見出し画像

土地と育てる・目を受け継ぐ・子に教わる:世代と自然をめぐる対談〈下倉絵美(工芸作家)×平野馨生里(石徹白洋品店)〉

自然から生まれ歴史のなかでつむがれてきたアイヌ紋様と、地域の歴史のなかでアップデートされた洋服。人は土地でいきながら、いかに自然への視線を獲得し、新しいモノづくりへの一歩を踏み出すのか。作家でありながら母でもある2人の会話から土地と歴史のなかで育まれる自然と人間の関係を考える。

写真 2021-03-22 3 37 21

下倉絵美(上)|幼少期よりアイヌ文化に親しみながらも、姉妹ユニット「Kapiw & Apappo」を結成しアイヌ歌謡の魅力を伝える傍ら、アトリエ「cafe & gallery KARIP」で創作活動を行う。夫は、同じく阿寒湖で彫金作家として活動する下倉洋之。

平野馨生里(下)|岐阜市生まれ。学生時代に文化人類学を学びカンボジアの伝統織物に携わる人々を研究。2011年に岐阜県の山間集落、石徹白(いとしろ)に移住、2012年に石徹白洋品店を始める。地域に伝わる衣「たつけ」や「はかま」の知恵や技術に魅了され復刻、作り方を伝えるWSなどを開催している。

——まず自己紹介をいただいてもよろしいでしょうか。

下倉絵美(以下、S):北海道の阿寒湖畔で、彫金作家の夫と共に「Cafe&Gallery KARIP」を運営しています。工芸に改めて関わるようになっていったのは阿寒湖に帰ってきてからです。今はガマの織物や素材を使った商品をつくっています。

阿寒湖畔で育ったので周りにモノづくりに関わる人達が沢山いました。木彫りに触れたり、母が刺繍している姿を眺めたり、祖母の手仕事を教えてもらったり。時々その時の空気感や匂いを思い出したりします。

平野馨生里(以下、H):岐阜の集落・石徹白に、2011年9月に引っ越し、2012年5月から石徹白洋品店というお店を立ち上げ、「たつけ」と呼ばれる農作業のときに使うズボンなど地域の歴史に根ざした服をつくっています。子供をおんぶしながらミシンをつかってひとりで制作していましたが、2017年に会社にして、仲間とともに経営もしています。わたしも東京に出てから自然が近いところを求めて、ご縁があった石徹白に移住しました。

たつけ着用写真

▲平野が手がける石徹白洋品店で復刻された「たつけ」。コットンを土地の藍で染めている。

——東京から、それぞれの土地に移住された背景を教えてください。

S:2011年まで関東に住んでいましたが、東日本大震災をきっかけに北海道に帰ってきました。北海道はわたしの生まれ育った土地だったし、いつか家族で暮らしたいと思っていたのと、生活の近くに土があるところ、自然が豊かな場所で暮らしたいという気持ちがありました。

H:わたしも、土の近いところで子育てをしたいという思いがありました。実家のまわりには自分が小さいころには空き地や砂利道があって遊ぶところがあったんですけど、いまは全部アスファルトに埋め尽くされてしまいました。暮らしをつくるには、もっと自然に近いところがいいという意識があったんです。

——おふたりとも、地域から生まれるものづくりに携わられています。そこには地域の上の世代から受け継いだものがあるんでしょうか。

H:そもそもわたしがつくっている「たつけ」は、かつて農作業のときに使われていたズボンで、もう誰も着なくなっていたものです。それを地元のおばあちゃんに教えてもらい、まず形をつくりなおすところからスタートしました。

もともと大学時代に、人の生きざまや、その背景にすごく興味があり、文化人類学を勉強していました。ライフヒストリーをフィールドワークで集めるような感覚で、古いものとか伝統的なものを今の時代にどう活かせるかっていうそういう観点から、デザインし直してプロダクトをつくっています。

S:私も先輩達に教わっています。ござ編みにはアイヌ語で「シキナ」と呼ばれる蒲の葉を使うのですが、素材として売られているものではないんですよね。最初は叔母に分けてもらってつくり始めました。その後、実際に自分で採りに行く機会があって、初めてその作業の大変さを知りました。

