見えるものと見えなくなるもの
毎日更新するといいつつ、
台風のおかげでバタバタしていたので諦めました。
この度、被災された皆様には心から無事と、早い復旧を願っております。
なんだか、ゴッサム・ジャパン(もうこの呼称にしよーかな)は災害が起こるたびに分断しまくってますね。
というか、分断されているものが
ただ可視化されたってだけかもしれませんが。
毎度思うのが、ネット上で八ッ場ダムがどうだこうだとかね、
ツイート合戦(おそらく自宅でスマホいじってる)している時に
現場で必死に「自分の出来ること」を全うしている方がいるんですよね。
なんか逆に笑えてきます。こんな状況。
で、現場も分断が起きていて
現場の人間 / 現場にいない上の人間 で分断。
私の母は看護師なので、今回の台風でも
「現場は何やってるんだ!クレームがきたじゃないか!」と1日自宅にこもっていた上の人間と
「現場にあなたたちがいないのに、そんな対応できないよ…」と1日現場に泊まり込んで働いていた現場の人間
この両者は永遠に「敵同士」で、また揉めたよと話してました。
災害じゃなくてもこんなのは日常なのですが、今回のようなことがあると益々浮かび上がるんですよね。
でも、もういい加減「揉めあっている暇はない。」のではないかとも思うんです。
揉めている間に、事態は悪化する。
あーだこーだ言っている間に、現場に「行ってきます。」と向かう人もいます。
(まぁここでnote書いている私もなんなんだろう…)
あっち側/こっち側、ウチら/それ以外…で分けるのってマジで楽なんですよね。
しかも「あっちが間違っている。」と言い合っているうちに、
問題の根本的な部分が見えなくなる。
「今」、ツイッター上で意見しあうのが正しいのかよく分からない。
意見し合うのが最善だとしても、その議題でいいのか?はよく分からない。
全体を俯瞰して見ると、今話すべきことは違うんじゃないか?とか、
少人数の集まりだと気付ける人もいて、方向転換できるのに大人数になるとなぜかできない。
多分、一人一人が
自分に出来ること、
これからどんな未来にしたいかを考え
今は何ができて、
来年には何ができるのか?を見通してアクションを起こす。
これが大事だなと思いました。
とりあえず私は、
「みんなが幸せだと感じれる未来」が理想。
これは、みんなが「死にたい」と言ってる中、シェアハピはし辛いけど、
みんながハッピーな気分の中、ハッピーと叫んでもへっちゃらという理由からです。
(「みんな」が難しいのは知っているし、無理だよという考えも超わかります。ちなみに、頭お花畑ではないです。)
でも現実は、ゴッサム・ジャパンなので
「みんなで生き残ろう。」が現実的な未来だと思う。
これすら実現が厳しいなんて、
理想なんて夢のまた夢のそのまた夢みたいなもんですね。
私が「みんな」にこだわるのには一応理由があります。
今回のような天災が起こる度、
「自分の身は自分で守る」の限界と、インフラの限界を感じます。
だからこそ、まずは近くの人と協力が必要だと思うんです。
近所に誰が住んでいるのかも分からない状況はいつか自分を危険な状況にするのだと思います。
お互い協力できて、
声かけとか食糧のシェアとか、
そういうことが当たり前のようにできる関係が必要だなと。
「自分とその周りの人さえ幸せであればいい」は、結局限界があるんじゃないかなと思うんです。
見えない誰かを想像すると、自分がいかに多くの人のおかげで存在できているのか分かります。
身の回りの大事な人もそうです。
人だけじゃなく、空気や水などもそうですね。
そんな都合のいいマイワールドは身を滅ぼすと思うんです。
だから「みんな」が重要だと思います。
もっと多角的な意見はあるかと思いますが、
ひとまずの今の自分の意見でした。
こんな被災滅多にない(…というものにしたいです)ので、
今感じることを書こうと思い、長々と書きました。
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