じぶんができたことは臆せず言っていけばいい
できたことや、やった仕事を「誰かに言う」ってこと、ちょっとサボっていたなぁとふと思う。
「褒められたい」というのとは、またちょっと違うのだけど。
最近、チームでイベントの準備をしたりしている中で、感じたこと。
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あくまで、じぶんがじぶんに対してという話なのだけど、「タスク」とか「仕事」のようなやるべき課題に対して、“やって(できて)当たり前”という感覚を結構長らく持っていた。
それはじぶんに対しての厳しさなのかも知れないし、じぶんはまだまだできるぞ!という意気込みめいたものだったのかも。
ただ、この感覚っていうのは、諸刃の剣なんだと思ってる。
それを感じてから少し改めようと考え始めた。
じぶんに対して“当たり前”ということは、回り回って(悪意なく無意識に)他人や、他人のやることに対してもそういう目線や気持ちを持ってしまうんじゃないか?
本当にそれは、無意識下の話なのだけど。
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ここでちょっとだけ、無意識についての話を。
この、「無意識」というものは気をつけたいところで、敵にも味方にもなる。愚痴とか思考パターンとかと一緒で、常日頃気にしていないと、コントロールが効かないんだと思う。
最近、「心」とか「しあわせ」に関する本を読んだり、オーディオブックを聴いたりしていて思うのは、人は多くの部分を無意識に支配されるということ。
感情とか気分は日々の幸福感に強く影響するし、口癖は言霊となり、習慣はその人の人生を作る。
日々、活動している時にちゃんとそのことを意識して、偏った思考をあらためたりするクセをつけることや、今、どんな気分、感情でいるかをしっかり見定める。(実際に見ることはできないけどね)
たとえば、朝起きた時に頭がずーんと重たい時があったりする。
そういう時って、世界が全体的にグレーがかっていたり(実際に曇りや雨の日だったりするけど)、体も並行して重く感じたりする。
でも、それって、頭だけなんじゃない?って、最近は思うようにしている。
もっと言えば、気分とか、感情のせいなんじゃない?って。
もしかしたら、重く感じていた体は、抱っこして運んだ娘のおかげで筋肉痛なのかもしれないし、猫背とか、姿勢が悪くて目や肩に痛みが走っているだけなのかもしれない。(それそれでツライのだけどね)
単に、昨日寝るのが遅くて、睡眠不足なのかもしれない。
普段からあるちょっとした疲れとか痛みとかを全身に感じさせたりする。ちょっと気分が重たいだけなのに、それを体全体で受け止めなきゃなくなる。
気分や感情の無意識力は、ものすごい。
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ただ、こういうのって、ちょっとした一つの行動から変えていけると思ってる。冒頭の、「できたことを、ちゃんと言う」というのもその一つ。
たとえ、じぶんが頼まれたことであったとしても、お金をもらって仕事としてやることが当然のことであったとしても、それをやったことのは間違いなくじぶんなのであって、大きくもなく小さくもなく、ちゃんと言えばいいと思う。
その積み重ねが、じぶんのじぶんに対する自信や、物事の達成感につながると思う。
SNSの時代になって、物事を大げさにアピールしたり、根も葉もないようなことを言ったりすることも見ていて、本当に嫌だなぁと思ったりするけど、それとはまた別に、等身大のじぶんの成果を、じぶんで認めるために、ちゃんとやって、それを言う、相手に見えるようにする、というのは、なんだか大事なことだと思うんだよなぁ。
世界の情報量がすごく多くなるにつれ、その質が問われる時代。
違う意味での、「謙虚さ」とか「遠慮」をあまり持たないように気をつけたい。
大したことのないようなことも、じぶんを育むには十分な栄養なんだよね。
ぼくも誰かの応援をしようと思います!