画像2

▲アイヌの人々が生活でつかってきたゴザをつかって下倉がつくりあげたバッグ。

——地域のなかで子育てをしながら制作をされているんですね。

S:馨生里さんは子育てをする環境として、とても良い土地に巡り合ったんだなあと、お話を聞いて思いました。東京で子どもが小さいころに、家事、育児、仕事などをこなすことが、わたしにはとても大変でした。自分の時間を確保するのがとっても大変で。

私の叔母が話してくれたのですが、子供が小さい時に自分がベビーベッドの柵の中に入って制作をしていたことがあったそうです。外にいる子どもがベビーベッドの中のお母さんに触ろうと手を伸すという……。ものづくりする母親はみんな必死ですね。

H:わたしは絵美さんと違って移住した人間なので、親族からの継承はあまりないです。ただ地域の人たちからは、もらうものがたくさんあります。さらに、直接わたしがお話をうかがう以外にも、子どもから学ぶことが多いことです。保育園の園長先生が地元の人なので、そこで子どもが教わったことを話してくれるんですね。登園とか下校の時に一緒に歩いているときに、植物の種類や、活用法を教えてもらったり。そんな知識が染めにつながったりして、服づくりにも活かされています。

S:わたしも子育てから教わる事がありました。地元の幼稚園は、自然と子どもを触れ合わせるという教育方針で、そり遊びや、わかさぎ釣りの様な地域に根ざした行事がたくさんありました。そこに親も参加する。その中で、わたし自身も改めてこの土地と向き合うんですよね。自分が子どもの頃に見ていた風景や忘れていたことを思い出したり。

——地域の自然と制作をされるなかで、楽しいこと大変なことがあったら教えてください。

H:楽しみなのは、山に入って土に触れることですね。その体験はすごく豊かです。確かに遠くから宅配便が運んでくれた素材だと、すぐに使えるのですごく楽なのですが、やっぱり喜びが半減するところもある。周りの植物を採取してその場で使えるのは、豊かな自然に囲まれていることを実感できるプロセスなんです。こんなに恵みがあるから、それを形にしたいという欲求が大きくなっていきます。

やっぱり、ここでしかできないことをやらないと意味がないんですよね。いまはお金出せば、どこからでも何でも仕入れることができる。だからこそ、わたしたちにしかできないモノづくりをしていかないと、もったいない。だから、染めや「たつけ」を通じて、この場所ならではのものづくりを実現したいと思っています。

S:素材の採集は重労働だから大変です。草の種類も沢山あるから間違えたりもして。でも間違って採取したものでも何か新しい作品につながることもあったり発見があったり。目的が採集じゃなくても、森に入ると自然にテンションが上がってきます。きっとそうやって自然から受け取ったものからイメージやアイデアを生み出すことが日々の生活を豊かにするんだなと思っています。

画像5

▲「Chi-Kar-Ita」のパッケージ制作は下倉が紋様のデザインを担当。他の作家が制作した作品が収められる。(写真:間部百合)

——最後に、今回下倉さんがつくられた作品「Chi-Kar-Ita」について伺ってもよろしいでしょうか。

S:「チカライタ」というのは、アイヌ語で「わたしたちがつくった皿」という意味で、デザイナーの野田久美子さんと一緒にパッケージ制作をしました。わたしはアイヌ文様のデザインを担当しました。民芸のお盆と聞くと素朴で重量感があるイメージがあったのですが、パッケージではあえて真逆のアプローチで、シンプルさを追求する野田さんの提案に寄り添っていきました。

表面のアイヌ文様も伝統的な形そのままではなく、要素を取り入れつつ自己流にアレンジしてみました。散歩をしていて自分が摘んだシロツメクサの花のモチーフがアイヌ文様の中にポコンと出て来ちゃった様な感じで。

H:最初に見たとき、わたしがいままで知っているアイヌの模様とはだいぶ違うと思いました。今日お話しをしていると、絵美さんの見ている世界の雰囲気を確かに感じますね。自由さと繊細さというか。

画像5

▲下倉は、この箱にジュエリーをいれてみたいと対談中に語っていた。(写真:間部百合)

土地と創作、そして家族の結びつきへの愛を語る下倉と、土地の歴史のなかの必然性を掘り起こす平野。次の世代を育てながら、ともに自然と向き合う2人の視線は現在を向きながら、少し先までを見据えている。変わりゆく自然のなかで、人はモノをつくりながら歴史を紡ぎだしていくのだ


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?