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今年も、ご来店誠にありがとうございました!

30日が仕事納めの妻より先に、娘と地元会津に戻っている。東京の自宅に少し早めに送られてきたポストカードの写真が妻から送られてきた。

地元会津でよく通っているコーヒースタンドから。タイトルのメッセージと、渋くも素敵な色合いのイラストが添えてある。

普段からお付き合いのあるアーティストさんに描いてもらっていると言っていた。

それにしても、素敵な絵です。

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そして、こうしたメッセージカードを少し早めに送って、新年を迎える気持ちというのはどれだけ清々しいだろうと、店主の心持ちになった。

年を越すということは、今年の商いが無事に行われて、来年もまた営業するということだし、ぼくのようにお客側が思っている以上に、真剣なものだと思う。会社を経営することって、そうなんだろうなぁ。

大晦日っていう1日を、昔以上により真摯に受け止めるようになったのは、やっぱり節目という大きな意味合いが強いからなんだろうと思う。

「年を越せるかどうか?」という話題は、去年はとてもリアルな話だった。

秋口から入院していた大好きな叔父。

ぼくも平日夜は、職場からほぼ毎日病院に通って顔を見て帰っていたのだけど、年末にかけていよいよという状態になり、周囲をにわかに慌てさせた。結局は年を越した1月4日にあの世に旅立った。

こうした節目が人に与えるエネルギーは、ものすごいものがあると思う。

新年がおめでたいのは、節目をなんとか乗り越えて、次の1年の入り口に立つということが、素晴らしいことだからだ。

新年だから、何かをしなきゃ/言わなきゃならないという、半分くらい圧力めいた空気を感じることもあるけれど、1年という節目を超えてもなお、そのまま続くふだんが、素晴らしいんだと思う。

もちろん、年の変わり目が、新しい目標や行動計画をはじめるにもふさわしい時期であるとは思うのだけど、それまでに自分が生きてきた時間とか、やろうとしたけどできなかったこととかを、ことさら大事に見つめてあげたいな、とも思う。


妻と娘と母は大晦日の買い出しに出た午後。


ぼくは神棚を掃除。少し眠くなったので眠ると、外は雪が降ってきた。頭が重かったのはこれか。

母に言われた古い電球を取り替え、仕切り直しにネルで珈琲を淹れる。深めのグアテマラとケニア半分ずつのブレンドを、気分で。

おばあちゃんが、生前大好きで集めていた白磁のカップは、戻すたびにとてもいい音を立てる。

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こういう日は、大げさなことを考えたくなるけど、本当に大切なのは、今までのじぶんの足あとをよく見ること。

大晦日も元旦も、誕生日も、その次の日も、大切なじぶんの一生の中の、ふだんです。


今年も、あとわずかですね。

会津はとても冷えてきましたよ。

ぼくも誰かの応援をしようと思います!