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母というひと 最終話

「この前はありがとうねえ」
 母を久しぶりに銭湯に連れて行ったのだが、よほど嬉しかったのだろう、翌日すぐに電話が入った。
(この前じゃなく、昨日だけどね)とは思うが、指摘して傷つける必要もないので黙っておく。
「また連れて行っておくれねえ」
「そうやね、買い物にも回ろうね」と答えながら、頭の中に、実家から車で行ける距離にある大小の銭湯をずらりと並べた。

(続けて同じ場所へ行くのはやめておこう)
 そう考えた理由は、母の姿が、見る人にどうやら不快感を与えているらしい様子に気づいたからだ。

 湯船に浸かっても、露天風呂へ出ても、周りからスーっと人がいなくなる。
 あれ?と思い様子を見ていたが、たまたまではなく、ずっとそんな感じだった。

 母を振り返れば、どこを見ているのかわからないボーッとしたうつろな目。両手をだらりと下げたまま、半歩ずつ足を地面に擦るようにして歩く姿。
 普通の姿、ではない。
 「普通の人」ならセーフティ機能が起動して、遠ざかりたくなるものだろう。その気持ちはよく分かる。

 外出していた父が、1人で外へ出た母をたまたま路上で見つけた時のこと。声をかけずにしばらく様子を見てみたらしい。
 母は、まっすぐ立てなくなったバランスの悪い体を斜めに傾けながら、ずっ、ずっと足を引きずって歩き続ける。
 そんな母を見つけた人が、全員、半円を描くように大きく避けて行ったという。その様相は、不快というよりも、「理解できないものへの怖さ」を感じさせているのかもしれなかった。

 本当は100話まで続けるつもりだったこの話を、この95話で終わりにしようと考えたのは、母の認知症がもっとゆっくり進むだろうと予測していたからだった。
 父も私もそれに慣れたり慣れなかったりしながら、2人でお酒を飲みながら愚痴を吐いたり笑ったりする、穏やかに見えてそうでもない日々が長く続くだろう、そうしたらもう書くほどのことはない。
 そんなふうに考えていた。
 怪談の百物語みたいに、本物のオバケが来る前にやめてしまおう、みたいな冗談めかした気持ちもあった。

 でも、なんでだろうな。
 母は最終話に間に合わせるように急速に衰えた。そんなに急がなくても良かったのに。

 年明けからの慌ただしい変化を踏まえて、私は父に同居を申し出た。
 徘徊には、四六時中の見守りが必要だから。

 しかし、笑いながらだが、きっぱりと断られた。
 意外だ。父はてっきり、私が住むK市へ戻りたいのだと思っていたのに。

「お前さんだって仕事にならないぜ、母さん看てたら」
 父はそう言う。
 介護離職は共倒れの第一歩になり得ることを、私だって知識的にも理解している。それでも、ただ手をこまねいている状況というのは、いたたまれないものだ。

 自分の生まれ故郷でもあるK市にすっかり執着を無くした父を見ながら、チラッとだけ、
(愛人だった彼女とは終わっているのだろうか?)
 なんて疑いが浮かぶ。
 頑なに拒否されたせいで、実は実家の近くに彼女が越して来ているのではなかろうか、などと、よからぬ想像が頭をよぎったのだ。

 それでもいい、とも思う。
 父の、母への贖罪は、この20年で済んでいるように感じられるから。
 家族を捨てる気もないくせに甘い言葉を囁くような、愚かな男を信じた彼女に、いくばくか同情の気持ちもあるかもしれない。
 いつか彼女に会ってみたいとさえ思う気持ちがあるが、今は伝えない。それはこの先、父が逝く時の話だ。
 今は、自立して暮らせるだけの経済力を持つ両親に、そして父の頼もしさに素直に感謝しよう。

