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はじめまして、

私(25歳、社会人ぺーぺー小娘)がポストする記事に何かを期待するのは禁物です。
初回は、練習がてら、今の会社に新卒入社するに至るまでの、平凡そうでちょっと変わってる女の子の物語(自己紹介)だと思って、
お仕事の休憩にでも、コーヒーブレイクにでもチラッと目を通していただければ幸いです。

ちなみに国語が苦手で、言いたいことを端的にまとめることも下手なので
文章が長くなりがちですが、そういったこともこのnoteを機に
上達していけたらなと思っているので、最初のポストは敢えて
長ったらしく行こうと思います。ただ書きます。

暖かい目で見守ってください。

では、Here we go!

三重県蛤の名産地、田んぼに囲まれた田舎で
父、母、姉、私、妹、犬2匹
三姉妹の真ん中、明るい家庭で育ちました(ここまでは普通)。

父は望んでもないけどいつの間にか出世した会社役員
母は母方家族で喫茶店経営
姉は秀才で国立大学医学部を卒業し、学生時代から10年交際した彼と結婚して2児の母(ザ・理想)
妹は身長170cm超え抜群のスタイルで、今年社会人になりました。ガンバレ!

↑の4人は全員同じ地元の進学校出身
真ん中って変わってるよねって世間の偏見がありますが、たぶん変わってます。

私は通学時間1時間半、日本一線路の幅が狭い?電車(特殊狭軌と呼ばれるナローゲージの鉄道だそうです。私の長い脚を組めば、前の人の脚とこんにちは〜します。)を乗り継いで隣の市の制服が可愛い進学校へ。

学生時代は、ひたすら帰宅する部活に従事していました。

姉の彼氏(現旦那)が通っていた、名古屋の公立大学に憧れて
センター試験もしっかり受けて、しっかりスベって名古屋の私立大学に入学。

ふと、大好きなイギリス人モデル(Cara Delevingne)とどこかで偶然会えた時に、私は伝えたいことを伝えられるのか?
そして英語が話せれば日本人だけじゃなくて
世界中の人と友達になれる。。そんな素敵なことある!?と思ったら行動しないと気が済まない性格、

1年間アルバイトで必死に貯めた50万円で
大学3年生になる前の春休み1ヶ月、
ロンドンへ語学留学(初めての留学でよくロンドン選んだねとやんわり貶されるくらい英語聞けず話せず👍)

この1ヶ月で得たものは、
・シンプルに人と出会う素晴らしさ
・30歳でも40歳でも、学びたいと思ったら「学校」に行く人がいること
・当たり前はこの世に存在しないという価値観、多様性
・英語がもっと話せたら、もっと楽しめたのではないかという悔しさ
・1ヶ月では足りないと思えたハングリー精神
・日本食サイコー

帰国してからどうにか長期で英語を学びながら海外で生活できないか調べまくり、
さすがに自分一人でどうにかできる金額ではないことはわかっていたので
親からの金銭援助を最小限に抑えられるプランを練って、親にプレゼン。

幸いにも私の両親は、背中を押してくれる人たちで
挑戦する娘の可能性を広げてくれました。
(父は海外勤務で20代の6年くらいをベルギーで過ごしていて、母もベルギーで姉を出産して向こうで生活を送っていたので割と寛容)


「高校は3年、大学は4年、ストレートで卒業して23歳の年でとりあえず名のある企業に新卒入社して社会人になる」

これが、当たり前、とどこかで刷り込まれていた
それまでの私が聞いたらびっくり、とても大きな決断で、

大学4年生を一年休学。

2016年2月〜7月の5ヶ月
常夏の発展途上国、国民の幸福度ナンバーワンの
フィジーで語学学校に通っていました。
(向こうに着いて2週間で南半球イチのサイクロン直撃、1〜2週間電気使えずスマホ使えずロウソクで生活してました。
そして基本私の部屋でネズミとゴキブリが私の食料貪ってました。おかげで不眠症にも)

姉の結婚式のため一時帰国し、
2016年8月〜2017年2月の半年間
アルバイトで貯めた30万円だけを口座に入れて
オーストラリアはパースで、ワーホリしてました。

