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本気の葛藤。自分のやりたい事とは?

最近「自分が本当にやりたい事をやればいい」という言葉をよく見ます。
それがなかなか見つからず困っている人が多いのではないかと思います。

かくいう私も「自分が本当にやりたい事」という言葉にはとても弱いのです。
それは、ここまで他人を軸にさまざまな事を決めざるを得なかった人生だったからだと思います。


「どのようなことでも自分で選んだのです」と言われることもありますが、私が自分の人生を半分過ごしてみて思うのは、その時々での選択は選べない環境の中での選択も多く「自分の意思を通すことが出来なかった末の選択」であることも多いと思います。

今、振り返ってみても他に選択肢なんてなかったこともあります。
でも、そんな行動を繰り返しているうちに、自分の「本心」がどんどん鈍っていき、わからなくなっていったような気がします。
今はそれを最小限にするために、どうしようもない状況でも、1mmでも自分の意思を採用する努力をしています。

自分の意思で決定したら責任も失敗も自分に100%返ってくるし、重圧や焦りもメンテナンスも自分で引き受けないといけない…。
これが誰しも「嫌」なしんどいポイントですね。

でも嫌だから人まかせ〜ってやってると
大人になっても「自分が本当にやりたい事は何なんだろう?」と悩む辛さにぶつかります。
これもいい大人になればけっこう辛いものなんですね。


そこで。
私が普段から心がけているのは、ほんの小さな決断かでもいいから、自分の意思ですばやく決定していくようにしています。

・何かを決めなくてはいけない時は、いつもより短く悩んで「コレにする!」と決める。

・例えばお友達とメニューで悩んでいる時、お友達よりも早く「私、コレにする!」と決める。(もちろん、やっぱりコレ!もありです)

・子どもに質問されたときはバンバン答える。
答えられないことはすぐに「調べるよ」と言ってその日中に調べて答える。

・・・とかね。


そういった小さな決断でも、自分で決めたことで清々しさを感じることができます。
そして、それを繰り返していると、決める力が宿ってきます。


それでもやっぱり「自分が本気でやりたいこと」とは未だ本気で格闘しています。
自分を知ることは難しいことだから。
もしかしたら他人の方が私をより深くわかっているかもしれない。
そう思っていろいろな世代の人に私の印象を聞いているところです。

そんな努力の積み重ねで、少しずつ輪郭ができてきたような気がしています。

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