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【創作大賞2022応募作品】創作物語 “リペイント”〜闇から光の先へ 【1】

【1】
一日の終わりにお風呂に入る時間が一番癒される。
仕事と育児との時間に追われる生活を終えてからの自分だけの時間。
子供をお風呂に入れる時には、自分の体など洗う余裕はないので、子供が寝てから一人でゆっくり入り直すのが日課になっている。
まずは、立ったままシャワーを首筋に流すと自然と体の力が抜けていく、徐々に体全体へ流すとフゥとゆっくりと大きく息を吐く。
お気に入りのシャワーローションを手に取り首筋から肩、腕へとつけていく、甘い香りを吸い込むと心を癒やしてくれる。
この時間だけが至福の時だ。

今日も一日何とか終わったけれど、心のモヤモヤ感は詰まったままだ。
『明日こそは剛士つよし君に言おう』とシャワーローションをホイップクリームのようにシッカリと泡立てて、今度は脚のすねの部分にのせてT字型カミソリを足首から膝の方へとそっと這わせてみた。
体毛は薄い方だと思うけれど産毛はシッカリと長くてカミソリに結構付いてくる。
一筋剃った後で、毛穴が黒くならないか?次に生えてくる毛が太くて剛毛だったらどうしようと心配になったけど、一筋だけでやめる訳にいかないので、そのまま脹脛ふくらはぎも剃ったら思ったよりきれいに剃れたので、その勢いで腕も脇も剃った。
体も心も少し軽くなった気がした。
こんな事で?と自分にツッコミを入れながら…何でも良かった。自分の気持を一歩踏み出すきっかけが欲しかっただけで、突然思いついたのが体毛剃りだった。
ずっと迷っていた。女手ひとつで子供二人を育てて行けるのか?
子供達が将来どう思うだろうか?
そもそも親権は取れるのか?
考えてしまう事は抱え切れないほど頭の中で山積みにされていた。
今までは無理かもって諦めかけていたけど、問題から逃げないで立ち向かう勇気が湧いてきた。
たかが体毛剃りされど体毛剃りだ。

“語り”
離婚を心に決めたのは私、蒲生莉子。三十三歳厄年真っ只中の事だった。
そんな私は今年、六十歳の還暦を迎えました。
今は普通に、幸せで平凡な日々を過ごしていますが、若い頃は、世間知らずで我儘放題、性格も自分中心で考えも無く直ぐに行動してしまうタイプでした。
当時は『それでいい』『自分が正しい』と信じて突き進んでいました。
結婚、離婚、借金、ホステスなど、色んな人と出会い、母でありながらも『おんな』の部分が強かった事で、たくさんの苦い経験をする事になった物語です。

生まれは大阪。家族の都合で高校三年間だけ他府県で過ごし、卒業後また大阪へ戻りアパレル関係の会社に就職した。

入社一日目、親に買ってもらった着慣れない上下紺色のリクルートスーツに履き慣れない少しヒールのあるパンプスで、ちゃんと歩けているのかもわからない様なあしどりと緊張で、頭は真っ白フワフワ状態。
知り合いも居なくて右も左もわからず、どこへ行けば良いのかキョロキョロしながら立ち止まっている私の横を次々と通り過ぎていく人の波。
コツコツと軽快なリズムのヒールの音がする方へ目を向けて、自分も真似る様に胸を張って歩いてみたり、タバコ臭い大人の男性の匂いには鼻をつまんだ、そうかと思えば嗅いだ事もない様なついて行きそうになるくらいの甘い香りには、急いで大きく息を吸ってみたりしていると何だかウキウキした気持ちになって、私もその波に、のまれる様に大通りから会社があるビルの中へ希望に胸を膨らませて入って行った。

ビルの入口に新入社員向けの案内掲示板があったので立ち止まって読んでいると
「新入社員?同期やな高卒?」と大阪弁で急に馴れ馴れしく声を掛けられ、ビックリして相手の顔を見た。
色黒短髪で笑顔が憎めない感じの男子、岡部猛おかべたける。じっと目を見つめられたので、心臓がバクバクでヤバイ!て思った途端に自分の顔が赤くなったのがわかるほど熱かった。
何か応えなきゃと思い「うん、そうだけど」何とか絞り出した声で言った。「おんなじやな、宜しくな」と言って右手を勢いよく目の前に出された。
えっ?握手求められてる?いきなり?私も手を出さなきゃて思うけど、既に手は汗ばんでいた。
こんな手出せる訳ないじゃん。でも出さなきゃ印象悪くなっちゃうし。
戸惑っていると「恥ずかしがりやな、またな」と仔犬の様な瞳と笑顔を魅せて足早に行ってしまった。

どうしよう、どうしよう、初日から変な奴って思われたよね。嫌われた?
そう考えると身震いがした。
惚れっぽい性格なので一瞬で『タイプです』てインプットされてしまった。