オーストラリアでの目標は、
語学学校には通っていなかったので、
現地の友達を作ること。
マレーシアンオーストラリア人が経営していたジャパニーズ創作レストランで、
お客さんとして来てくれたオーストラリア人と仲良くなって
今でも連絡とったり会ったりしています。

日本で働いている外国人を見ると、今でもあの頃の自分を思い出して胸がキューっとなります。


帰国して、特にやりたいことはなく、
まぁ強いて言うなら、年齢性別国籍関係なく実力で評価される会社がいいなぁ、
と思いながら私の就活が始まりました。

ここで時は遡ること約5年前?(長期留学前)
20歳の頃に名古屋の飲食店でアルバイトをしていた時に、
うちで働かない?と名刺をもらったことがありました。
実は、それが今の会社です。

名刺を渡してくれたその人は、今となっては直属の上司ですが、
当時青山と心斎橋にしかストアがなく
心斎橋に勤務していた日本一のセールスだった人が名古屋に営業に来ていて
プライベートでたまたま入ったレストランで私が働いていて、
こんな性格なので誰にでも会話をふっかけちゃうのですが、
インプレッションが良かったのか、何かを感じてくれたのか、
はたまたシンプルにただ人が欲しかったのか、声をかけてくれました。
今の私を作ってくれた、上司にももちろん感謝してもしきれませんが、
当時の自分に本当に感謝しています。

その日にお礼のメールだけを送って
それから2年間、その方の名刺をずっとiPhoneのカバーに挟んで保管
(オーストラリアから日本に帰るシドニーの空港で、見事にiPhoneなくして名刺紛失しましたが)、
帰国してから、就活のアドバイスをもらえればなーと
軽い気持ちでしたが、あの時からこの会社のことはすごく興味があったので
すぐにメールを掘り起こして連絡をしました。

行動を伴わない想像力は、何の意味も持たない。
Imagination means nothing without doing.
(私偉人の名言オタクです。これはチャーリーチャップリン)

偶然なのか必然なのか、私が連絡をした数日後にたまたま
「三重に納車に行くから、会いましょう」と再会することができました。

そこから面接に繋げてもらい、
たまたまその数ヶ月後に名古屋に新店舗ができるタイミングで
半年の有期インターンとして採用してもらいました。
(新卒採用をしていないので、正社員として内定をもらったわけではありませんでした)

そこから、インターンが始まるまでの2ヶ月ほど
自分のポテンシャルがどこで発揮されるのか知りたかったので
他も見ておこうと5社くらいバラバラの業界の企業を受けて、
1社、商社に内定をもらいました。


インターンとしての出勤初日のことは、今でも忘れません。

詳しいことは書けませんが、
インターンといっても業務内容・評価は、同じポジションの社員さんと一緒です。
右も左も分からない私に、ハイ、やって?と。
研修?名刺の渡し方?なんですかそれ。
Try and Error、やりながら学ぶんです。

私には、合ってましたが。

ただのインターンでしたが、
上記商社の内定は、インターンを始めて早々に辞退したので
内定ゼロでした。必死でした。

ここで内定もらえなかったら、また海外行こうって腹括ってました!

幸いにも、インターン期間を延ばしてもらうことができ、
私が大学をちゃんと卒業できたら、正社員として雇用しよう、と枠を空けてもらえて
持ち前の国語力のなさでゼミの先生を卒業論文で困らせながらも無事に卒業し、
持続可能なエネルギー社会を本気で目指している会社の、正社員になりました!

ただひたすら、この会社、すごいんです。(語彙力)


プハー、長かったw


私がどんなマインドで今の会社で働いているのか、
この会社で学んだこと、そしてそれによって
これから私がどんなことをしていきたいのか、
若いからこそできること、伝えられること、

などなど、これから書いていけたらなーと思っております。

簡潔にまとめますと、ご縁で生きている人間です。

タバコ休憩していた人は3本くらい吸っちゃったでしょうね。
ご自愛ください。

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