意識が高すぎる

たまに思い立ってはテキストエディットに日記を書きなぐり、ローカルフォルダの奥のほうにしまっておく程度の筆不精で、文章に限らずほとんど3日坊主で終わることが多い。今回もそういう具合になりそうだ。

ただ一つ前の日記で書いた、祖父が死んだ時のことがどうも気になってフォルダに沈めておくのも忍びなくnoteに登録して公開してみた。ほとんど誰も読んでいないも同然だが、なるほど他人に見られる可能性があると考えると奥底に沈んだテキストファイルよりは推敲の余地があって面白い。

もともとnoteの記事をブックマークして読んではいたものの、せっかくユーザー登録したのだから誰かをフォローしてみようと思い立つ。おすすめの記事で出てくるものを見ていくが、これがどの記事も総じて意識が高すぎる。みんな本当にこういう記事を読んでいるんだろうか。「やっておくべき」「おすすめ」などが多くて疲れてしまう。自己啓発本が売れる世の中で、noteのユーザーにそういう層が多いということなんだろうか。

漫画などイラスト中心の投稿も人気のようで、noteユーザーは大別するとこの意識高い層とイラスト系をライトに読む層が多いのか。note自体の機能やデザイン面からそういう層に向けたアーキテクチャになってるんだろうな。

あとはそういう機能があるから使っているのだろうけど、冒頭に目次を貼り付けるのが流行っている(?)ようだがあれはどうなんだ。たいして長くない記事に目次をつけても、冒頭から読解の手間が増えるだけだ。短い文章であればするりと流れでわかるようなものが良くないかな。

本のような媒体で腰を据えて読み込む時にこそ目次は有効な気がして、まとめサイトやネット記事で目次を入れる必要性がよくわからない。さくっと目を通して終わってしまう媒体だからこそ内容を端的にまず書いているということなんだろうか。僕は逆に冒頭から短い文章で内容を理解しないといけないので飛ばすか戻ってしまう。ウェブの記事は時間が空いた時にふと眺めて読める軽やかさが必要な気がするんだけど。

意識高いのが苦手なのではない。たまに専門分野に特化してマニアックな内容を公開している方がいて、そういう記事は大変面白い。ようは形式化された意識高い系っぽさが気になるんだろう。合理的とされているある種の形式を有難がる感じが嫌な感じだ。

いくら有用なことでも端的に説明するだけでは伝わらないニュアンスや薄く見えてくる構造とか、熱さみたいなものがある。そしてそういう熱を込めずに、なんでわざわざ投稿してるんだろう。不思議だ。

しかし有用なことにはあまり興味がない。noteではなるべく無駄な文章を、もっと些細な、どうでもいいような誰かの揺らぎを写した日記が読みたい。

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