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「私には才能がない」

今、実家に帰ってます。

実家でリモートワークを行って、この記事を書いています。


数日前から、実家に帰ってきているのですが、少しショックなことがありました。💦


夜、リビングでくつろいでいたら、母が「あなたが小さい時に作っていた創作物が押入れから出てきたよ、見る?」と言ってきました。

私は小さい頃から、何かを創作することが大好きでした。
物心ついた時から裏紙などを使って、自分の作った物語や、架空の新聞、雑誌などを思う存分書いていました。

しかし、自分の中でその趣味というものは...どこか「隠さなければならないもの」と思っていました。

…というのは、そんなヘンテコな趣味を持っている人は周囲に誰一人いなかったからです。

みんなは外でサッカーをしたり、野球をしたり、追いかけっこ、ドッジボールをすることが一番楽しそうでした。

一度、小説を書いていることを友達に伝えたら、反応がバラバラでした。

「へー!すごい!」

と言ってくれる人もいれば

「ちょっと気持ち悪い」

と言ってくる人もいました。

だからか時間が経つにつれ、いつしか自分の中でこの「創作物を作る」という趣味がとてつもなく「恥ずかしいもの」という認識になったのです。

大きくなってもその「創作物を作る」という趣味を周囲のみんなには隠し通していましたが、同時にこんな感情も湧いてきました。

それは「変わっている趣味を持っている私って才能があるのでは?」とか「こんなに沢山創作できる私って才能あるのでは?」というある意味、おごりみたいな感情でした。

私はどこかで、大人になった今でも「みんなは持っていない才能を持っている人」と、自分自身に思っていたと思います。


なので、昨日は母に「あなたが小さい時に作っていた創作物が押入れから出てきたよ、見る?」と言われた時、即答で「見たい!!」と満面の笑顔で言いました。
きっと大作に違いない。

なぜかそんな過信がありました。

しかし...母が持ってきた私の小学校3年生当時に書いた「架空の新聞」を見て...私は...心底がっかりしました。

小学校3年生にしては、とても幼い子が書いたのかな?と思うくらい意味不明な文章。
絵も下手くそ。
字も下手くそ。
書いてあることも、小学生にしてはすごく幼稚な感じでした。

その時、私が誇りに思っていた「創作ができる」という高いプライドが壊れる音がしました。

「過去は美化される」と言います。
私は、いつの間にか、どこかで「自分の創作物はすごかった」となぜか勘違いをしていました。

創作に関しては才能がある...とも、どこかで勘違いしていたと思います。

その母が持ってきた創作物は、私の「創作に関して才能がある」というプライドを完全に砕きました。

夜はちょっとショックで色々考え込んでいました。


しかし。

今朝も少しだけ落ち込んでいましたが、なぜか違う感情が湧いていることに気づきました。

それは「才能のない凡人なら凡人なりに一生懸命頑張ろう」という感情でした。

私は、今も文章を書く仕事をしているけれど、どこかで「私は才能があるはず!」と思っていました。
それもこれも、小さい時に誰もやっていなかった「創作」をしていたから。
私は他の子どもやみんなにはない何かを持っている!と勘違いしていました。

でも、考えてみたら、この世の中みんな隠していただけで結構な子どもが、そういった「創作」で遊んでいたんだと思うんです。

そして自分より綺麗な文章を書けて、綺麗な絵、綺麗な字を書いている子どもは「わんさか」いたと思うんです。

私は...才能がない。
凡人なんだ。

昨日はっきり、初めて、認めることができました。


才能がない、凡人。

自分のことをそう認めてみると、なぜかすごく過ぎていく時が輝いて見えました。

創作に対しても、もっと謙虚になろうと思えたし、それから他の創作者の人に対するリスペクト心もうんと大きくなりました。

そして、なんだか新しい人生の幕が開けた感じもします。


凡人は凡人なりに努力する。
才能がない私でも大丈夫、私は私。
そう思えたし、そして。
たとえ私に才能がなくても、私にとっては「創作」というものは、宝であることに変わりはありません。
人より生きづらい私が、生き抜くために「創作」という活動は私を何度も助けてくれました。

これからは、謙虚にでも沢山吸収しながら「創作活動」を大切に抱いていこうと思います。

…という日記みたいな内容でしたが、何か皆さんに響くものがあったら嬉しいです!!

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