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産まない、ために…

アマテラスが、なぜ男の子を奪わなければならないのか。これはもう間違いなく、古事記の二重性の制約からきている。

アマテラスは「産まない」女神でなければならないのに、皇祖神としての立場が求められるので、どこかで子供を、できれば男の子を調達する必要があるのです。

以前も述べたように、古事記はアニミズム的な段階から多神教的な段階へ移行する物語を内包しています。「カミ」ならぬ「ミ」が、人格神となった天津神やスサノオ一派にやたらと娘を押し付けてくる。そしてさらに、僕が古事記は世界一新しい宗教だと強調するのは、多神教的な段階から、普遍原理を担う宗教への脱皮もすでに内部で行われていると考えるからです。

しかし日本神話はローカルなものである点も間違いない、それぞれの氏族や地方の奉ずる神々の多神教的ヒエラルキーも重要だ。そこで絶妙なハイブリットになっているのだと思われます。
社会が人間に要求してくることは、突きつめれば至極単純で、増えて、生産して、他の社会に負けないでくれればいいのです。対して普遍宗教はそんな生殖のシステム内にとどまっていては見えない原理に興味がありますから、生殖を超えなければならない。したがって、産まない、少なくとも通常の、お父さんお母さんがやったような方法では産まない、ということが必要になります。

アマテラスには産むということに対する興味がほとんどなく、彼女は権力と他の神々からチヤホヤされることしか望まないというのは、普通に古事記を読んだだけでも読み取れます。そんなアマテラスを産んだのは、イザナギの単性生殖です。
古事記において単性生殖は案外少ない。はじめの方の神々は「なりませる」のですが、これは単性生殖ではなく、勝手に湧いてきます。カグツチがイザナミを殺してしまった時に、「あっ、お前何してんだ!」と言ってイザナギがカグツチをやっつけて産まれた神々は、単性生殖というより、火と鉱物から生じるテクノロジーの神でしょう。

純粋な単性生殖は、イザナギがミソギをした時に産まれ出た神々で、彼らこそが新しい時代の原理を担う神々です。アマテラスもスサノオももちろんいます。本居先生が古事記の宗教原理をマガツビとナオビに還元してしまったのも、シンプルではありますがそう言った意味では完全にポイントをついていると言っていいでしょう。

後はこの、ウケヒ神話の生殖行為が、一体何なのか、ということなんです。アマテラスとスサノオは兄弟ですから、直接やっちゃうとタブーに触れるので、持ち物の交換で、象徴的にやった…という解釈でも、全然良いと思いますよ。ただ他の部分も含めたトータルな解釈だと、やっぱりアマテラスがスサノオを罠にはめて男の子を奪ったと考えるのが、一番しっくりきて一貫性が保てると思いますね…

つづく…


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