同じ部署だと良いなぁという期待は外れて私は総務部、彼は営業部だと知ったのは数日経ってからの事だった。
廊下や食堂で彼の姿を良く見かけた。と言うより私はいつも彼を探していた。
見つけても自分から話かける事は出来なかった。
彼はいつも数人に囲まれていてその中心に彼がいてみんなを笑わせていた。私もその輪の中に入りたかったけど部署が違う事で、自分が入れる空気じゃないと思ったのでいつも少し離れた場所から…
もし目があったりしたら、変に思われると嫌なので見て見ぬふりをしていた。
そんな自分が歯痒くて仕方ない。
私って、もっと積極的なはずだけど、今回はドキドキが大き過ぎて何だか違う。
何とか話したい今日こそ声をかけようと思いながら数ヶ月経ってしまった。

昼休憩終了ギリギリになってしまい、廊下を早足で歩いていると
「カマキリさん」と背後から肩をたたかれた。
はっぁ?!私が一番言われたくない呼び方で、馴れ馴れしく呼ぶのは誰?
しかも急いでる時に。と思い振り向くと猛だった。

私は自分の名前が大嫌いだ『蒲生莉子かまきりこ』一度聞くだけで誰もが苦笑する。なぜこの様な変な語呂合わせみたいな名前を付けたのか、ずっと親を恨んでいる。120%『カマキリ』と言われるのだ恥ずかしくて仕方ない。
きっと、すごく迷惑そうで機嫌の悪い表情で振り返ったのだろう。
猛はコントくらい大袈裟に後退りした。

あちゃぁーやっちゃった。
「ごめん」と二人が同時に言った。
好意を抱いている人に、いきなりその呼び方で呼ばれるなんて、穴があったら入りたいとはこの事だ。思わず持っていたハンカチで汗を拭いた私に
「ほんまにごめんやで、女の子にカマキリは無いわな。でも一回聞いたら忘れへんし」と言われた。
私は自己紹介した覚えはなかったけど、そこはスルーしてると
「でも好きやで」と言われてエッ?と見返した私に
「あっ、カマキリて呼び名がな」と彼はフォローのつもりで言ってくれたと思うのだけど、私は頬がピクピクするのを感じながら何とか笑って誤魔化すと、また仔犬が甘えた感じの笑顔で
「今日、仕事終わったらお茶でも行こうや、大通りのファミレス知ってるやろ?あそこで六時に待ってるわ」
こちらの都合も聞かずに、自分の伝えたい事だけ言って営業部の部屋へ入って行ってしまった。

猛の笑顔と、親しみのある大阪弁で投げかけられる言葉に『すき』は一気に上昇気流に乗ってしまった。
そこから、その日は仕事が全く手につかなくて頭の中には漫画の吹き出しの様な言葉が飛び交っていた。
えぇー何?。いきなりお茶?どうしよう。
今日は…いや、今日も、完全に普段着なんだけど…と下着まで想像してしまったところで我にかえる。
会社にも少し慣れてきて、最近は服装にもそれほど気合いを入れなくなっていた自分を責めた。いつ何があるかわからないんだから、毎日気を抜かないでいなきゃな。
ただ、お茶に誘われただけじゃん。
入社初日に声をかけられた人に心ときめいて、笑えるほど少女漫画みたいな展開になるなんてあり得ない。

なんて事ばかり妄想していたので、外線電話が3コール過ぎて鳴っていたらしくて、先輩に「蒲生さん、電話!」と何度も言われるし、帳簿の縦計が何度電卓を入れても数字が合わない。二、三回計算して同じ数字になればOKとしているけど、毎回違う。
周りの人の電卓を叩く音や、忙しなく動くコピー機の印刷の音が気持ちを更に焦らし、時間だけが過ぎて行く。

化粧室に駆け込み化粧ポーチから少し色付きの口紅を取り出し、鏡を見ながらはみ出さない様に唇に這わしてみる。
いつもは薬用リップだけなので、色付き口紅が浮いてしまって似合わないな。と思い、何度もティシュオフしながら馴染ませた。
のんびりしている時間は無い。
初めてのお誘いの時間に遅れる事だけは避けたいところだ。腕時計を見ると既に約束の十五分前だった。
私はどんな待ち合わせでも、約束の時間の十分前には着いておくのが相手に対してのエチケットだと考えて、実行して来たのに今日にかぎってヤバイ。
急いで髪をかして鏡に向かって笑顔を作り、会社のビルを出た。

心地よい風が、梳かしたての髪をなびかせたと同時に背中を押してくれた。
一度立ち止まり大きく息を吸うと、樹々の緑の香りで心が落ち着いた。
季節は私の一番好きな、ほんわかウキウキ気分になれる春から夏になろうとしていた。

待ち合わせのファミレスまではそう遠く無い、汗をかきたくなくて走らずに何度も深呼吸しながら歩いた。
お店のドアを入ると、真正面の席で猛が手を振っていた。微笑み返そうとした瞬間に猛の隣に男性が一人俯いて座っているのが目に入った。
誰なの?一人じゃなくて二人?いや、私とで三人?
席の方へ進みながらも、私の表情はひきつっていたに違いない。
猛に「カマキ…あっ、蒲生ちゃん。来てくれてありがとう」と話かけられても、固まったままの私を見て
「おっ、こいつ同期の山岡」と紹介された男性が、座ったまま鶏の様に首を前へ出す感じで会釈したので
「蒲生莉子です」と挨拶をすると、山岡君が笑いを堪えているのがわかったけど、学生の頃からその反応には慣れているので、ノーリアクションを装いながら前の席に座った。
昼休み、猛にお誘いを受けてからのドキドキワクワクの時間を返せ!と心の中で呟いた。
それでも猛が目の前にいるだけで嬉しかった。

