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巻き込まれて、映画監督。

<長編映画制作を初挑戦>で、初クラファン中なのですが。
https://motion-gallery.net/projects/horishiro

なんだか、めまぐるしく進んできて状況整理できていませんでした。
画家の先輩からネットの発信について伝授して頂き、
noteもトライしてみようと思いました。
今思うと、ネットに疎すぎなくせにクラファンを始める事自体が
結構きびしいことなのかも、、ですね。
映像チームメンバー全員がわりと疎いとゆー。。
しかし!! 頑張ります!!🔥
情熱がある人間の集まりなので、やろう!!ときめたらGO!しかない状態で
スタートをきったプロジェクトでもあります。

1. 誰やねん ってゆー

そもそも私は"何者"なんだ?とゆーとこからですよねぇ。

朱池亮人(アカイケリョート)美術家です。
もっと細かく言うと、画家です。
さらに細かく言うと、日本画家です。

国内で美術を勉強してきた人しか知らない謎のカテゴライズ"日本画"
とゆー絵画を大学院まで専攻して、修了後は
台湾を中心にアジアで絵画作品とかを展示販売して美術家として活動しています。

正直「自分の作品は日本画だぜ!」と思って制作してる訳ではありません(笑)
でも、日本画って言うと結構カッコよく聞こえるらしいので、、
テンション上げてもらえるなら、日本画家ってとりあえず言います的な。(笑)
(基本的に"カテゴライズ"や"線引き"に拒否反応でがちな人間です。)


2. で、なんで"映画監督"。

クラファンページでは、プロデューサー/俳優でリーダーの渡邊卓を中心に
チーム結成ストーリーが掲載されているので
私の情報はそんな載ってないのでここに書かなければ!!と思いました。
一言でいえば、、気づいたら『巻き込まれてた』って感じです。
ホリシロ、ホリシロ っていろんなところに書いてありますが、
"ホリシロ"とゆーのは、我々映像制作チームの名前です。

<HORISHIRO>=無自覚な可能性の"掘りシロ"を見つけよう!
をコンセプトに立ち上げた映像チームです。


これは、すごく同意できるコンセプトではありました。
表現する人間は、他の出力方法にも可能性はあると思っています。
ダンサーが物書きに向いていたり、役者が画家に向いていたり。。
実際、自分はこれだ!と思い込んで続けている表現活動を
違う出力法で試した時にそのほうがシックリくる事は、多々あります。
ホリシロはまさにソコを"掘りシロ"として見い出すことで
それぞれの可能性を映像作品に注ぎ込む流れをサポートしてくれるチームです。
(伸びシロ=自覚している可能性という定義の元で。)

だからこそ、わたしも『巻き込まれた』のです(汗)

リーダーでプロデューサー・俳優の渡邊とは、
2018年に共通の友人のセッティングで
246沿い池尻と渋谷の中間地点のカフェで はじめて出会いました。
ブロウタイプのメガネに、スーツ姿、分厚い革のバッグを持って
テケテケとした口調で、落ち着きなく話しかけてきて
正直、第一印象は<胡散臭い>そのものでした笑
当時の印象、、↓

渡邊「今、一人で映像を作ってて、アイデアがほしい」

そう言われたのは そこに同席した共通の友人が
わたしの幼馴染であり、
わたしが昔から映画・MV・CM映像が好きで
映像をつくりたいと言い続けていたのを記憶していたからです。
といっても、演者さんと映像作品を作った事は一度もなかったので
大丈夫かな?とゆー不安はありました。

渡邊「とりあえず、作った映像見てくれる?」
と、渡邊はスマホの画面で自作動画を見せてきました。
私「これは、、すごく、つまらないですね、、、」
思ったことが口から自然とスルっとでてしまいました。
一瞬ヤバっ、、と思いつつ渡邊を見ると
渡邊「そうなんだよ。すごく、つまらないんだよ。どうしたらいい?」
と真っ直ぐに聞いてきました。
面白い作品をつくりたいのに、自分一人ではどうしようもない事を
私に伝えてきました。
渡邊「〇〇先輩も、全く同じ顔で、全く同じことを俺に言った」
渡邊の俳優の先輩〇〇さんは、映画好きなら憧れる
あのジャパニーズムービースターでした。

