霧散(memo)
安全でありたければここに来るべきではなかった。
消費されることもなく、手に取られることもない。まずそれを目的としていない。
そう言い続けている。
自分の表現や発散の方法としての創作は好むが、人に見られることは得意ではない。ぼくが描いた絵は親にケチばかりつけられていたし、工作もセンスがなかった。作文は評価されることがあったが僅差で選ばれないことばかりだった。奉仕活動────。自分のことが誰かのためになっているのが辛い。どうして僕をすり抜けて誰かの為になっていくのだろう。そう思いながらまだ誰かに必要とされる自分が欲しいことが現実として存在し続けている。大人たちの何気ない一言は呪いになって骨の髄まで張り付くので、無自覚に大人になっていくのが恐ろしくて悔しい。
コンプレックスが肥大化して眠れなくなる。
恥ずかしいことにプライドが知らない間に要らないほど高くなり、そうかとかと思えば自虐ばかりに逃げている。感情的で複雑で扱いにくいだろう……問うた事が無いので分からないし答えを聞きたくもないが。卑屈になりすぎて何にでも「まぁ……」と続けて暗い事を言うので怒られた。
制限付の「自由」を与えられた瞬間に、ぼくという生き物の錆びれた鍍金が剥がれ落ちた。何もできなくなってしまった。
年々、自分という変な生き物が嫌になっていく。大して生きてもいないくせに、怠惰に引っかかって全てを放棄しようとしている。頭が空っぽで、額のあたりから思考の全てが零れ落ちていくのを目視できているが、別にどうしようとも思わない。僕だけは僕を大事にしておこうなんてことを思っておく余分な脳味噌のリソースもない。終着点が見えないものや想像しずらいことが嫌いで難しくて疲弊感を覚える。自分にとって信用に足る人間ではないので自分の言うことが聞けないし。来たる明日が凌げれば満足なので、寝て終わってしまうのなら、それも有りだと思う。そうでなくても、薄目で珈琲でも飲んでいれば夜はすぐ隣にやってくる。呼吸さえしていれば明日は迎えられる。
常に考えていることが、生き死にでもなくなってきた。少し前までは、平たく言えば死ぬことばかりだったが、それを考えるのが酷く最悪な気分を齎すので楽しくなくてやめた。四六時中、家にいるはずもない猫を思い描く。猫を飼いたいので、猫と平凡な暮らしを送れるようになる迄はこの身のままで居たいものだ。猫はきっと良いだろうな。描という漢字も猫に空目する。直近で子猫を抱く機会があったのだが、あの身の軽さと熱を思い出すと苦しくなる。恋煩いではなく、命をこの手に抱くという責任の重さにだ。
この半年、ほとんどを家かアルバイト先で過ごしている。他の場所にほぼ出歩かなくなり、人と会わなくなった。人混みに揉まれず、気の置ける友人と良く話せることで、少し気が楽になった部分もあるが、依然として世界が狭い。自分を振り返ると、ひどく惨めに感じる。だからといってインターネットは広すぎて不向きだ。SNSは好きだが、それは情報収集の効率性と、感情の掃き溜めとしての機能面が良いのであって、知らない人の説教や御高説なんて頭がくらくらする。白黒のゴシック体は、時に即効性のある致死毒へ変化するため、辟易してしまう。日常生活に支障をきたすほどの感情や思想や情報を受け取ることがあるので、「トレンド」の地域を遠い知らない国に設定しておく。人の思想に大した興味を持ちたくない。自分に興味がないのに、どうやって他人にその気持ちを向ければ良いのだろうか。
反抗心と憂鬱はゴシック体に化けて出る。
気怠さはブルーライトに溶けていく。
歩いた後に何も残らないくらいがいい。何かを残そうとするのには忠実な精神力と向上心が足りない。
歩いた跡が常にこちらを見ている。己がしてきたことに虚しさと苦味だけを抽出していく。
もう終わりにしておきます。