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さくせんは、“一服しようぜ。”

晴れた日曜日でした。

しっかり朝寝坊をし、お昼少し前まで寝ていました。『なにも予定をしない』という予定でいっぱいであります、師走の12月。

今年は、新たな目標に向かってとにかく、走り続けてきたから、軽く息切れしているのですが、それもやむ無しです。1年間がんばってきた自分をゆっくり労わる時期だと理解します。

そういえば去年のこの季節は、荻窪に知人の舞台を観に行ったついでに、念願だった『Title』という本屋さんに行ったのを憶えています。

いやはや、理想とする“まちの本屋さん”でした。

で、そこで買った一冊が、この『cook』

料理本みたいですがそうではなく、躁鬱病に苦しむ著者が、『料理』を療法として日々取り組み、明日の献立を考えたり、作ったものを記録していった一冊のノート。

著者は、料理については素人ではあるものの、なんだかとても楽しそうに取り組んでいて、1ページずつ貼られたメニューや、その時の考えてたことなどを読んで、「自分も料理したいな!」と思ったりしたのでした。

元々、料理に対する興味関心は高かったので、作りたいものがある時は、結構家で作ることも多かったのですが、季節柄の飲み会とか、イベントなどがあるとどうしても家での食事がおざなりになってしまい、そうなると結果的にやっぱり心身に乱れが出たりするのでした。

たまにそんな自分に気がつくと、この本を取り出してパラパラと眺めたり、著者のユーモアたっぷりな文章を読んでクスッとしたりしています。

今日も、少し時間があったので、ザザーっと一読していました。

以下、一部の引用に自分の言葉も含めたメモ。

料理をする、記録をつける、ほか何かを継続的にするという作業を貯める=『貯作業』という考え方。作業は、自分の中に蓄積していき、たしかな自信になる。
料理を日々していることで、『明日どうするか?』を考えるようになる。この、『わりと近い未来のこと』について思いを馳せること、一つの楽しみとしてそれを考えることは結構重要で、気持ちが落ち込んでたり、身体に元気のない時にはとても良い薬になる。
自分の手で、自分自身への栄養を“作り出す”という行為は、人を元気にする。料理には、根本的な癒しの力がある。

とまぁ、こんなところ。

そういえばぼくは、結構『朝ごはん』を簡単に済ますことが多いなぁとこの本を読みながら思った。

朝は、何かしら食べてはいる。

食べているのだけれど、手を合わせて「いただきます」と「ごちそうさま」をしたのは、今朝みたいな週末以外に何度あるんだろうか、、そんなことを思ったりした。

そして、この時期に再びこの『cook』を手に取って、まじまじと読んでいた自分にとってはやっぱり結構重要な示唆があったのではないかなぁと、いつもより少し真剣にとらえたりした。

明日の朝ごはん、少し何か手作りしてみようかしら。

無理しないでいいから、起きれたらね。

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てなわけで、お茶を淹れてひと息ついたところで、書いてます。

最近、緑茶を身体が欲していたので、TOBICHIにて買ってきたのでした。ちょっと季節外れの新茶。

でも、こういう『心身の声』に、真摯に耳を傾けていくの、大事な気がするんだよなぁ。

今みたいな、忙しない時期だからこそ、ね。

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ぼくも誰かの応援をしようと思います!