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私のサイン

 昔どさ回りさせられていたころの話だ(私は場のつなぎとして影のように出演していただけだが)。
 憶えてないだろ? 千秋楽の東京でやたら集客をした日があった。 もっとも千秋楽もこけら落としもあったもんじゃない、そんなことは客のだれも知っていることではないのであって、いつものごとく私たちが勝手に今日は東京東京、ほんで終わったら皆で映画組とホテル仮眠組とに分かれて(というわけで僕は、うつらうつらとオールナイトのあとの寝惚け眼で、コーラのストローをくわえて新宿TOHOシネマズでイタリア映画を観ていた)、昼に合流して呑む! とかこっちで適当に盛り上がっているだけのこと。ハウス稼業なんざ地味なもんであり、趣味や、自己満足であるから、せいぜい手前らで修学旅行ばりにはしゃいでいるしかない(それでも僕はオーナーから例え百円であってもいいから、カネを巻き上げていた。自分、小説を書く人間だから、そのための時間を音楽に割きたくないんで――素人であれこの手の矜持はもっておけといまでも思っている)。
 なんだよこれ、適当にやってるうちキャパ埋まりそうじゃん、アニソンだなこりゃ(そのころはアニソンDJにも頭数合せで出たりしていた)、とか舞台袖で寝袋にくるまった私が云うと、大学時代の友達が来てるんですよ~、とその日の目玉の女性DJが云う。同窓会じゃねえんだ、このやろー! とか、いえいえ違うんですよ~とかやり合っているうちにほだされたり来たりして、じゃあしゃーねえじゃねえか、お前の仲間がくだらねえ奴だと思われたら面汚しになっちまってんだよ、この状況は。あー面倒くせえ! とかなんとか云い、出番が彼女の前であったので、お前なに演るんだ、としつこく絡んだ上で、普段したことのない、クセのあるトリッピーな演奏をこなす。
 ひどい湿度の夜だった。高音を出しては一瞬で無音にして聴覚を攪拌し、左の壁に音の震動を打ちつけては今度は右、と不規則にパンををくり返しているだけなのに、次第に演者(私)も客もわけが分からないことになって、前列の客が爆笑を始め、ぼうっとメロウに揺れているだけだったヤツが手を叩いて傑作傑作、という表情をしている。満面笑顔(ビジネス)で指先だけくるくるしながら、よしアイツ落ちてくれた、アイツ踊ってる、アイツまだ冷静だからあそこまで音届かせてやれ、と演り続けていた。どうせ彼女のは、しんと骨格のあるダブなのだから、食ってしまうことはない。
 それであとは差し入れのシュークリーム食って、耳栓を装着して、ハムスターみたいにちゃんと舞台袖の寝袋に帰って寝ていたら、酒酒、酒呑んでやって、手が足りねえんだよ伊藤ちゃん、とボスが来る。今日は呑まねえよバカ! 映画観る前には酒呑まねえって決めてあんだ! と拒否していたら、諄々と、イヤこんだけ客入っちまったから、ドリンク飲んでもらわねーと箱の主人に申し訳ないんだ、とかなんとか、筋の通った理窟を云ってくるので、カウンターにつき客と一緒にどうでもいい下ネタで盛り上がったり、片言の外国人にむけミッキーマウスばりの英会話力でサービスしているうち、彼女のCD―Rのアルバムだかになんか書けとか言われて切りがなくなる。陰で舌打ちして、その頃いた前座の若い男の子に(なんでもつれてやった。旨いもんも食わせてやったし、いい映画のリバイバルにも連れて行った、全身で教えてやった。んで結局すぐいなくなった)オイ俺の万年筆持って来て、と恫喝をし、
「カレーにカツは合う いとう( *˘ω˘*)」
「目をつむると人は寝る いとう( *˘ω˘*)」
 などとひとつひとつ色紙調の箴言をつけたサインをする。
 私がサインをしたのは、そのひと晩だけだ。

静かに本を読みたいとおもっており、家にネット環境はありません。が、このnoteについては今後も更新していく予定です。どうぞ宜しくお願いいたします。