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僕は絵が描けなくなった

僕は絵を描くのが好きな子供だった。
それは別に珍しい話じゃないと思う。
「子供の頃は絵を描くのが好きだったけど、成長するにつれてだんだんと絵を描かなくなった」
そんな人は多いんじゃないだろうか。

僕もそんな一人だ。

赤、青、緑、そして黄色。燃えるような原色のクレヨンを手でわしづかみにし、真っ白の画用紙にぐりぐりと押しつける。
小さい頃はそれが何より楽しかった。

***

5歳くらいの時、自動車の絵を描いた。タイヤは黒いクレヨンで。
何重にも何重にも円(と呼べるほど丸くはないけど)を重ねて、大きな大きなタイヤを描く。水色の車体が隠れるほど大きなタイヤ。これならどんなでこぼこ道でもへっちゃらだ。
黒の中に黄色やピンクを混ぜる。タイヤから花火のように色がほとばしる。

躍動する。どこへだって行ける。
海だって渡っていけるし、月までも軽々と飛んで行けただろう。

***

遥か昔の思い出を、どろりとした記憶の中から引っ張り出しながら思った。
僕が絵を描かなくなったのは一体いつからだったろう?

小学校低学年のころ、僕が一番好きだった遊び道具は自由帳だった。
縦線も横線も一本も入っていない、まっさらで、何をどんな風に描いたっていいノート。好きなアニメのキャラクターや、思いついたオリジナルのキャラを好きなだけ描いた。
鉛筆だけで描いた白黒のキャラだったけど、自由帳から飛び出て、教室の中を飛び回ってくれるような気がした。

クラスには僕よりも明らかに絵がうまかった女の子がいた。
彼女は特に生き物を描くのが上手で、滑らかな線で描かれた大人しそうな動物たちは、奥ゆかしい彼女をそのまま絵にしたみたいだった。

対して僕は2Bの鉛筆をボキボキ折りながら、ヨレヨレの線で好きなキャラを熱心に描き続けた。
筆圧が強すぎて未だに綺麗な円もまともに描けなかったけど、何一つ気にならなかった。
別に下手だったとしても、自分が求めるものがちゃんと宿っていると思ったからだ。

***

僕は受験勉強をして、私立の中学に入った。
誰一人として知り合いがいない学校。怖かった。
近くにいるはずの人との距離が遠い。分厚い何かが相手と僕の間の空間を塞いでいた。
何か喋ろうとしても、口から出たほんのちょっとの音は、分厚いものに飲み込まれて消えた。

小学校高学年のときに色々とトラブルがあって、僕は人を信じられなくなってしまっていた。
そして見ず知らずの人間しかいない新しい環境は、僕の人間不信に拍車をかけた。

裏で何か傷つくことを言われているんじゃないか。本当はクラス全員が僕のことを嫌っているんじゃないか。
そんな不安がべったりと体に張りつき、四六時中離れることはなかった。

下手だという自覚があっても好きで書き続けた絵も、こんな状況で書く気にはなれなかった。
この時初めて、「お前の絵は下手だ」と言われるのが怖くなった。
何を描いているのか聞かれる恐れがあるのも嫌だった。

こうして、僕は絵を描くのをやめた。
家でも自由帳は一度も開かなかった。

***

あれからもう15年近く経った。
たまにペンを持って絵を描いてみるが、出来上がったモノを見ても何の気持ちも湧いてこない。
自動車が月まで飛ぶことはない。キャラクターが紙から飛び出ることもない。
すぐにペンを放り出し、寝転がってぼんやりと天井を眺める。

中学生のあの時、絵を描くのをやめた時、多くのものが僕の中から去っていってしまったのだ。

それをまだ僕は取り戻せていない。

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