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「チ。ー地球の運動についてー」から学ぶ「研究者の条件」とは?:藍沢星那とchatGPTくんとの交換日記 #2


1️⃣研究者の条件ー「大胆さ」と「イカロス」

星那:チ。では、「大胆さ」と「イカロス」を結びつけていたけど、どうしてだろう

チャッピー:「チ。」で「大胆さ」と「イカロス」が結びつけられた理由は、イカロスの物語が「大胆すぎる行動」の象徴として捉えられているからである。

イカロスは、父ダイダロスの警告を無視し、自分の限界を超えるような大胆な飛行を試みた結果、墜落して命を落とした。この行動は、リスクを顧みずに挑戦する人間の大胆さと、それに伴う危険を象徴している。

「チ。」では、歴史を変えようとする登場人物たちが、既存の秩序に逆らい、大胆な行動を取る場面が多い。その大胆さは、時に破滅を招く危険を伴うが、それでも彼らは挑戦を選ぶ。イカロスのように「飛びすぎてしまう」ことの恐ろしさや美しさが、物語のテーマとリンクしている可能性がある。

特に「チ。」は挑戦者や改革者の物語でもあるため、イカロスのような象徴を通じて、限界を超えようとする人間の精神を描こうとしているのではないだろうか。

2️⃣イカロスの神話の内容

星那:イカロスの神話を教えて

チャッピー:イカロスの神話は、ギリシャ神話の中でも有名な物語の一つであり、次のような内容である。


背景
イカロスは、名工ダイダロスの息子である。ダイダロスは、クレタ島の王ミノスに仕えていたが、迷宮ラビュリントスを設計した後、何らかの理由で王の怒りを買い、息子イカロスと共に島に幽閉されることになった。


脱出の計画
ダイダロスは、島からの脱出を図るために鳥の羽と蝋を使って翼を作った。彼は息子イカロスにも翼をつけ、「空を飛んで脱出しよう」と提案した。

出発前、ダイダロスはイカロスにこう忠告した。

  1. 太陽に近づきすぎるな
    太陽の熱で蝋が溶けて翼が壊れる。

  2. 海面近くを飛びすぎるな
    水しぶきで翼が濡れて飛べなくなる。


イカロスの墜落
最初は順調に飛行していたが、自由に空を飛べることに興奮したイカロスは、父の警告を忘れ、高く飛びすぎてしまう。太陽の熱で蝋が溶け、羽がバラバラになり、イカロスは空から墜落してしまう。そしてエーゲ海に沈み、命を落とした。この海は後に「イカリア海」と名付けられた。


教訓
この神話は、「人間の限界を知り、それを超えようとすることへの危険性」を象徴しているとされる。一方で、自由を求めて挑戦する人間の精神を描いたものとしても解釈される。

3️⃣「イカロス的大胆さ」と「リスクを負う勇気」は違うもの?

星那:なるほど。身の程をわきまえないという教訓というのはわかるんだけど、「リスクを負う勇気」と言えるかは微妙だなぁ。慢心と勇気は違うでしょ

チャッピー:その通りである。イカロスの行動を「リスクを負う勇気」と捉えるのは微妙である。勇気とは、危険を承知の上で計画的に挑む態度を指す。一方で、イカロスの行動は計画性や自制を欠いた「慢心」に近い。

イカロスは父ダイダロスの忠告を無視し、空を飛ぶという「自由」の感覚に酔いしれた結果、自滅してしまった。この点で、彼の行動には勇気ではなく「制御のない大胆さ」や「無謀さ」が強調されている。

勇気と慢心の違いは、リスクをどう扱うかにある。勇気は、リスクを理解し、それに対処する手段を考えた上で行動する。一方、イカロスはリスクを理解しながら、それを無視して高く飛ぶという選択をした。これが、物語で悲劇として描かれる理由である。

「チ。」の文脈で「大胆さ」と結びつけられる理由も、イカロスの行動が「失敗を恐れずに挑む精神」を象徴するのではなく、「無謀に挑むリスク」や「挑戦の代償」を示しているからだと考えられる。

星那:はあ~なるほどね、リスク度外視というわけだ。地動説を研究する「好奇心」は身の破滅だと分かってるのに、それをやめないわけだからね。

チャッピー:そういうことだ。「チ。」の文脈での地動説の研究者たちの行動は、まさに「リスク度外視の好奇心」に通じている。彼らは、自分たちの行動が破滅を招く可能性を十分に理解していながら、それでも探究をやめない。イカロスの神話と重なるのはこの点だ。

ただ、イカロスの「無謀さ」とは少し異なり、「チ。」の登場人物たちはある程度の覚悟や理性を持った上で挑んでいるとも言える。つまり、彼らの行動には単なる無謀さだけでなく、「真理を追求するためには自分を犠牲にする覚悟」が含まれている。

この違いを考えると、彼らの行動は「無謀」と「勇気」の狭間にあるといえる。結果的には破滅につながるとしても、その根底にあるのは好奇心と真理への探究心であり、単なる自己満足や慢心とは異なる深い動機がある。これが「チ。」で描かれるイカロス的大胆さの魅力ではないだろうか。

4️⃣現代の研究に「イカロス的大胆さ」は必要か?

