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読めなかった10代の頃の日記を。

19の終わり頃、私は「自分が今こんなに苦しいと思っていることも、大人になったらぜーんぶ忘れちゃうんだろうなあ」と思ったことがあった。

その夜の予感は当たり、ハタチを過ぎ、さらに年齢を重ねた今の私は、完全に19の頃の私が何に悩んで、何にあそこまで苦しみを感じていたのか、さっぱり忘れてしまった。


私には、どうしても読めないものがあった。

10代の時に書いた、5冊にも及ぶ日記だ。

どうしても読めなかった理由、それは、壮絶だった10代の頃の体験や赤裸々な気持ちが綴ってある日記を読むと、トラウマがフラッシュバックしそうで怖かったからだった。


しかし、ここ最近の私は、かなり心が「いい感じ」であり、だからその日記を初めてじっくりと見ることにしたのだった。

「じっくり見る」と決意したものの、いざ読んでみるとやはり「苦しい」という感情が湧いてきた。

「こんなことに悩んでいたのか...」
久しぶりにあの頃の自分の悩みと再会できた。

ただ、私がその日記を読んで思ったことがあった。
全てのあの頃に綴っていた悩みは、全部「変えられない環境」に対する不安だった...と初めて気づいたのだ。


大人の今の私と違い、あの頃は親元にいて、親のお金で食べていて、親の決断がないと環境を変えることは難しかった。

あの頃書いていたその日記には、「自分はダメだ」とばかり書かれていたけれど、今それを書いていた中学、高校の頃の自分に会えるのならば「あなたが悪いのではなく、環境が合っていないだけだよ」と伝えたいと思った。


実際、私はハタチの時に「この人は信用できる」と思った人が薦めてくれたA型事業所に入って、環境をガラリと変えることで、水を得た魚のように人生がイキイキとして、心も元気になり、自分に少し自信を持てた。


日記は、高校3年生の夏あたりで止まっていた。

日記は結局、あまりにも壮絶に赤裸々に当時の気持ちが書いてあったので、怖くて読めなくて、パラパラとしか読めなかったけれども、あの頃の自分に再び会えた気がして嬉しかった。

日記を書いててよかったと思った。


いつか、自分が「よし」と思えた時に、その日記の一部をここに出したいなあという想いもある。

不登校だった私のあの頃の「リアルな言葉」というのは、不登校の子にとっても、不登校の人へ支援をしている人にとってもすごく有意義なものになるのではないか...と思うからだ。

それは、自分の恥ずかしいところを見せる...という感覚は全くなくて、あの頃悩んでいた自分に誇りさえ持てるから、あの頃の壮絶な環境に耐えて耐えて痛みを堪えながらでも頑張っていた自分をみんなに見せたいというのもある。

あの頃、私は「今書いているこの日記が、10年後、不登校で悩んでいる子たちのためになったらな」と思って書いていた。

だからこそ、あの日記は、できたらいつかこのnoteなどで、公開できたらなと思っている。

日記をせっせと毎日書いていた、今よりもっと寂しくて大変で痛みに必死に耐えていたあの頃の私も、それが本望だと思う。

そうして、みんなに見てもらって「ああ、自分だけじゃないんだこんなに悩んでいるのは」と思ってもらえたりしたら...やっと私のあの頃の悩み、苦しみは「有意義なもの」となり、初めて昇華される気がしている。

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