私が「変人」扱いされて嬉しい3つの理由

こんにちはー、アカネです。ゆるっとnote始めてみました。今日は自己紹介がてら、よく「変人」「奇人」扱いされる私がどうしてそれを不満に思わないのか(むしろ嬉しい)、つらつら話していこうと思います。

1  そもそも興味が無い

なんか最初からぶちかました事を言いましたが、そうなんです。私もともと「変人」とか「奇人」とかって言ってくる人に興味が無いんです。なんだろ、そこらの石ころが喋ってる?みたいなそんな感じ。だから、正直どうでもいい。

もちろんイラッとしたりする時もあります。

「アカネちゃんは、アレだからぁ~ちょっとおかしいからw」

とか言われると腹立たしいですね。手に持ってたいろはすのペットボトルがグシャってなったりします。知らんわ、お前のモノサシで生きてるんじゃないし。なんて思ったりもします。

でも、そんな人に私の人生に関わる価値あると思います?


無い。あるわけない。そんな悪口で傷つくぐらいなら本読みます。推しキャラの夢小説書きますし、脳内で好きな音楽でも流します。だって、そっちの方が効率いいし。傷ついた心を治すのって外傷治すより大変なんだから、傷つかないに越したことないんです。


2 好き勝手しても許される

これを私は「レッテル貼りによるメリット」と読んでいます。長い間「変人」「奇人」をやってると、レッテルが貼られるんですね。

「アカネちゃんは私たちとは違うから」

ここまで来ればこっちのもの。日本人は「自分と同じもの」には厳しいですが、「自分と違うもの」については甘い傾向があります。

例えば、電車に乗る時。日本の常識では降りる人を優先します。日本人がそのルールを無視すると絶対零度の視線が突き刺さることでしょう。でもミランダ・カーみたいな美人さんが、ルールガン無視して降りる人を押しのけていっても怒る人はあんまりいません。「外人さんだから仕方ない」でおしまい。堀北真希がそれをしたら許されないのに。「日本人」という同じルールを共有してる人に対しては日本人は厳しい。けど「外人さん」には自分たちのルールが共有されてないから甘い。

これを利用します。こちらは別になんの害も与えずに生きていますからね。社会規範にものっとり、校則も法律も遵守してるんです。

それ以上は私共有出来ないよ。って無理やり分からせてる感じです。

これ、ほんとに楽ですよ。何やってもほっといてくれるので。


3  なんだかんだで自分が好きだから

1番後回しにしたけど、これが私の根本かもしれない。

私は自分が好きです!I love me!!

ナルシスト?上等。好きに言えばいいんです。私は私だから。今日も私は可愛いし、愛らしいし、賢いし、素晴らしいんです。明日も明後日もその次もそうです。私は世の中にない唯一無二の存在なんです。絶対。

だから「変人」とか「奇人」とか言われると「よく分かってるじゃん?コイツ」ってなります。(でもその人にあんまり興味ない)


まっとうに生きてるんです。誰に恥じる必要のない人生送ってるんです。なのになんで私が傷つかなきゃいけないんですか?

そんな必要どこにもない!


自由に生きられるんです。生きていいんです。私たちには価値があって、生きてるだけで価値があって、明日も明後日もその次も、一生涯その価値は誰にも奪われないしプライスレス。



以上。つらつら話しました。予想外に長くなったから、ちょっとびっくりです。そしてなんならまだまだいける。やっぱり私は言葉が大好きです。でもスマホじゃ少し打つのがキツい……パソコンないから仕方ないですけど‪w


アカネでした。また言いたいことが出来たらつらつら話はじめます。それじゃあ、また。





【オマケこぼれ話:昔の話】

前まで自分のこと大嫌いでした。ずっと死にたかったし、助けてくれる誰かとか、愛してくれる誰かとか欲しかった。でも、そういうのって探してる間は見つかんないんですよね。チルチルとミチルの「青い鳥」みたいな感じで。上から手が差し出されてんのに下見てちゃそりゃ気づかないってね。


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