高校時代の話を聞くと、猛と山岡君は同じ高校でサッカー部だったらしく、色んな話を笑いを交えて話してくれたのは猛だけで、山岡君は殆ど喋らなかった。三人とはいえ、申し訳なかったけど私の目には山岡君は映っていなかった。
その日をきっかけに仕事終わりにファミレスに寄ることがお決まりとなった。三人で。
話題を提供するのはいつも猛。
「今度、休みの日に遊べへんか?」
「いいね」待ってました望むところだ。と休みの日に猛と会えると思うだけで心躍る気持ちで答えた。
猛と二人きりがいいけれど、最初だから三人でもいっか。と自分で納得して
「どこに行く?」と質問すると
「ボーリングとかは?」と直ぐに提案してくれるところも『すき』て思う。
猛が山岡君に「お前もそれでええか?」と同意を求めると「ええよ」と答えた後に「三人だけか?」と意味深な一言を猛に投げかけると、猛が珍しく控えめな感じに「もう一人連れてってもええかな」と私に聞いてきた。
「いいよ。会社の人?」と聞くと
「違うねん。俺の彼女」と言われた途端に、何かで心臓を打ち抜かれた様な衝撃で、また固まってしまったけど今更断れるはずは無く、次の日曜日に彼らの地元のボーリング場へ行く事に決まってしまった。

彼女が居たなんて…
そりゃそうか、逆になぜ彼女の存在を考えなかったんだろ?
完全に一目惚れで舞い上がり過ぎていた自分が滑稽だった。
猛の隣で、微笑む自分ばかりを想像していた数ヶ月のフワフワ夢ごごち感が一気に崩れ落ちた。
でも、諦め無い。
勝ち気な私は、どんな彼女か見て、その彼女から猛を奪い取ってやると気持ちは戦闘態勢に入っていた。


今日はいよいよ猛と山岡君、そして猛の彼女とボーリングへ行く日。
休日に会うのは初めてなので、数日前から着ていく服を迷っていた。
ボーリングなのでスカートはやめてジーンズにした。
プライベートの猛は?彼女は?どんな服装なんだろうと想像しながら服を選ぶのに随分悩んだ。
通勤ではほとんどスカートなので、私服で会う恥ずかしさと、彼女の事がどうしても頭から離れなくて落ち着かない。
サーファー系?ボディコン系?清楚系?
張り合っても仕方ないんだけど、負けたくない。
私が猛の隣に寄り添う姿を想像して勝手に興奮してる自分が惨めだ。

結局、あまり気合を入れ過ぎて一人浮いてしまう事が怖くて、ケミカルウォッシュジーンズの上にロゴ入りの白のTシャツで、スポーティにシンプルな感じにまとめて出かけた。
待ち合わせ場所へ行くと山岡君が先に着いていて私は二番手だった。
私が服装を考えた時には出て来なかった山岡君は、オシャレな着こなしでは無く、普通にラフな感じの服装だったのでほっとした。
普段から口数の少ない山岡君と、二人の時間は初めてなので無言でいると「大丈夫?」と言ってきた。
「何が?」と聞き返すと
「猛の彼女の事。ショックやったんちゃうの?」とストレートに聞かれ、言葉が出なくて顔を見返すと言うよりも、睨み返してしまった。
この人、私が猛に気があることに気付いてるの?恥ずかし過ぎるんだけど。
と思っていた私の視線の先に、手を繋ぎながら歩いてくるカップルの姿が映った。
猛が私達に向かって、いつもの様に大きく手を振っていた。
片手は彼女と繋いだままで堂々としたものだ。
そりゃそうだわ、猛は私の気持ちには、これっぽっちも気づいていないのだから。
彼女はとても清楚な感じの子で、カーキのキュロットスカートに白のラコステのポロシャツで、サラサラのロングヘアーを、シャンプーのCMの様に靡かせて近づいて来た。
猛を見るとラコステの赤のポロシャツだった。。
ペアルックでの登場に動揺を隠しきれなかったが、自分に喝を入れ笑顔で挨拶をすると、柔らかい雰囲気の微笑みで
「はじめまして愛菜まなです。谷川愛菜です。今日は宜しくお願いします」
彼女と向き合った瞬間、私の中で今日まで考えていた醜い思いが、シャボン玉が弾けた様にパンッて音をたてて消えた。
すごく不思議な感覚で『この子からは、奪い取れない』て思ってしまった。
私には珍しくて初めての感覚だった。
良い子過ぎる。会った瞬間に同じ女性として凄く好感を持ち『きっと親友になれる』と直感したのだ。

誰が見てもまるでWデートだった。
プライベートという事で力も抜けて山岡君とも普通に話せたし、猛が気付いて居ない私の心に、気づいていた山岡君を『良い人かも』と少しプラス評価していた。