「まず、〇〇先輩に一言でもオモシロイと言ってもらえる作品つくりたい」

私は、渡邊のこの一言でスイッチを押されてしまいました。
・その渡邊の動画よりオモシロイ作品を作れる自信はあった事。
・映像素人にも、素直にアイデアを聞ける柔軟性とフットワークの軽さ。
・もし、駄作になっても責任をとってもらえる事。
・そして、その〇〇さんにも、いずれ自分の作品を見てもらえる事。
この4点でわたしは返事をしてしまいました。

私「自分でよければ、、、手伝わせてください」

その一言のあとには、もう三歩くらい話が飛んでいました。
渡邊「来週、伊勢に撮影行く。俺フンドシ姿。で、面白い話考えて」
内容は決めずに場所と、モチーフは決まっている状態。
わたしは、その場でアイデアをいくつか出しました。
渡邊は、その内容に興奮してずっと前のめりになってくれていました。

ただ、「日本文化」「フンドシ」「神様」「一等賞」など縛りのなかで
必ずやってほしい。と言われました。

あとあと聞いたら、
その時はスポンサーの指定での縛りだったらしいです。
3日後に構成を無理くり絞り出し、渡邊に送りました。
一人の俳優<TAKU WATANUKI>のドキュメント風にし、
続編にできるように、
その先のストーリー展開に広がりをもたせた作品に着地しました。

今見ると 荒さ、雑感、構成の無理くり感はありますが必死で一作を作ってみよう!とゆー熱意は感じる作品にはなってます、、
渡邊が巻き込んだ演者さんやスタッフで作った、
渡邊自身の希望も込めたフェイクドキュメント作品になってます。

しかし、
この作品を制作後、わたしの画業も忙しくなりタイミングなども重ならずに
しばらく渡邊とは会わなくなりました。

2020年。
コロナ禍になって海外での展示活動ができなくなってしまった私は
また渡邊と映像作品をつくる事になります。
東京都主催のアーティスト助成プロジェクト<アートにエールを>

渡邊「この助成で、二人でまた作品つくらない?」
との話に、私は再び巻き込まれたのです。
ただし、0から話も考えていいし、オリジナル作品で良い。
という前回の縛りだらけの内容から解放されたものであったので、
ミニマルに無背景で、コロナ禍生活を描いたモノローグ作品にしました。

当時、感染を予防して現場に行くことはできなかったので、
完全リモートで演出できる内容・手法に限定しました。

撮影現場のシロホリスタジオの図面を入手し、
カメラ位置画角を決定し、
数カ所のバミリに番号をつけて立ち位置設定し、
場面転換はフレームの下手か上手にハケる。

人形劇のようにバミリからバミリへの動きも台本に記入して
その本通りに動いてもらい、
音声はアフレコで、シーンごとの
撮影をして繋ぎ合わせるとゆう、かなり計画的な制作方法で撮影し、
編集し、シンプルに仕上げました。

本作「Staysafe.」はその後インドとモルドバの映画祭に入選し、
現在AmazonPrimeでも視聴可能です。

https://note.com/akaike/n/n7120f717925c

このシロホリスタジオで、作った二人の作品をきっかけに
私の脚本・監督としての担当ポジションが、明確になりました。

そして、映像チームHORISHIROの活動が動きはじめたのです。
("シロホリスタジオ"で一番最初の作品をつくったことも
<HORISHIRO>の名前の由来の一部になっています。)


そんな感じで、

美術家として活動をしていた私は渡邊に出会い、

監督としての"ホリシロ”を見出され、巻き込まれるカタチでモヤ〜っと

"映画監督のようなもの"になって行くのでした。


そして、そのあと
カメラマンでVFXのシンヤイシマツがメンバーが加入して
ついにはじめての『短編映画』を制作するようになります。

2020年から、ドゥワァーーーっと現在まで続くお話です。

そこからのお話は、
HORISHIROメンバーでの会話音声としてアップしますので
ご興味ございましたら、是非。↓

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