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言語と性格

英語のときと日本語のとき私は自分で性格が変わるな~と感じています。実際に言語によって同じアンケートをしても答えが変わる、という研究結果も出ているので、不思議なことではないのかもしれませんが、私にとっては不思議な感覚です。インターネットでできる性格テストも英語で受けると日本語で受けるときとはちょっと違う結果になって面白いんですよ。

日本語の性格

日本語を話しているときの私の性格は、悩みごとが多くて、初めて会う人とはなかなか話が弾まないし、人見知りな部分が多くあります。これは中学校2年生を境にできた日本語を話すときの性格だと思っています。それまでは、日本語も英語も自分の中でしゃべるときもどっちつかずだったので、分化はしっかりしていなかったのではないかと私は思っています。中学校の頃の具体的なエピソードはこちらを参照してください!

このころから、日本語の遠回しな言い方だったり、察する文化だったり、そういう部分を積極的に自分の中に取り込んでいきました。もともといろいろな人を区別せずに接している節はありましたが、そこに拍車がかかって気遣い上手になっていきました。インターネットで”正しいふるまい”なんかを調べてみたり、自分のおしゃべりを抑えて聞くことが多くなったこともこの頃です。

今は中学校の頃ほど酷くはないですが、それでも大人数で会話するときも聞き役に回ったり、初対面では上手に雑談ができなかったりしています。電話も日本語で行うほうが苦手だったり、一人でレストランで食事したりすることも抵抗があります。今のところ一人で入って食事を食べられるのは某コーヒーチェーン店と某うどんチェーン店と某ハンバーガーチェーン店ぐらいです。おしゃれなカフェとか一人で入るのに抵抗がすごくあります(笑)

英語の性格

英語の性格は、おしゃべりになってアウトゴーイングな精神が宿ります。オンラインで英語のレッスンをしている姿を夫に見られたときにも、日本語よりもおしゃべりになるよね、と言われる始末です。

大学で留学生としゃべるときも、初対面でも積極的に自分から会話を振ったり返したりすることができると感じています。自分から話しかけることに英語になると急に抵抗感が少なくなるんです。自分でもびっくりする変化です。

アメリカに一人旅をしたときも、一人でカフェに入って朝食やランチをすることは平気だし、夜はピザやハンバーガーをとことこ歩いて食べに行きました。店員さんと話すことも苦ではないし、世間話もできちゃいます。本当にこの違いは何なのか自分でも知りたいぐらいの変わりっぷりです。日本に帰ってくるととたんに同じことができなくて戸惑いを隠せません(笑)

ですが、英語でしゃべるスイッチが中途半端にしか入っていないときは、日本語で答えを考えてしまうので、遠回しな表現を英語で言うちょっと文化に沿わない答えが口から出てきて、後から変な英語しゃべったな…とちょっとしゅんとします。

どちらでも変わらない性格

どちらでも変わらない部分ももちろんあります。基本は外に向けられているような顔です。講師・教師としているときや人前に出て話すときです。

仕事としての講師や教師の顔は、自分のなかのプロフェッショナリズムをもとにコントロールをなるべくするようにしています。もちろん崩れるときもあったり、その仮面をかぶることができるようになるまでしばらくかかりましたが、仕事として切り替えができるようになりました。例えば、電話をかけたり、どこかへ頼みごとをしたり、と相手の敷居をまたぐようなことへの抵抗が少なくなりました。プライベートでは苦手でも仕事ならできることもあると感じました。

人前に出て話すときのスイッチは、アメリカの小学校で受けた教育がすごく自分の中にしみわたっていると感じています。毎週のようにクラスで発表があったり、もともと目立つことが好きで演劇サークルや朗読サークルなんかにも入って活躍していたことも原因ではあると思いますが。これは英語で発表しても日本語で発表してもあまり変わらず発表用の態度で臨むことができています。その場で感想を言う、などというときにも、小学校の頃に習った考えのまとめ方をもとに発言していることが多いです。本当にしゃべることに関してアメリカの教育を感謝しない日はありません。

話すとき以外は?

英語や日本語を聞いている・読んでいるときは、それぞれの言語のニュアンスを感じて聞き取る・読み取ることができていると思います。このシーンだからこの言葉、みたいなことも考えながら聞き取ることができます。英語の単語のほうが自分の中に蓄積が減っているので、辞書に頼ることも多少ありますが、おおむね同じレベルのものを難なく理解することができます。

書くときはちょっと別の問題で、形式の決まっているような作文・小論文・発表するときの原稿は英語の性格が出る文章になることが多く、メールやチャットのようなときには日本語のような性格で書くことが多いです。それぞれの場面で書いてきた回数が多いものの性格が宿ることが多いように感じています。習慣は怖いもので、メールの文面は日本語の形式が身に染みていて、作文系の文章はアメリカで習ったものが身に染みています。メールなんかは日本語でも英語でも違和感ありまくりのものが出来上がるので、ちゃんとメールを書けるようになったほうがストレスなくなるのかな…なんて考えちゃいます。作文系の文章は主張をはっきりすることが趣旨になることが多いので、アメリカで習った形式に基づいて日本語で書いても違和感はなく、その点は嬉しいです。

また、プライベートでfacebookでは英語と日本語で同じ内容を書くことがありますが、書きたい内容によって英語が先か日本語が先かまちまちです。ただ、基本的には日本で生活しているので日本語で書くことが多いです。日本語を英語に直すことが多いので、日本語の性格に近い文章ができているのではないかな、と感じています。

まとめ

日本語で思考してしゃべっているときはよく英語の性格になりたーい!と思うことが多いです。同じ自分なのに都合よく切り替わらない自分にちょっとしょんぼりします。不思議にあふれる言語と性格の問題。もっと自分を正確に知りたいという思いに突き動かされます。来年からアメリカに滞在するので、その期間でまた自分の性格や考え方に違いが出てくるのか楽しみです!

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