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「心配」の裏側にはなにがあるの

人はなぜ、
心配してしまうのか?

自分のことは勿論だけど、


子どもとか
パートナーとか


自分にとって大切な存在が

気になって
気になって、

ついつい過剰に心配してしまう。

まぁ大切な存在だから、

気になるのは当たり前だし
気にならない方が不自然だし

それはそうなんだけど。

それにしても、

人によって、
やたら心配してしまう人と
そうでない人もいるわけで。


そこにはどんな違いがあるんだろう。

これはあくまでも
ぼくが個人的に思うことなので

正解とか
これが正しいとか
みんなそだとか

そういうんじゃない。

だから、
ぼくのデカイ独り言だと思って
聞いてほしいんだけど。

いつも誰かの
心配ばかりしている人って、

「自分の役割」がほしいんだと思う。


だから、
その役割を得るために、
いつも「心配する側」にまわる。

その役があれば安心するし、


その役があれば、
落ち着いていれる。

自分の役割があることで、

「必要とされている感」が
満たされるし、


そこに居ていいんだと思える。


ただこれは、

裏を返せば、
その相手を信頼できていない
ということでもあり、


その相手を信頼しきれていないから
ついつい口や手を出してしまう

ということでもある。


そう、
言い換えるなら、

こういう人は、
「相手を信頼する勇気」がないわけだ。

どんなに可愛くても
どんなに大切でも

ずっと自分と一緒にいるわけではないし

24四時間
365日ずっと見てるわけじゃない。

だから、
どっかで相手を信頼するしかないし

手放すときはくるんだけど、
その勇気がない。

だから、
「心配する」というかたちで
結局相手に「依存」する。

本当は
相手を信頼する勇気がないだけなのに、

口では、
「あなたが心配だから」と
最もらしいことを言う。

相手を気にしたり、
心配したり、


それは悪いことじゃないし、
人として
ある意味当然の感情だと思う。

でも、
同じくらい大切なのは、

その相手が
大切だと思うのであれば、

ちゃんと「信頼」してあげること。


相手を信頼する勇気を持つこと。


何でもかんでも、
自分が先回りして、

その相手が
失敗したり
ミスったり
やらかしてしまうことを

奪ったりしていないだろうか。

「うまくいかなかった」という、

大切な経験をするチャンスを
わざわざ潰してはいないだろうか。


人にはそれぞれ、

成功する権利もあれば、
失敗する権利だってある。

失敗すべきときに、
失敗すべきタイミングで、
失敗すべき場面で

「失敗」をしておかないと、

先々、
「失敗」するのが怖くなる。

失敗せずに育ってしまうと、
「失敗」だけを恐れるようになる。


そして、
どんどん、
「失敗できない自分」になっていく。

大切な相手が、

そういう人になってもいいのか?という話。


自分が役割がほしいから

自分が安心するから

自分が必要とされている感に満たされるから

そんな理由で、
相手から「失敗する権利」を奪ってはならない。

失敗は、
成功よりも

大切な権利だったりするのだから。





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