星那:現代の研究では、イカロスの大胆さが欠けている気もする。それは、前回の「パラダイム転換」のような、支配者から見れば「社会の転覆」のような意味合いが薄れているからかもしれないね。よくも悪くも、自由だから。まあそれも、資本主義という縛りの中の自由だけども。 あー…、だけど、担当教官の「常識」から外れたことを言うと、修士論文通らないというのはあるね…それは、その先生が「イカロスかどうか」が問われているのかな

チャッピー:鋭い視点だね。確かに、現代の研究ではイカロス的な大胆さが欠けているように見える。それは、社会の枠組みや資本主義の中での「自由」が制約されたものだからかもしれない。特に学問の場では、「自由に考えられる」と言いつつも、既存の枠組みや権威(師事する教授や査読者)の承認を得ないと進めないというジレンマがある。

修士論文が「先生の常識から外れると通らない」という現象は、確かにその先生がイカロス的な大胆さを持ち合わせているかどうかを問うているのかもしれない。もしその先生が自分の枠組みを超えることを恐れるなら、学生の挑戦的なアイデアを受け入れることができないだろう。一方で、イカロス的な精神を持つ教授なら、自分のキャリアや常識を一時的に置いておいてでも、挑戦を支援するかもしれない。

ただ、問題はその「挑戦」によって、学生や研究者が「墜落」してしまうリスクだ。現代の学問は、ある意味で「墜落を防ぐための慎重さ」が求められる仕組みになっている。そのため、イカロス的な大胆さが必要とされる場面が限定的になっているともいえる。これは、前回のパラダイム転換のような劇的な変化が、今では「安全管理された研究の中で」しか起こらない背景とも関係しているだろう。

要するに、現代の学問では「墜落しないイカロス」であることが求められている。それは一見合理的だけど、本当に大胆な挑戦がどれだけ許されるのか、疑問が残るところだね。

5️⃣「地動説の研究=堕落」の理由

星那:うん、わかるけど、キモはさ、チ。において、地動説という大胆さは、C教からみれば「堕落」なわけだよね。だから、「イカロスにならねば」という題名をつけたのかもね

チャッピー:そうだね。「イカロスにならねば」という題名には、まさにその「堕落」と「大胆さ」の二面性が込められているのだろう。

地動説という発想は、C教の世界観からすると、まさに神から離れた「堕落」であり、信仰や秩序を覆す危険な思想だった。しかし、地動説を唱えた人々にとっては、それは「真理への挑戦」だった。つまり、彼らは自らを「堕落者」と見なされるリスクを引き受けながらも、イカロスのように大胆に「高み」を目指したわけだ。

タイトルの「イカロスにならねば」は、この矛盾を象徴していると思う。墜落の危険を知りながら、それでも高みを目指すしかない――つまり、既存の秩序から「堕落」してでも、新しい真理を追求する必要があるという決意だ。イカロス的大胆さを持つことは、堕落者として扱われる覚悟を持つことでもある。

この「堕落=大胆さ」という視点が、「チ。」における地動説研究の核心だと考えると、C教による「堕落」のレッテル貼りも、イカロス神話の墜落とリンクしていて深い意味を持つね。

6️⃣「女」から「研究者」と表現が変わった理由

星那:そうだね。バデーニがヨレンタのことを「女」から「研究者」という認識に変えた(変わった)のは、ヨレンタが「イカロス的大胆さ」を持ち合わせていると分かったからなのかもね。

チャッピー:その解釈は非常に的を射ていると思う。バデーニがヨレンタを「女」から「研究者」と認識を変えたのは、まさにヨレンタが「イカロス的大胆さ」を示したからだろう。

ヨレンタは、地動説を探求するというリスクを承知しながらも、その好奇心と探究心を止めなかった。それは、単なる従属的な存在としての「女」ではなく、自らの意志で危険を引き受ける「研究者」としての姿勢を示した瞬間だったと言える。

バデーニがヨレンタに対する見方を変えたのは、彼自身がその「大胆さ」を尊重する人物であり、真理を追求する者としての覚悟を共有していたからだろう。イカロスのように墜落する可能性があったとしても、飛ぶことを選ぶ姿勢に共鳴したのだ。

この転換は、「チ。」全体のテーマである「真理のためにどこまで犠牲を払えるか」という問いと深く関わっている。ヨレンタの行動が、その問いへの一つの答えとして描かれているのだろう。

