくなりそうだった。3日に1回は義母を呼びつけては育児や家事を手伝わせているのを聞いて。
まあ実の母なんだからアレだけど私の心もアレなので50%に到達。

■心が保てなくなる

やがて2歳違いで次男が生まれ、ママ友っぽい人もできる。生活が安定してきた頃、主人の課長試験日を明後日に迎える。

1年頑張って勉強してきたんだ。合格してほしい。
しかし試験前日に長男・次男・私の3人が同時にノロウイルスに罹ってしまう。

3人39度の熱。家中子供達の下痢・嘔吐物。私は何とかトイレで済ませるも子供達は無理。拭いても拭いても家は終末処理場。

熱で立てない。私は匍匐前進で廊下を移動して子供達の看病と家の掃除をした。

主人には「帰ってくるな!ホテルに泊まれ!」と叫んだ。1年の努力が無駄になる。私はこの地獄を一人で乗り切る覚悟をした。

一気に100%まで達してしまった。もう無理。

誰か来て…誰か来て…誰か…

■大きな山を乗り越えて

課長試験は無事合格。お祝いに初めて山本屋の味噌煮込みうどんを食べに行った。
「麺かたっ!!」と驚いたけど、とても美味しくて感動したのを覚えている。

山本屋で私は久し振りに笑った。美味しいものは人を元気にするんだな。10%回復。

3年で東京に帰ると言われ、あれよあれよと6年半。子供達もそこそこ大きくなり外食も出来るようになった。私も少しずつ心に余裕が出てきた。

今度は植田まるやのひつまぶしを食べよう。10%回復。世界のやまちゃんはビールが進んで美味しい。20%回復。愛知万博超ウルトラスーパーグレート楽しかった。40%回復。
矢場とんで初めて味噌カツを食す。50%。
幼稚園の運動会で…何%か分からない程感動して泣く。

そんな毎日を積み重ねて東京に帰ってきた。

■経験は無駄ではない。不動産業と私

だから家族を抱えて転勤とか、泣く泣く家を貸さなければならないとか、レインズに定借の分譲賃貸が出れば「ああ…3年で帰ってきたいのね…」とか気持ちが本当によく分かるんだ。

そして新生児〜高校生の今に至るまでの育児目線で家を探し、案内するのはこの会社の中で誰にも負けない自信がある。

ワンオペ育児で培った貴重な実体験を語りながら内見すると真剣に話を聞いてくれる。

苦しみながら、心がクラッシュしながら過ごした6年半。命を燃やした6年半。

私の半分はこの6年半で出来ている。
私は一度倒れたけどタフになって生き返ったんだ。







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