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旅路の後。


が誰なのか、は常に考えている。私とは、違う気がする。夜の不眠の感覚とか、後悔の固まりとか、そういった気持ちの悪いものを坩堝に混ぜ合わせて出来た物、に思える。

彼女
が誰なのか、は良く理解している。記憶に焼き付いている。卒業式の教室、河川敷の帰り道、冬の影法師、私のことなんか忘れて、生きていて、思い出したように『友だち』になる。愚かにも彼女を叩いた私の過去と、変わらない笑顔が、痛い。

遠い昔、何かの同窓会の連絡が来た。

怖くて、

不出来な道化なので、無理矢理におどけて、行かないよ、と笑った、と思う。

怖かった。



というのが何を指すのか。
明確な答えは用意できないが、僕の脳味噌をゴシック体に起して、それに対して自他問わず時間を浪費させているのが僕の旅だという。多分、ね。

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僕の中の旅は、歩くことを同義としている。走ることが苦手な分、精一杯に歩くことで他と苦し紛れに距離を詰めていて、気がつけば喉の渇きも気にせず、何もせず、ただ景色を遠くに見据えながら歩くことが楽しくなっていた。
鯨は海底に有らず。
海底に都市を臨み、全ては偏屈に反転した夢だと分かったつもりでいる。

旅路は果てた。
しかし、旅の終わりは、不愉快なほど、遠くで揺らいでいた。



[おまけ]
(最近読んだ本→住野よる『よるのばけもの』
これから読む予定の本→ヘルマン・ヘッセ『デミアン』)

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