”自分自身に見放されること” それが、
11/19。
5:10起床。
天気は晴れ。
*
もう、いいんじゃないかな。
もう、大丈夫なんじゃないかな。
そう思っていたけど。
ぼくはまだ、まともに生きられないんだな。
『まだ』じゃないな。
これから先も……ううん、今までだってそうだった。ぼくがまともに生きられたことなんて、ただの一度もなかったんだ。
また、不調の波が来ている。
何があったわけでもないのに、
「何の意味もない人間だ」
「何の価値もない人間だ」
だから、
「死んでしまいたい」
ああ。
この不調が、月に一度やって来るのはわかっているのに。
大丈夫だよ、ぼく。それはね、本音じゃないんだよ。ちょっと、色々と思い込みやすい時期なんだよね。ほら。温かいものでも飲めば、落ち着くよ。だから、大丈夫。大丈夫だよ……。
自分で自分を慰めても、どこかへ消えてしまいたい思いは消えない。
何が悪いんだろう? 何がだめだったんだろう? ぼくという人間が、そもそもだめだったんだろう?
……ああ、だめだ。慰めなきゃ。慰め続けなきゃ。そうじゃなきゃ、ぼくはまた、ぼくを見失ってしまう。ぼくはぼくを手放してしまう。自分自身に見放されること。それが、きっと『死』だ。
それは、わかっているんだけどな。じゃあ、ぼくはどうすればいいの? 「死にたい、死にたい」と嘆いているこの思いが『波』なら、過ぎ去るのを待てばいいの?
……そうだ。それが一番だね。今までだって、そうしてきたんだから……。
けれどその間、ぼくは『波』を被りっぱなしになる。しょうがない。しょうがないことだ。大丈夫。それは、永遠じゃないよ。永遠のような時間かもしれないけど。
冷たいだろう? 凍えるだろう? 今すぐ、暖めてほしいだろう? でも、誰も暖めちゃくれないんだよ。だって、ここはぼくの中だから。誰も来てくれないよ……。
ぼくに「死んでほしい」自分と、「生きてほしい」自分が拮抗している。ぼくは、涙を流す。その戦いが痛くて、涙を流す。大丈夫、大丈夫。もはや、これは呪文だ。大丈夫。ぼくは大丈夫だから……。
大丈夫。ぼくは、今日も生きる。今日が命日になることはない。少なくとも、自分で自分の命を断つことは。したくてしたくてしょうがなくなっても、歯を食いしばって止めるから。
ぼくを、これ以上苦しめないで。
お願い。
*
「僕だけが、鳴いている」
これは、
ぼくと、ドッペルゲンガーのドッペルさんの話。
連載中。
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