ゲームは個人戦とチーム戦をした。
チームはじゃんけんとかで決める事もなく、猛と愛菜ちゃん対山岡君と私。そうなるよね。
愛菜ちゃんに会うまでは、奪い取ってやる。なんて意地の悪い女だったけど、そんな事はどこへ消えたのやら、私は、人のイイ女になっていた。
ボーリングが終わった後は、お腹がすいたので四人で食事へ行き、長年の友達か?てくらい盛り上がり、とても楽しい一日だった。

それからは休日の度に四人で遊んだ。遊園地、海、バーベキューどこへ行くにも猛と山岡君がそれぞれ車を出してくれたので、私は山岡君の助手席が指定席になった。
山岡君は大人しくて優しい性格で猛とは対照的。いつも私の愚痴を聞いてくれるし、やりたい事や食べたい物も私の意見が通り、ある意味お嬢様かお姫様状態で悪い気はしない。


会社の敷地内に花壇がある。色んな花が季節を感じさせてくれていて、花火の様に開くヒガンバナが目にとまった。
心地よい風が頬を撫でる、軽く目を閉じると微かに虫の声が聞こえた。
もう秋なんだ。
会社の行き帰りには薄手の上着がいるくらい少し涼しくなった。涼しくなると不思議と心が寂しくなるのは何故だろう。人恋しくなるのは私だけかな。と一人黄昏ていると
「よっ!莉子、何ボーとしてるん?」と猛に背中を叩かれた。
いつからか、猛は莉子と呼ぶ様になっていた。
それがとても嬉しくて、呼ばれる度に胸がキュンとなり秘めている『好き』がうずく。
そして猛は、なぜかいつも突然声をかけてくる。
ヒガンバナを眺めて少し感傷に浸っていたので、この時の胸キュンは痛かった。
「お茶行くか?」と誘われて「行く!」と即答した。
いつも四人だけど今なら二人だ、これを逃す手は無い。
お互いの仕事の事や、この前行ったバーベキューの事など話題は尽きなくて、気分は最高に幸せで私の中の悪女が『やっぱり好き』と囁いた。
テーブルの上で指をモジモジして居た私の手にそっと触れ
「あのさぁ、山岡の事どう思う?」と聞かれた。
告白か?て勘違いするくらいびっくりした。
猛は声をかる時にはスキンシップのつもりで軽く体の一部に触れながら話すので、その度に胸がキュンと締まる私の思いに気付いてるよね。

いつかは聞かれると思っていたけど今じゃない方がよかったな。と思いながら触れられた手を急いで引っ込め
「優しいよ」て答えると
「山岡は莉子にベタ惚れなんよ。付き合ったってよ」と、まさかの身代わり告白。
しかも好きな人から、好きな人ほどは好きじゃない人の事を。
『本当は猛の事が好き』と言ってしまいそうになる気持ちを我慢した。
「嫌いじゃないけど…」と曖昧な返事をしながら私の中の悪女がまた囁く『山岡君と付き合ったら、これからも休みの日でも猛とも会える回数増えるんじゃない?』
めちゃくちゃ不純な動機だと思ったけど、色々頭で整理出来なくなり
「付き合って見ても良いよ」て言ってしまった。
猛は自分の事の様に「ほんまに?やった!ええの?」と大声で喜んだのでファミレス店内にいた人が、全員振り向いた気がして恥ずかしかった。
いやいや、違います。この人と付き合うんじゃないんです。それならどんなに嬉しいか!と必死で言い訳した。心の中で。


家の電話が鳴った。家族はまだ帰って来て居ないので、誰も取らないで鳴り続ける子機の受話器を見つめながら、期待はしていないけど…と思いながら出ると予想通り山岡君だ。
代行告白の事は、山岡君は事前には知らせれていなかったらしくて、結果を猛から聞かされ「すぐに電話しとけよ」と言われて掛けてきたと、これまたクソ正直に話すので少し呆れたけど、本当に真面目なんだなぁ。と優しめに思う事にした。

それからも四人で会う事が多かったけど、変わったのは四人で遊んだ後に、そのまま家に帰るのではなく、二人の時間を過ごす様になった事と、私は山岡君の事はそのまま「山岡君」と呼んだけど、山岡君は私の事を「莉子ちゃん」と呼ぶ様になった。

「莉子ちゃん、家来る?」
「誰か居てはるの?」
「誰も居て無いよ仕事でまだ帰ってないから大丈夫やで」
「何が?大丈夫なの?」
「あっ、えっ、何もないけど…」
何それ?焦り過ぎじゃないの?て思ってると既に家の前に着いていた。
家は、大きくも小さくもない建売り住宅だ。誰も居ないわりには狭い玄関に何足もの靴が散乱していたのを山岡君があわてて揃えながら
「兄ちゃんの靴やねん」と言ったので「お兄ちゃん居てはるの?」て聞くと「今はれへん」と言われて空いたスペースに靴を脱いだ。
玄関を上がるとすぐに階段があり山岡君が上がって行ったのでついて上がった。
二階には二つ扉があり、正面の扉を開けて中に入るとベッドと小さな棚だけがある部屋で、座るスペースが無くてどうすればいいのか?立ったままでいると「座って」と言ってベッドを指さされた。
額と脇から一気に汗が噴き出た。手にも汗が滲んでる。
これから起きるであろう状況を想像するだけで心臓がバクバクした。

