見出し画像

私がICU(国際基督教大学)で学んだこと

はじめまして。
ICU21のA.J.です(出来るだけ匿名で活動したいので、詮索はやめてください)。
早いもので来年自分が卒業する番となりました。
そこで、何か後世にもっと残せるものはないかと思い、その1つとして私がICUで学んだことを3つここに残しておこうと思います。
(とは言ったものの、備忘録的な役割の方が大きいので、汚い文章になるかと思います)

1. 知識と知識、知識と経験を結びつける力

「大学で学んだことを何か1つ挙げろ」と言われたらこれを私は必ず挙げます。なぜならこれが最も私の人生にとって価値のあることだと思うからです。

ICUでは、頻繁に自分の意見をつくり、共有することが求められます。
ELAでは毎日のように意見交換が行われますし、他にもほぼ全ての授業において自分の意見が頻繁に求められます。
聖書、フランス文学、国連のレポート、自伝、論文等を読んで自分の意見をまとめるという作業が毎週のようにあります。

こうした作業は基本的に辛いです。
なぜなら、多くの場合、自分とは全く関係のない歴史上の人物の話や、全く関係のない国の情勢や、今まで全く勉強をしてこなかった分野の知識について、何か自分なりの意見をつくって発表をしないといけないからです(しかもレポート数枚分)。
すなわち、なんとかして自分の土俵にテーマを持ってくる必要があります(そうしないとレポート用紙数枚も書くことがないからです)。
全くバックグラウンドのない知識でも、自分の知っている分野の知識との共通点を見つけたり、全く知らない人物の話でも、どこかに自分の経験と共通する部分を見出したり、といった作業が要求される訳です。
例えば、開発学で学んだ知識を、(既に知っている)天文学や生物学に関する知識とつなげて考えてみるとか、ベートーベンに関する自伝の中から、自分に共通するような行動原理を見つけたり、経済学で習った知識との共通点を見つけてみたり、といった作業が実際に強いられるのです。
(その上で、疑問に思ったことは調べます)

こうした作業を毎週のように繰り返していると、あらゆる情報や知識を自分の経験や別の知識に紐づけることが得意になっていきます。

例えば、「28歳AKB大家さん「成人か判断できない」と言われ、酒買えず コンビニが神経質になる理由」といったニュースが流れてくるとします(今適当にYahoo!ニュースを開いたら出てきました)。
多くの人にとってこのニュースは、「どうでも良い」か「自分も同じ経験したことあるから分かる」程度の感想で終わるかと思います。
しかし、ここから「各国でお酒が飲める年齢が違う」という知識や「遺伝子が民族によって異なる」という知識や「童顔かどうかは顔のパーツの配置によって決まる」という知識や、他にも「なぜこれをメディアがいま記事を書き公開したのか」といったメディア論的なことなど、生物学、法学、情報科学、メディア学、政治学といった今まで自分が習ったことのある分野の知識と結び付けて、考えたり、興味をもったりすることができるのです(実際にこのニュースをテーマに3ページくらいのレポートが書けそうです)。

こうした力は、人生を豊かにすると思います。
それは、物事をみる観点が増えるからです。同じものを見て、聞いているのにも関わらず、多くのことを感じることができるからです。
例えば、赤ちゃんは物事に対して「すき」「きらい」といった1つの観点しか持っていません(多分)。一方成長をすると「好きかどうか」という観点に加え「社会的に正しいかどうか」「ビジネス的に正しいかどうか」「〇〇哲学的にはどうか」といった観点からものを捉えることができるようになります。これは感性として「豊か」になり、同じ生活をしていても、多くのものを感じ、考えることができるようになります。
ICUでは、これがより進化し、「自分の経験と共通点はあるか」や「政治学と共通点は?」「生物学との共通点は?」「この前読んだあの本との共通点は?」といったことを考えることができるようになります。
1つの情報からより多くのことをつなげ、考え、疑問を持ち、自分なりの意見を言う、ことができる生活は私にとって「豊か」であり、ICUで学んだ力として大変価値があるものだと感じています。

