見出し画像

ソーシャルディスタンス 6.ピークは過ぎた(小説)

Case.6  ピークは過ぎた

体が悲鳴を上げている。肩、腰、背中。あらゆる箇所にコリを感じる。今は水曜の昼間。テレワークの合間を縫って、二ヶ月半ぶりに整体院へ向かっている。

3月の末に在宅勤務生活を始めてから、早い段階で体の不調は出て来ていた。
ダイニングテーブルでの仕事、前傾姿勢でのモニターの凝視、ステイホーム生活での運動不足。アラフォーの年齢相応にもともとガタは来ていたが、月1回身体をリセットしてもらっていた整体院も緊急事態宣言下で休業となり、おそらく骨格も筋も歪みに歪んでいた。

久々に昼の日差しを浴びながら最寄りの駅まで歩き、改札の手前でマスクを直した。電車に乗るのも実に二ヶ月半ぶりだ。週末も含めてほとんど毎日乗っていた電車に、こんなに長く乗らなかったことはない。高校に電車で通学し始めて以来、初めての経験だ。

可能な限り人の少ない時間帯にしたいと考え、整体の先生には平日の昼間に時間を取ってもらっていた。実際、ホームに到着した電車の乗車率はかなり低かった。

ホームドアに続いて車両のドアが開き、乗車する数人の客と距離を保ちながら足を踏み入れる。座席には座りたくないし、できれば吊り革や手すりにも手を触れたくない。

車内は窓が開いていて、空気が淀んだ感覚はない。それでもこんなに多くの人が一緒に身を置いている空間には、以前は感じなかった嫌な緊張を感じた。

そんな緊張を抱いているのは既に僕だけなのだろうか。座席にはふつうに人が体を密着させて座っている。僕と同時に乗車した中年の女性も、ドアが開くなり足早に、ひとつだけ空いていた席を確保しに向かった。

みんなはもうふつうの暮らしに戻しているんだな、と考えて、「ふつう」ってなんだ、と考え直した。

この世界は三ヵ月前とは違う。最早この世の中で、他人と肌を触れ合わせて電車のシートに座ることは「ふつう」ではないだろう。自然か不自然かでいえば不自然だ。不自然だけど今までそうやってきたから「戻した」だけだ。しかし戻したところで、もはや今まであった「自然」はそこにはないんじゃないか?

車内でもなるべく人を避けるように、先頭車両の踊り場的なスペースに陣取った。各駅停車の電車が進み、ひとつ駅に停まる度にホームを見回す。乗車する客がたくさんいたらどうしよう。この二ヶ月半躍起になって避けてきた密集状態に、少なくともこの後30分以上は身を置くことになってしまう。

乗換客の多い駅では尚更神経が尖る。予約の時間があるとはいえ、非常事態ともなれば一時降車することも考えた。しかし僕以外の車内の人々は、そう神経質にもなっていないようだ。友人同士が笑って喋るような声は流石に聞こえないが、みな銘々に大人しく、スマートフォンを眺めたり、じっと目を閉じたりしている。

僕が乗車を再開するまでに、電車という社会の中ではどんな流れがあったのだろう。きっともっと張り詰めた時期があったに違いない。誰かの会話を周囲が睨みつけたり、咳やくしゃみに殺意の視線を送ったり。

そういえば咳やくしゃみの音も聞こえない。この騒動の始まりの頃、「咳エチケット」なる言葉ができたのを思い出した。「お前の咳やくしゃみで他人が不快にならないように自粛しろ」そんな感じの意味をカタカナ語に丸め込む日本人の感性は、毎度のことながら流石だなと呆れていた。だがそれがもうすっかりと、乗客にインストールされたということなのだろう。

心配したほどの密集状況には陥らず、無事乗り換えの駅についた。と思ったら、降車客が密集してエスカレーターへ向かう流れに巻き込まれそうになり、流れが過ぎ去るまでホームの端で待った。

乗り換え先の路線はより人の少ない路線で、ここまで来ればと少し安堵を覚えた。ホームで既に待っていた電車には案の定ほとんど乗客はなく、各シートに1,2人が腰掛けて、立っている客はいなかった。

ドアが開き乗車。僕はシートに座らず、ドア付近に立って発車を待った。
車内には小さい子どもと母親などもいて、先ほどの電車内よりは空気が比較的緩んでいる。

僕はそんな光景を見ながら無為に発車を待っていたが、ドアが閉まってもなかなか電車は動かない。

「ホームドアから手を離してください」というアナウンスが聞こえた。電車が発車できません、ホームドアから手を離してください。駅員の男が繰り返している。

どうやら言われている当人は全く気付かないらしく、何度も繰り返す言葉は怒気を含んでいる。日本語は便利な言葉だ。敬語というのは敬意を全く伴わなくても機能する。

駅員が呼びかけているのは、僕の車両の前にいる男らしかった。スーツを着た営業風の男だが、ホームドアに肘をかけたままひたすらスマホをいじくっている。すると車内から1人の男が立ち上がってヅカヅカとそのスマホ男の方に歩いて行った。

普段着にリュック、メガネをかけてマスクをしたその男は、スマホ男と車窓を隔てて対面の位置にくると、車窓の脇に他の乗客が座っているにも関わらず、いきなり窓をガンガンガンと、拳で強く叩いた。

車内にいた全員がそれに注目した後に、外のスマホ男はようやくその騒音に気付いた。二人の男の目が合い、車内の男は腕を振って「どけ」というジェスチャーをした。スマホ男は体勢を変えぬまま敵意剥き出しで車内の男を睨み、次のアクションが起こる前に、電車が動き出した。

二人の男の視線が強制的に引き剥がされ、車内の男は何事もなかったかのように母子連れの横に座り、子どもたちも気を遣ったのか、何事もなかったように母親と会話を始めた。

この件と今の世情は関係ないかもしれない。それでもみんなの奥に押し込められたストレスは、きっと何か発露を得た瞬間に噴出するのだろう。

電車は目的の駅に着き、そこから整体院までは歩いて10分。久々に再会した先生は元気そうだった。「休み中の不摂生で太っちゃって大変ですよ」そう言った彼に経済的な困窮感はあまり感じられず、少し安心した。

台の上に横たわって施術を受ける。僕の身体は案の定、ひどく歪んでいたそうだ。「みなさんそんな状態ですよ」休業明けでやってくる患者は皆いつもよりひどく身体を歪めていて、彼曰くみんな「ポンコツ化」しているという。

いつもと違うプレッシャーをみんな受けてましたからね、僕は彼にそう言った。彼は自分の仕事の有用さを再確認したと笑っていた。

施術が終わり、次回の予約を取ってもらう。ここに来る前より、心なしかまっすぐ地面に立っている気がする。

「また長い休みが来ないといいですけどね」そう冗談を言い合って別れた。

乗ってきた地下鉄の駅に戻って、午後の仕事を片付けにオフィスへ向かう。地下に降りるという行為にも、以前とは違う緊張感を感じる。降りるというより、地下という密閉空間に入って行くという感覚に変わった。地上よりも限定されたスペースの中に。

階段を降りていくと強い向かい風が吹いてきた。空気の動きを感じられるだけありがたい。

改札から階段を抜けてホームに降りた。電車が来るまで10分以上ある。
ホームのベンチになんの気なしに座りそうになり、キュッと踏み止まった。吊り革も手すりも避けてきたのに、警戒心が薄れている。整体で身体が緩んだせいか、それとも時間が経ったせいか。

その場に立って10分待ち、やってきた電車に乗り込んだ。
見渡すと車内のシートは全て、きれいに一人分ずつ間隔を開けて埋まっていた。

(了)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?