立っているわけにもいかないのでベッドに座ると、同時に押し倒された。
唇が重なり更に熱いものが私の舌に絡まる。
息が続かなくなってすぐに顔をそむけたけど、山岡君の吐息は荒々しくて力強くて、私は身動きが取れずにそのまま力を抜いた。
覚悟は出来ていたけど突然過ぎて心臓が飛び出しそうなくらいビックリした。普段の山岡君からは想像出来ないくらいの荒々しさが少し怖かった。
何度も唇を重ねた。山岡君の指が私のブラウスのボタンを外して行くのがわかる。熱い唇が首筋からはだけた胸へと移動して行く。恥ずかしくて動けないまま天井を見ていたら急に山岡君が飛び起きた。
「兄貴や」と言われ二人で慌てて服を整えて平静を装ったけど、お兄さんは二階へは上がって来なかった。

山岡君も男なんだ…
家に帰って来た今もドキドキは止まらない。初めてのキスは学生の時だけど、それ以上の経験は初めてで、まだ処女なのだ。
エッチの事は友達から話は聞いてるので大体想像はしていたけれど、いきなりでビックリだったし、私は貧乳なのがコンプレックでもあるので、あれ以上進んだら私が飛び起きるつもりだった。
未経験だと知ったら何て思われるだろう。
ベッドの上で全く動けなかった時点で世間で言うマグロ状態だよね。
思い出しただけでも恥ずかしすぎる。
次はどんな顔して会えばいいの?と思いながら頭の中に何故か猛が出て来た。
猛と愛菜ちゃんは、もうやってるよね。頭の中の妄想を急いで消却した。

最近の私の相談相手は愛菜ちゃんだ。
思い切って電話をして今日の事を報告した。
愛菜ちゃんは、おっとりとした話し方で
「莉子ちゃん大丈夫やよ。私も初めての時はマグロやったし痛かったけど何回もやってるうちに大丈夫になるよ」と激しめの事もやんわりと教えてくれた。
やっぱりやってるんやね。。。こんな時に、最近になって関西弁に戻りつつある事に気づいた。

週末は会う事が当たり前、そして遊んだ帰りにはエッチをするのが当たり前なサイクルが何度か続いたけど、実はまだ最後まではやってない、と言うか出来ていない。
幸か不幸かいつも同じ時間帯に家に行くので誰か帰って来るのだ。

「ホテル行こか」と山岡君が言ったので私は黙って頷いた。
車でホテル街へ入って行き一番手前のホテルの駐車場へ停め、歩いて中へ入った。
おばさんが、旅館の様に空いてる部屋に案内してくれてお茶を入れてくれ、ニコニコと意味深に微笑みながら「どうぞごゆっくり」と言って出て行った。
部屋を見渡すと、和室に布団が敷いてあって畳も壁もかなり古い感じがした。
ホテルの事も友達に聞いてた。
随分とイメージが違ったけど実際にホテルに入るのが初めての私には比べようがない。
いつもと同じ流れで布団に押し倒され、いつもと同じ様に山岡君の唇と指が動いたけど、今日は誰も部屋には入って来ない。
先へ進むんだ。と思ったら体全体に力が入った。
山岡君は私に何かを求める事はなく、汗だくになって下半身を合体させようと頑張っている姿を、他人事様に見ていたら、山岡君の汗で私のお腹が冷たくなってきた。
私はどうすれば良いのかわからなかったけど、合体に協力出来る様に私なりに努力したが、突然
「ごめん。帰ろ。」と言われた。
何がどうなったのかわからないままでいると、山岡君がフロントに「帰ります」と電話をした。
案内してくれたおばさんがノックをして入って来て
「ビックリしたわ。さっき案内したとこやのに早いね」と左側の口元を上げ気味に言われて、早いんや。て素直に思いながら車に乗ってホテルを出た。
すっかり暗くなった幹線道路を走る車のヘッドライトが眩しい。周りが暗すぎて運転席の山岡君の表情がよくわからない。無言のまま私の家の方角へ走っている事だけが、過ぎゆくお店の看板でわかる。
「何回もやってるのに出来へんでごめんな。なんでやろ」
「今まではどうやったん?」
「ごめん。ないねん」
「そうなんや。じゃあ一緒やん」
「そうなんや。良かった」と言った山岡君の表情が少し解れたのが見えて私も力が抜けてホッとした。
初めて同士だった事に安心した。


今日もいつものファミレスに召集がかかっている。
特に何って無いけど、三人でグダグダ喋って帰るのがお決まりなのだ。
総務部は残業がほとんど無いので、一番乗りはいつも私で二番手に来るのは猛だった。
「聞いたで。ホテル行ったんやろ」
「うん、おばちゃんが案内してお茶も出してくれてん」と言うと同時に猛はお腹を抱えて笑いながら
「どんだけ古いとこ行ったんや。って山岡にも言うたわ」と笑いながら途切れ途切れに言ってから
「今度は、もっとちゃんとした綺麗なホテルへ連れてってもらいや」て言われている所へ山岡君が「お前、いらん事言うてるやろ」と猛にツッコミながら私の横に座った。
今日の話題はやはりホテルの事。
「お前なんでまた、そんなとこに入ったんや」
「知らんよ。一番手前やったから」
「そんなホテル今どきないぞ。普通は店の人とは顔会わさんでええ様になってるんやで」と猛に言われて二人して「そうやよな」と頷く事しか出来なかった。