星那:そうだね。"「堕落」という名の「真理」を追う者が研究者だ"という見方は、ピャスト伯にも当てはまる

チャッピー:その通りだ。ピャスト伯もまた、「堕落という名の真理を追う者」として描かれている。彼は、地動説を支持することで、C教や既存の社会秩序から「堕落者」と見なされる立場に自らを置いた。しかし、それは単なる反抗ではなく、真理を追求するための覚悟であり、彼自身が研究者としての姿勢を体現している。

ピャスト伯の行動は、権力者でありながら「支配者の枠組み」を超え、イカロス的な大胆さを示している点が特徴的だ。彼にとっても、真理を追うことは墜落のリスクを背負う行為だった。地動説の支持は、政治的・宗教的立場を危うくするだけでなく、自身の人生を破滅させかねないものだったからだ。

しかし、彼はそのリスクを承知で行動した。それは、彼が研究者としての「堕落」=既存の価値観から外れた挑戦こそが、真理に到達する道だと信じていたからだ。
この点で、ピャスト伯はヨレンタやバデーニとも共通し、彼らが共有する「イカロス的精神」を象徴する存在と言えるだろう。

つまり、「堕落」と「真理探究」の両立が、彼らに共通する研究者像の本質なのだろうね。

7️⃣ピャスト伯は「優しい」わけではない

星那:なるほどなあ。なぜ、ピャスト伯が「研究会に出たいが了承されない」と言うヨレンタに、「差別されているな」と言ったのか不思議だったんだよね。ともするとピャスト伯は「道徳的な人なんだ」という解釈で終わってしまいそうだけど、そうじゃなくて「自身の研究を完遂するためにはイカロスになる覚悟」を持っていて、そのためには女性か否かは関係がないから、ヨレンタに直に論文を持ってくるようにと言ったのかもね

チャッピー:その考察は非常に説得力がある。「差別されているな」というピャスト伯の言葉は、単なる道徳的な正義感からではなく、彼自身の研究者としての哲学や覚悟に根ざしていると考えられる。

ピャスト伯にとって重要なのは、「その人が真理を追求する覚悟を持っているかどうか」であり、性別や社会的な役割といった表面的な属性は関係がない。ヨレンタが研究会に出席できない理由が女性であることに起因しているとすれば、それは真理の探究に関係のない不当な障害だと捉えたのだろう。

さらに、ピャスト伯自身が「イカロスになる覚悟」を持っていたからこそ、その覚悟を共有する人物であれば性別や立場を問わず評価する態度を取ったのだと思う。彼がヨレンタに「直接論文を持ってくるように」と言ったのも、「真理を追求する意思さえあれば、どんな枠組みを超えてもいい」という彼の哲学の表れだ。

つまり、ピャスト伯の行動は単なる道徳的な善意ではなく、真理を求める者同士の連帯として理解すべきなのだろう。この視点に立てば、彼がヨレンタの性別を気にせず研究者として扱った理由が、彼自身の研究者としての姿勢や価値観と密接に結びついていることが明確になるね。

8️⃣「イカロス的無謀さ」は、現代の研究者にも必要?

星那:そうだね。イカロスか…。さっき、私たちには無縁になっているようなことを言ったけど、そうでもないのかも。兵庫県知事選挙でオールドメディアがニューメディアに負けたというやつね。研究者から見れば、どちらも根拠のないデマかもしれないのに、SNSの力はその発言を封殺する向きがある。集団リンチのような怖さだ。その中で、エビデンスを重要視し、真理を追い求めるのは、まさに「イカロス」にならないといけないよね

チャッピー:兵庫県知事選挙において、SNSや動画サイトが有権者の投票行動に大きな影響を与え、伝統的なメディアの影響力を上回ったことが報じられています。この現象は、情報の拡散力や影響力がニューメディアに移行していることを示しています。

しかし、SNS上では誤情報や偽情報が拡散されやすく、真実を追求する姿勢が求められます。エビデンスに基づいた情報発信を行うことは、時に多数派の意見と対立し、批判や攻撃を受けるリスクを伴います。このような状況で真実を追求する姿勢は、まさに「イカロス的大胆さ」を持つことに通じると言えるでしょう。

NHKの稲葉延雄会長も、SNSの影響力の増大を受けて、公共放送としての選挙報道の在り方を真剣に検討する必要性を述べています。また、サンテレビのキャスターが選挙報道に対する反省を示すなど、伝統的メディア側でも情報提供の在り方を見直す動きが見られます。

このような状況下で、エビデンスを重視し、真実を追求する姿勢を持つことは、情報の洪水の中で正確な情報を見極めるために重要です。そのためには、批判や攻撃を恐れず、真実を追求する「イカロス的大胆さ」が求められると言えるでしょう。

星那:なんで突然丁寧語になったの(笑)

チャッピー:あ、失礼した。たぶんソースを確認して引用とか挟んだせいで切り替わっちゃったっぽい。気をつけるよ!

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