妻には言えない秘密の趣味
もし私が何も言うことなくnoteから消え去ったら、妻にバレたのだろう、と思ってほしい。
私は妻にnoteをやっていることは言っているけれど、中身は見せていない。
とはいえパソコンを共有しているから、妻が積極的に見ようと思ったら、すぐに私のnoteを見ることはできるだろう。見ていない「はず」という善意の推測に基づくあやふやな状態だ。
そして自分の知らないところで、自分のことを語られることは誰にとっても心地よいものではない。そんなわけで、私の所業が見つかったら大目玉を食らうことは間違いないのだ。
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書き出しは大層なものだけれど、今日話したいのは世にもくだらない話。
『トイレットペーパーの芯』のお話だ。
私がトイレに入ると、よく使いきったトイレットペーパーの芯が外しておいてある。ホルダーの上に「ちょこん」とおかれている。手の届くところに、紙が置いてあるせいか、新しい紙自体はきちんとセットされていることが多い。
紙を使いきったのだろう。そして芯を外して、ホルダーの上に置き、新しい紙をセットし、用を足して、芯を忘れて出たのだろう。
行動はごく簡単に想像がつく。そして私は「トイレットペーパーの芯を放置する」「少し残して変えない」といった行動が男性に多いという情報を持ち合わせている。
(画像は https://dime.jp/genre/728192/ から)
その情報があるせいだろうか。この残された『トイレットペーパーの芯』は、どうにも私の中のツボをくすぐるのだ。
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「また残ってる……相変わらずだなぁ」
見つけるたびに私はほくそ笑む。場所柄、写真を撮るのは控えているけれど、結婚してからの数年間。両手で数えられないくらいには、忘れられた芯に遭遇した。
妻という人物はズボラというわけではない。
ただ、2つ以上の作業が同時にはできないようで、何かしている最中に他のことを思いついてしまったら、一つ目の作業が放置されることがよくある。もちろんあとで再開しようと思って一時的に置いてある場合もあるけれど、10あったら8か9は意図なく放置されたものだ。
トイレットペーパーの芯に関しては、間違いなく忘れ去られてしまったものだろう。そんな芯を見るたびに私は、
『今日も、妻だなぁ』
という謎の安心感と、小さな喜びを感じるのだ。それは砂浜できらりと光るガラス玉を見つけたような、そうめんの中に色付きを見つけたような。そんな気持ちであり、ざっくり言うと妻のそんな部分を私は「可愛い」と思っているのだ。
だからトイレのドアを開けるたび。
今日もトイレットペーパーの芯が残されていないだろうか。そんな淡い期待をするのが、最近の私の楽しみであり、趣味の一つなのだ。
「欲しいものリスト」に眠っている本を買いたいです!(*´ω`*)