案内してくれたおばちゃんが「早いからビックリしたわ」と言って意味ありげに笑ったのは、少しバカにされた感じだった事を猛が説明してくれた。
私も山岡君も無知過ぎた事が恥ずかしかったけど、教えてくれた猛に感謝した。
何度、合体にトライしても上手く行かない事を悩んでいるのは、私より山岡君だと思う。私は痛いの嫌だなとか、痛いのに気持ちイイてどう言う事?て不思議に思っていただけで特に焦りとか無かった。

後日、ホテルへリベンジしに行った。おばちゃんは出てこなくて、パネルで点灯している幾つかの部屋から一つを選んでタッチした部屋へ自分たちで向かい、中へ入ると大きなベッドがあり、お風呂場はガラス張りで丸見えだった。
私がシャワーを浴びてる時はテレビを観ていてとお願いした。
今日はスタートから、何だかいつもと流れが違った。
冷たくてヌルっとしたものが私の入り口に塗られた。
「ひゃっ!!」反射的に腰をずらしたけど、力強く引き戻され、今度はヌルっと何かが入った。と思ったら、急にピストンの様に彼の腰が激しく上下した。少し痛かったけど我慢した。また彼の汗が今日は私の顔に何粒も落ちた。
激しく動く彼を見るのも恥ずかしくてずっと目を閉じていると、いきなり動きが止まり、彼の濡れた体が私の体と密着した。何が起こったのかわからなかった。
「ありがとう。出来たわ。」と言われて、彼が絶頂に達した事を知り
「良かった」と一言返して私からキスをした。
正直、私は気持ち良くも何ともなくて、なんでこんな事が気持ちいいんやろ?とやっぱり思った。
行為自体は、そんなに好きにはなれなかったけど、不思議と心が『好き』でいっぱいになっていた。
山岡君に恋してしまった様だ。何とも単純で惚れやすい性格だ。
「帰ります」とフロントへ電話をした時もおばちゃんは、部屋には来なくてフロントで会計をしてドアを出ると彼の車が目の前に用意されていた。
「これが普通やねんて」と彼は小声で言って二人で顔を見合わせて笑い、車に乗り私の家へと走り出した。
「ちゃんと出来てほんまによかった」と彼がまた言ったので、気になっていた事を聞いてみる事にした。
「あんな…途中でなんか冷たいもの感じてんけど…」
「あれな、ゼリー。実はな…あんまり出来へんから先輩に相談したらソープに連れて行ってくれてん」
「えっ?はっ?ソープ…?ゼリーて…」
「うん、お金払ってやるとこ」てあまりにも簡単に衝撃な事を告白されて『好き』な気持ちが一気に冷めて行くのがわかったと同時に怒りが込み上げてきて
「ちょっと待ってよ。浮気して来ましたって堂々と言うの?!」と噛みつき気味に言うと彼はビックリして
「いや違うねん」と言い訳をしようとしたけど私の怒りはおさまらなかった。気が短くて感情がすぐに態度や顔に出てしまう。
「もうええわ」と言うと彼も黙ってしまい。
私は悔しくて歯を食いしばっていると、家に着いてしまったので助手席から思い切りドアを閉めて何も言わずに家に入った。

ショックだった。いきなり浮気の告白されて胸が締め付けられる様に苦しくて涙が止まらなくて泣き続けた。
どれくらい時間が経ったかもわからないで居ると電話が鳴った。
「莉子ちゃん大丈夫?山岡さんと喧嘩したんやて?」愛菜ちゃんの優しい声が聞こえて、少しおさまりかけていた悔しさが、また込み上げて来てしゃくり上げながら「浮気された」と言ったけどちゃんと言葉にならなかった。
愛菜ちゃんは「えっ?信じられへん。ほんまなん?」とビックリした様子で答えた後「私から佐々木さんに、ちゃんと聞いてみるわ」と言って電話を切った。
私達四人の中の情報は速い。山岡君が猛に話して、猛が愛菜ちゃんに話して愛菜ちゃんが私に電話をして来てくれたけど詳しい内容までは伝わってなくて喧嘩した事だけが速報で伝わったのだ。
数時間後、猛と愛菜ちゃんに『自分でちゃんと話しろよ』とでも言われたのだろう。今度は山岡君から電話がかかって来た。
無視しようかと思ったけれど、このモヤモヤをあとまわしにするのが嫌だったので電話に出る事にした。
「ごめん」
「…」
「浮気ちゃううねん」
「…」
「莉子ちゃんとエッチしたいのに中々出来ひんから同じ課の先輩の永井さんに相談したら『プロのお姉さんに色々教えてもろたらええねん』て言われて永井さんが連れて行ってくれたんや」
「どう言う事?意味わからんわ」
「ほんでな、ソープのお姉さんに好きな子と何回やっても出来ないんですって言うたら『相手の子も初めてやったら、緊張して濡れて無いと思うからゼリー使ったらええよ』て教えてくれたから、使ってみたら出来たんや」
「出来たとか出来へんとか聞いてないわ」
「…うん。ごめん。浮気ちゃうねんほんまにそれだけで行ってん」
「その人とはやってないの?」
「最後まではやってない。やり方教えてもらっただけ」そう言われても、私以外の女の人と裸で触れ合った事が許せなかった。
そんな説明されて、はいそうですかで済まされる程簡単な事じゃないわ。と言ってやりたかったけど言葉に出さずに飲み込んだ。
ヤキモチを妬くほど好きになってしまってる事を確信した。