2. 人を不幸にすることができるのは人だけであり、人を幸せにすることができるのも人だけである、ということ

1番の内容をかなり書きすぎてしまったので、手短に。
私は、むかし自分が「優秀」になればより「幸せ」になれると思っていました。
幸せになるためには、高度なスキルを身につけることが何よりも重要だと思い、同級生との遊びや飲み会といったものには参加せず黙々と勉強等の自分磨きをしていました。

そうした活動を通じて、恐縮ですが、私は他の学生に比べて高度な知識や技術、経験を有する学生となりました。1年生にしてインターン先で月100万円以上の売り上げを1人で稼いだり、学業に関しても全てGPA4.0といった具合でした。

ただ、そのときの私は幸せではありませんでした。そして同時に不幸でもありませんでした。
そもそも、人と接していないので幸せにも不幸にもなれなかったんです。
決して幸せでもなく、ただ不幸でもなく、ただただ勉強をしているという存在でした。
小学生のころの自分と比べて、これほど多くのことが出来るようになったのに、小学生の頃の方が圧倒的に幸せだったのです。

人は人を不幸にもしますので、不幸を避けたいのなら人から避けるのが手っ取り早いですが、人は人を幸せにもしますので、不幸になるリスクを取るべきであったと、強く感じました。
これはICUという環境には依存していない経験だと思うので、なんともここに書くべきかは怪しいですが、この4年間を通じて学んだこととしては私のなかで大きいので残しておきます。
特に、ICUの学生は「個人主義」の方が割合多いように感じます、ので、自分と同じような失敗はして欲しくないという思いがあります。


3. 「集団の一部」になることでしか自己存在肯定はできないといこと

これは、ICUの森本あんり先生が著書『異端の時代』で書いていたことになります。
2番の内容にも通じますが、自分の反省と同時に「個人主義」的なICU生に対する私なりの注意としてあげます。

多くの人は自己の存在意義を自分で考えなくてはいけません。
それは、自分の生まれた意味や世界が存在する意味が宗教的なものによって予め決まっているわけではない、という時代になったからです。
我々は本来何の意味もなく存在する地球に、偶発的に生まれただけの存在であり、だからこそ、それぞれが自分で自分が存在する意味を定義、意味付けをしないといけない時代です。

このとき、自己の存在肯定は、自己を超えた存在との結びつきによってでしか出来ない、という考えが森本あんりさんの考えであり、私も同感しています。
つまり、リベラルで個人主義的な人には辛いかもしれませんが、
結局我々は「集団の一部」になるしかなく、それでしか自己存在の肯定はできないということです。

自分の能力を高める、といった行為は大きく意味のあることだと思いますが、同時に、「集団の一部」として自分をどういう集団の一部として捉えるのか、「集団の一部」としたときに自分は結局なにを成したいのか、といったことを考えると良いと思います。
(この研究分野を発展させる集団の一部になる、この課題を解決するための集団の一部になる、この考えを広げるための集団の一部になる、ICU生をより世界で活躍させるための集団の一部になる、世界を平和にするための集団の一部になる、などなど、色々自分の存在意義を考えてみると良いと思います。途中で修正しても良いのですから)

[おまけ]専門知識はどうした?

「君は大学で何を学んだの?」と聞かれて「経済学について学びました」といったように、知識(考え方も含む)を答える人がいます。
もちろん私も自分のメジャー分野を中心にいろいろな専門知識を学びました。たくさん論文を読んだし書きました

ただ、そういった知識は大した価値がないかなと今のところ感じます。
そもそも知識は古くなっていくし(鎌倉幕府の設立の年号の例など顕著)、コモディティ化していくし、忘れてしまいます。
多くの場合、目の前の課題やテストのためには有用ですが、人生においては有用ではありません(研究者の方は違うかも)。

ですから、皆さんにはあまり目の前の専門知識だけに囚われず、いろいろな人間関係を通じながら、もっと根本的な考えや思想、行動習慣といったものを身につけて頂ければと個人的に思っております。
(好奇心は絶対に育てるべきです。テスト勉強等、目先の課題のために身に着ける知識には大概、人生を豊かにする力はないということです)


以上。

連絡はTwitterのDMにどうぞ。
https://twitter.com/AJICU1