【短編小説】明晰夢

 意思に従って動く自分の指を見て、これは明晰夢だと確信した。

 ここでなら何でも出来る。好きなように動くことが出来る。

 そうなると、やりたいことが無限に湧いてきた。
 突発的に遠くへ旅行に行きたい。少し高価でも欲しいものを買いたい。挑戦できずにいたことを片っ端からやりたい。好きなものをお腹いっぱい食べたい。心のままに、柔らかい布団で眠り続けたい。
 大切な人の為だけに時間を使いたい。自分を粗末に扱う人の相手は一切したくない。お金はそれほど要らないから好きなことを仕事にしたい。

 人の目なんて気にしなくていい。過去も未来も気にしなくていい。ただここに自由な今があるだけだ。

 だってこれは、夢なのだから。
 意識のある夢なのだから。

 さて、まずは何をしようか。
 あぁ、そうだ。大切なあの人たちに、思いを伝えに行こう。普段なら照れてしまって言えないけれど、夢の中なら言えるだろう。何も気にすることはない。どうせいつか覚めるのだ。

 大切な人の後ろ姿を視界に捉え、駆け寄った。手を伸ばして、肩を叩こうとする。

 ーーーねぇ、ーーー

 

 
 目が覚めると、私はベッドに横になっていた。枕元で、いくつかの機械の音が響いている。数名の白衣を着た人たちが、私を囲んで慌ただしく動いているのが分かった。

 その人たちの後ろにいるのはおそらく私の家族なのだが、もう目があまり見えないので顔が分からない。

 娘は間に合ったのだろうか。
 妻はそこに居ますか。

 私の口には酸素マスクが着けられており、声ももう出ない。その言葉は誰にも届かない。

 先ほどまで明晰夢だと思っていたものは、ただの夢だった。そして、私の本当の明晰夢は覚めかけている。それを悟った私は、横になったまま涙を流した。すると、白衣の人を掻き分けて近づいてきた娘と妻の顔が分かった。

 妻が涙を拭いてくれ、毛布を掛け直してくれた。その時、私の希望は1つだけ叶いそうだと気が付いた。今私の体に掛けてあるものは、私が気に入っていた柔らかく温かい毛布だ。

 そんな妻の優しさに包まれ、私は妻と娘に向かって真っ直ぐ、ただ祈った。

 

 ここで私は夢から覚めるけれど、君たちの明晰夢は続くんだ。

 何だって出来る。

 

 だから、君の、心のままの人生を。 

 
 

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