ジューンブライドの愛菜ちゃんは眩しいくらいにキラキラして綺麗だ。
六月に結婚式を挙げると一生涯にわたって幸せな結婚生活が出来ると言われている。高校の時から付き合っていた二人はとてもお似合いだ。
猛と出会った頃は、私が愛菜ちゃんの位置に立つ事も夢見ていたけど今では二人の幸せを心から祝福しながら、私も結婚したいなと思っていると隣にいた山岡君が手を繋いできたので私も繋ぎ返した。
私のまわりは結婚ラッシュで、高校の同級生からもおめでたい報告が届いた。
結婚式はもちろん憧れだけど、式までに新居に置く為の家具や新婚旅行の行き先などを決めてる時が、みんな幸せそうで、私もその幸せ感を味わいたくなっていた。
『結婚したいな…』


会社の忘年会が今年も行われる。二回目の参加となる…
初めての年、忘年会でどの様に上司や先輩に接すれば良いのかわからずに食べる事に集中していると、総務の福井さんから
「莉子ちゃん、このビール持って注ぎに行ってき」と言われた。
「私がですか?」まだ未成年でそんな事やった事ないけど、社会人になったらお酒くらいは注ぎに行かなあかんよなぁと思っていると、まるで心の中を見透かされた様な口調で
「当たり前や、新人は挨拶しにまわるんやよ。社長からな」とだけ言ってさっさと違う席へ行ってしまった。
周りを見ると確かに、新入社員的な人が皆、あちこちの席で上司や先輩と向き合ってお酒を注ぎ合い賑やかに話ていた。
山岡君も猛も顔を真っ赤にして既に酔ってる様子が目に飛び込んで来た。
やばいやん。飲んでるやん。
私も飲まされたらどうして断ったらええんかな?
とりあえず、食べてる場合じゃないな。と思い、社長と常務に簡単に挨拶した後、部長、課長とビールを注いだけど、どの席も注ぐだけでは済まなかった。
みんな、私が注いだビールを一気に飲み干したその手で「はい、蒲生さん」と平気でグラスを渡して来て注ぎ返してくれる。
いらないのに…と思っていると福井さんと目が合った。
福井さんは空のグラスを持って飲むジェスチャーをしている。飲めって事?
私が注がれたビールを一気に呑むと上司はみんな喜んでくれた。
初めて飲むビールは苦いだけで美味しいとは思わなかったけど、何だかフワフワして私も楽しい気分になって来た。
次は営業部の永井さんだ。この人が山岡君をソープに連れて行った人かて思うと力が入った。ビールを注ごうとすると
「これ、美味しいで呑んでみる?」と右手にとっくり左手におちょこを差し出されたので私は両手でおちょこを受け取ると永井さんがとっくりを一回、二回、三回と傾けて日本酒を注いでくれたので一気に呑んだ。
「おぉ、やるな」と言ってまた注いでくれた。
初めて呑んだけどビールより甘かった。何度か返盃して次へ移動しようと立ち上がろうとした時、全く脚に力が入らなかった事だけ覚えている。

私はそのまま倒れたそうだ。ビールと日本酒のチャンポンで完全に酔いがまわって意識が朦朧もうろうとして山岡君と猛が家までタクシーで送り届ける役目をさせられたと、翌日に会社で知った。
なので今年は、同じ失敗をくり返さない様に気をつけないと。

宴会は毎回、同じパターンで進んで行く。今年入った新人達は勿論だけど、まだまだ新人の二年生組も上司の機嫌をとりにお酒を注ぎにまわるが、今年は一気呑みはせずに、適当に呑んで上手く交わせてると思っているところへ永井先輩と福井さんがニヤニヤと寄って来た。
「今年は上手く呑めてるやん」と言いながら二人が私を囲む形で座ったので緊張した。
福井さんが「蒲生さんは、好きな子おるん?」と急に聞いて来た。
「はい。まぁ」と答えると
「佐々木君やろ」と言われたのでビックリして何も言えなかった。
お酒が入っていることもあり顔が、火を吹いた様に熱くなって真っ赤になったのがわかった。汗も出てきて隠しようが無かった。
なんで?私は今、山岡君の事が好きで付き合ってる事をみんな知ってるはずやし、猛は愛菜ちゃんと結婚してるやん。と心の中の自分と会話してると永井先輩が
「結婚してる人でも好きな人は好きな人でええねんで」と何だかややこしい事を言い出すと福井さんが
「好きな気持ちはええけど、それ以上はあかんよ」と女性らしい意見を言った。私もそう思ったので頷いた。
さすが人生の先輩や、恋愛経験も豊富なのでしょう。完全に心見抜かれてる事に一言も発する事が出来ずにモジモジしてると
「佐々木かぁ、あいつは中々の遊び人や。口も上手いし女心をくすぐるのもうまいな」と言った永井先輩の顔を見返すと
「蒲生さん覚えとき。惚れて結婚するより、惚れられて結婚する方が絶対に幸せになれるで」と言い残して二人はヘラヘラと笑いながら違う席へ行ってしまった。
二年目の忘年会は無事終了し、ほろ酔いで帰宅しベッドに横になると、酔い覚めでゾクっとしたので布団にくるまって寝ようとしたけど、永井先輩の最後の言葉が私の頭の中で何度も繰り返された。
『結婚するなら…惚れて結婚するより、惚れられて結婚する方が幸せになれる…』