 徘徊は忘却が始まった証。
 認知症の中でも大変な症状のひとつだが、いずれ本当に全てを忘れたら、帰りたい場所への恋慕も失うのかもしれない。
 それもまた切ない。

 一昨年前のこと。家系図作成への興味が湧いて、父方で遡れる過去全ての戸籍を取りに区役所へ向かったことがある。
 母は養子に出された際に、養家の実子として戸籍を提出(違法行為です)されていたから申請するつもりはなかったのだが、窓口の担当者が「お母さまのほうはいいですか?」と親切心で確認してくれた時、反射的に「お願いします」と口をついて出た。

 これが悪かった。

 紙で確認するだけのことなのに、こんなに重くのしかかってくるなんて。
 自分の祖父母、伯父、そして従兄弟として、見たことも聞いたこともない、血のつながりのない他人の名前が戸籍に並んでいる事実が……。

 思いもよらぬ喪失感がドカンと私を飲み込んだ。
(なんて余計なことをしたんだ)
 あんなに大好きだった母方の祖母との縁が辿れないことを、無駄に再確認してしまって。
 ただでさえ、祖母の墓の場所も亡くなった日も知らないのに。
 このまま自分が死んだら、祖母と私の繋がりは、世間には何も残らない。何もかもが消えてしまう。
 きれいさっぱり。

 私はもともと、生まれてくる予定がなかった。
 母が父に「産ませてくれ」と嘆願しなければ、私より先に妊娠していた子と同じく、中絶の処置をされていたはずだ。

 それを知った時の感覚と似ている。
 自分が透明人間になったような、本当はこの世界に組み込まれる予定のなかった「おまけ」になったような。

 それを不用意に娘本人に話す。それが母だ。
 知らせるべきでない内容の選別ができない。

 そんな母を理解したい気持ちも、この「母というひと」を始めた時にはあった。
 彼女の人生を追うことで、何かを理解できる日が来るのかもと思ってみたのだけれど。
 私ですら戸籍の事実に強いショックを受けたのだ。母がどんな辛さを抱えて来たのか、平和な時代に生きている自分の想像が及ぶはずもなかった。

 認知症が進めば進むほど、小さくなる母。
 怖くなると泣き、怯え、すがりつき。今は無き古巣に帰ろうと必死で歩く。辛い記憶ばかりが詰まった、子供の頃の家を求めて、とうとう記憶が途切れて知らない町となってしまった自宅のまわりを。
 その様子が切なくて、母に対して抱えていた葛藤も急激に小さくなっていく。
 何もかもがもう、「仕方がない」としか言えない場所へ去ってしまった。

 私たち家族は母を見ながら、
 何度「この人は早晩、正気を保てなくなる」と思ったことか。
 何度「大きな事故を起こすかもしれない」と怖がったことか。
 けれど、細くて頼りない糸の上を歩いているかのように危ういバランスのまま、周囲の人々に心配をかけ続けながらも、84歳という年齢を迎えた。

 結局、生きたのだ。
 ギリギリのラインを保ちながら。

 死にたがって自殺未遂を繰り返しては失敗し、その度にもがき続けた彼女は、生物に備わる"生命の力"に抗えなかっただけなのだろうか。

 彼女を見ていて、この人は人間に生まれないほうが幸せに生きられたのではないか、と思ったことが何度かある。
 口に出したことは一度もないが、同じようなことを母自身も思っていたようだ。


 ある日、「次に生まれるなら雀がいい」と母が言った。
「雀なんて何がいいんだよ、あんな小さい生き物の。すぐに死ぬんだぜ」と父が笑えば、
「いや雀がいい。小さくてささやかに生きとる」と真面目に返した。

 陽だまりに集い、短い命を全うする雀。
 それがいい、そうなりたい、と。

 もしも魂が本当に存在するのなら、そして神がいて、何かを叶えるのにその偉大なる指先をちょっとだけ動かしてくださるのなら。



 母のこの願いが、いつか叶いますように。


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仰倉あかり
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