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指針について僕が思っている事

 最近ちょこっと指針についてのツイートをしてみました。

 正直、指針を業務軽減のために利用すんな!って意見も来るかなと覚悟はしていたのですが、意外とそんな事もなく安心したところです。

なので、この際色々思ってる事言っちゃってスッキリしちゃおうかなと

 まず、先のツイートの終わりに書いているように、僕は指針の事を『味方』だと思っています。これまでの保育人生の中で、色んな上司先輩から、あー言われたりこー言われたりして迷っていた時に、指針を基準に色々なものを判断させて貰えましたし、その影響もあり、訳の分からん仕事を振られたときには『それ指針のどこに書いてあるんですか』という言葉で回避したり、昔から慣習的に行われていた謎の仕事も割と削らせてもらえました。

 僕にとって指針はそれだけ頼りにしており、欠かせない存在です。


指針を疑う視点も持つ

 だけど僕は指針は完璧じゃないと思っています。

 その理由は、指針を作っているのはあくまで『人間』であり、僕とは天地ほどの賢さの差があるエリート集団が考えたものだとしても、人間なんだからどこかしら間違いがあるって考える方が自然だと思うのです。

 だからこそ、10年に1度の見直しが大切とされ、これまでの指針が幾度と改定されてきたのではないでしょうか。

 だから指針を100%信じているかと言われたらNOで、指針の内容を疑う視点も持ち合わせています。


キーワードは『これからの社会』と『今の子ども』

 ”指針を疑う”と言うと何だか保育士として危ない思想と思われるかもしれません。

 ただ、一つお伝えしておきたいのは、これまでの保育の歴史の中で何度も指針は改定されてきており、そこには必ず、『その時の指針を疑う』という経緯が存在するはずなのです。

そしてその改定するときの視点は

『これからの社会がどのように変容し、今の子ども達がその未来をどう生きてほしいか』

というものなのではないでしょうか。だから僕は『これからの社会』と『今の子ども』という視点からならば、指針とは異なる保育となることもあり得るのではないかとも思っています。

 僕のツイートで時折『社会』や『時代』という言葉が出てくるのは、これです


僕にとっての指針とは

 僕は指針を100点満点の非の打ちようもない『神』のように崇め奉るのではなく、約80点の『割と信頼できる先輩』くらいの扱いでちょうどいいのかなと思っています。

 色々保育をしていく中で、どうにも判断がつかない場面に出会ったときには相談してその意見に身を委ね、どうしても譲れないものがあるときは徹底的に議論を交わす。僕にとってはそんな存在です。

 指針の事は基本的に信頼を寄せながらも、『これからの社会』と『今の子ども』というフィルターを通して疑う視点ももつ。

保育を指針+社会で見るってイメージなのかな。

 だけど指針先輩はね、どんなに時代が変わっても『子どもの最善の利益』ここだけは絶対にブレないんだよね。やっぱその保育にかける信念はホント共感と尊敬しかないよね。

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※ あくまで個人的な考えであり、考え方の一つとして捉えていただけると幸いです。
※ あくまで個人的な考えであり、考え方の一つとして捉えていただけると幸いです。
   (大切な事なので2回言いました)

全力の予防線を張っておきましたので、ご意見お手柔らかにお願いします。

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