「毎月貯金しない?」と彼に提案した。
「何の貯金?」と聞かれたので私から言わなわからんか。と思いながら
「結婚」と言うと、簡単に「ええよ」と返してくれたけど、私から結婚のふた文字を言葉にした事を即、後悔した。
何でも決めるのは私だ。彼は私の提案にいつも文句を言わずに付き合ってくれるけど、結婚だけは彼から言って欲しかったのに、先走ってしまった。
だけど待っていたら、いつになるかわからないから、まぁいいかと自分を納得させた。
毎月それぞれ三万ずつ貯金する事にした。遊ぶ時は出来るだけ節約した。ホテルに行くのをやめて彼の部屋で体を重ねた。
永井先輩の言葉が私の背中を押した。結婚を決めてからの毎日は楽しい。
雲の上をスキップしながら進んでいる様な気分で何をするのもフワフワと心も体も宙に浮いてる感覚で、式場や新居の下見や新居に置く家具の配置決めなど、羨ましく思っていた結婚に向けてのステップを今、自分が歩んでいると思うと最高に幸せだ。

付き合い出して三年、貯金をスタートして一年。高額は貯めれ無かったけど、二人の気持ちが待っていられなくて、極近しい親族だけの結婚式を挙げた。来て頂け無かった地方の親戚周りを新婚旅行とした。
贅沢は望まない。一緒にいれるだけで幸せだから。
新婚生活もフワフワが続く。
今日は結婚一ヶ月目の記念日なのでケーキを買って来た。ショートケーキでなく、ウエディングケーキを思い出して苺のホールケーキにした。
「ケーキに入刀です」と言いながらキッチン包丁を二人で持ってカットした。
「コーヒーにする?紅茶にする?」
「どっちでもいい」彼はいつもそう言う。
どっちでもいい…私はハッキリしない言葉は好きじゃないので
「自分の飲みたいのん言うてな」
「莉子ちゃんと一緒でいいよ」
そうやって私の意見を尊重してくれるのは嬉しいけど、もっと山岡君の意見も聞きたいと思いながら紅茶を淹れた。
苺は酸っぱいけど、スポンジ部分と苺とたっぷりの生クリームを山盛りにして口に入れるとまた幸せな気分になる。
機嫌良くケーキを頬張っていると
「結婚してんやから山岡君て呼び方変えへん?」
「そうやね。なんて呼んでほしい?」
「何でもええけど」またこれや、自分の意見は無いのか?
「剛士君は?」
「うん、いいよそれで」
「剛士君。あーんして」とケーキを彼の口に運んであげた。私にも同じ事をしてくれた。
紅茶は、アップルティを淹れたので香りを嗅ぐだけで癒された。
剛士君は、いつも行くファミレスで珈琲を注文しているので、どちらかと言うと珈琲派なのかと思うけど、私はお店で珈琲を飲むと胃が痛くなるので、苦手で完全に紅茶派だ。
美味しいケーキに、香りの良い紅茶を飲んで、時間を気にせずに色んな話をしていると結婚したんだと実感する。

「莉子ちゃんも山岡になったんやから、死んだら山岡のお墓に入るねんで」
幸せな気分に浸っていると急に変な事を言って来た。
「山岡のお墓に入るって、そんなん今言わなくていいやん」
結婚一ヶ月のお祝いの日に死んだ時の話をされて、私の気分は一気に現実に引き戻された。
優しいところ、私をいっぱい好きでいてくれるところは私も好きやけど、考え無しに訳わからん事を言うところは好きはなれない。
わかってるよ、私は蒲生ではなく山岡になった。だから死んだら山岡のお墓に入るかもしれんけど『そんなん嫌や!』心の中で叫んだ。
こんなんで、この先上手くやっていけるのか?

永井先輩は言った。惚れられた結婚してら幸せになれるて。言うたよね。
こんなんで本当に幸せになれるの?

“語り”
高卒で就職した会社で出会い、好きになった人には学生時代から付き合っていた可愛い彼女がいる事を知った。
私はその彼の友達から好意を持たれ、付き合う事になりグループ交際へと発展するが、心の中では彼への思いは消せないまま。
結婚し、それぞれの家庭をもったが生活を共にする中で、
『剛士への気持ちは勘違いでは無かったか?』
『結婚に憧れて結婚しただけでは無いだろうか?』
自問自答を繰り返す様になった。
どうしてそんな事を思うようになったかは、おいおいお話するとして、先に十年後のお話をしたいと思います。
〔続く〕

※ 全十話 リンクはこちらです
(創作大賞2022応募用)



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