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ResidentDJ

 北も南も云われるがままに旅していた時期があった。
「云われるがまま」であるがゆえ演奏旅行やドサ回りという感覚すらなく、もちろん「旅」というほどの優雅ななにかでもない。
 即物的に点と点の間を、ただ移ろう。
 クラブハウスでオールナイトをしたあとの朝に眠るのがおきまりであったから、旅情などというものは睡眠に物理的に取って代わってしまうし、夢はみられても風景などというもののみようもない。
 せいぜいがサービスエリアでたいして美味しくもない(それゆえに私は喜ばない)変なお土産を食べたりする程度。
 あれは一体なんだったのだろうか、そう思い返すとただただ浪費されるための時間の流れというものがこの世にはあって、記号的な点としてしか示しえないような土地のといおうかハコの記憶がわずかにあって、その奔流のなかでただただ耳を悪くしていただけだった、としかいえない。
 不可思議な体験だった。
 だって、難民であってすらもが土地に愛着を懐くものなのである。
 東日本の大震災が起こったおり、私は茨城の取手、水戸の公民館を点々させられたのだったが、そこで提供される菓子パンやおにぎりをありがたく食べては、途方にくれてただ表へ出てそこにある道々を歩いているだけで、ここにも人が住んでいて、生活を営んでいるのだという、その部外者であるからこその無邪気な詩情のごときもの、奇妙に牧歌的で健全な眼差しをもってそこを、眺めていられたものだった。
 人間ひとりが一つの人格のみで生きているのではないのだとしたのならば、旅をする人格、というもののたしかに人性を養い鍛えるものであるとは、グランドツアー文化などをみてもわかることだ。ヨーロッパ人はなにかにつけ、イタリアを目指してきたものだった。
 であったとしたのならば、あの大音響の瀑布に遮蔽されたような、記憶の遁走そのもののような空白とはなんだったのか。それ自体が青春のすさまじさだったのか。

静かに本を読みたいとおもっており、家にネット環境はありません。が、このnoteについては今後も更新していく予定です。どうぞ宜しくお願いいたします。