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“無理しない”をする

靴箱にしまい忘れたスニーカーやクロックス。
一時的に置いているスーツケースや、捨てようと思っている空き瓶。
玄関は一瞬で足の踏み場がなくなる。つま先で今日の靴を掬い、その隙に右手でドアを開けて、家から一歩出たところでかかとを入れる。その瞬間を誰かに見られるのが少し恥ずかしいから、周りを警戒してスッと整える。
一人暮らし用1Kの玄関は狭くて、気を抜くとすぐに物が増える。家に着くたびに腰を曲げて靴を持ち上げて、下駄箱を開いて収納するなんて、ちゃんとした人間にしかできないのだと思う。
ただ、こういう名前のついていない“ちゃんと”をサボると、部屋はみるみるうちに「アレ、こんなに放置してたっけ?」になる。
そして仕方なしに大掃除ほどではない中掃除を繰り返す。

きっと生活なんてこんなものである。少なくとも僕の生活はこんなものだ。
いつも“ちゃんと”するには、きっと散らかったものと心を少しずつ、片付けていかなきゃいけない。

サラリーマンとして3年目になるが、入社して今まで心の底から嬉しいこともあれば、心の底からうんざりすることもいっぱいあった。好きな人もいっぱいいたし、顔を見たくないほど嫌いな人もできた。
つい最近はかなり限界まで来た。しかし幸いにも僕の周りには、素敵な人がいたおかげで助けられている。たぶん僕は素敵な人たちが世の中にいるおかげで元気に生きていられる。
仕事で限界まできて、人の心というのは脆いということを体感した。「やばい」と思い、会社を少し休むことにした。
僕は自分で心が強いと思っていたけれど、やっぱりどんな人間にもキャパオーバーが存在するのだと思った。

入社してから「無理しないで」と色んな人に言われ、僕も後輩や同期に言ってきた。でも実際に無理している状況になると、無理しないのはすごく難しい。勇気を出して相談することが必要なわけで、なかなかそれができない。
そして、“自分自身が無理していること”に気づくのもすごく難しい。
そうやって人は壊れて、休職するのだと思う。
でも「無理しないで」以外に、かけられる適切な言葉を僕も思いつかないから、これからも使うと思う。
僕は学生時代に「頑張って」を控えたことがあるのだけど、一周回って今では使うようになっている。
そんな一周回って使う言葉がまた増えた。

やっぱり日本人は、きっと働きすぎだよね。
日本人だけじゃないかもしれないけど、無理している人が本当に多い気がする。
疲弊の中でちゃんとしようとすると、心は散らかり、もう何もしまえなくなる。
それは掃除なんかじゃどうにもならなくて、治るようなものでもなくて、心はすり減っていく。
だから、これを読んでいる人へ。辛いと思ったら、どうか気軽に休んでほしいし、辛いものから離れたっていいのだと無責任だけども伝えたい。
休んだときの周りの目は気になるし、相談するにしてもそれも気になるし、今後の仕事について不安もあるし、今期の評価も気になるし、大事な人たちを心配させたくないという気持ちもあるし、“無理している”のに考えてしまうことは多い。僕も色々考えたけれど、行き着いたのは「最終的に自分を守れるのは自分しかいない」ということ。
もし自分が壊れたって、それは会社の誰の人生でもない。ただ自分が壊れるだけなのである。
自分が自分を大切にしないと、誰かが責任を取ってくれるわけでもない。
だから、思い切って休んじゃおう。
僕はそう思い、自分を守ることにした。

心と共に散らかった部屋を少しずつ片付けていく。少しずつ少しずつ。
玄関のスニーカーを下駄箱に戻して、空き瓶を指定の日に捨てて、整えていく。
家の中でしっかり靴紐を結んで、ドアを開けて、イヤホンで好きな音楽をかける。
電車で海が見える公園まで行って、日光を浴びて、ベンチに座ってゆっくりしてみよう。思いっきり遊んで、好きなものを食べて、趣味をして、脳に浮かんだうんざりすることには中指を立てて、好きな人たちのことを考えよう。
そうやって少しずつ少しずつ。
ちゃんとした人間になることは諦めて、なんでもないそこにある生活をする。

いつも読んでいただきありがとうございます!☺️