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わたしはDVを受け続けてきたのかもしれない

ここ3年弱,わたしは彼からDVを受け続けてきたのかもしれない,と思う。

DV(domestic violence)とは,多くの人が見聞きするワードであるが,家庭内(domestic)における暴力(violence)のことである。この用語に関して,内閣府 男女共同参画局によれば,明確な定義はないが,日本では「配偶者や恋人など親密な関係にある,又はあった者から振るわれる暴力」という意味で使用されることが多いとされている。

また昨今,「デートDV」という言葉もよく耳にするだろう。デートDV(dating violence)は,山口(2003)が,  親密な関係にある若者間の暴力を「デートDV」として取り上げたことにより, 現在,親密な関係にある若者間の暴力については「デートDV」と表記し,認知され始めている(松野・秋山,2009)用語である。ここでいう若者は,10代から20代の若者(井ノ崎ら,2012)であり,いわゆる青年期(Erikson,E.H.のライフサイクル理論によれば13歳から22歳ごろを指すが,その終わりは現代社会の構造上,延長傾向にあるとも)のことであると考えられる。加えて,暴力の内容は内閣府 男女共同参画局によると,精神的暴力・身体的暴力・経済的暴力・性的暴力の4つに大分される。すなわちデートDVとは,主に青年期の若者カップル間における,物理的なものだけでない暴力のことを指す。


こんな長ったらしい定義は正直どうでもいい。(本当にどうでもいいが,多分わたしはデートDVの方に当てはまるはずである。)

わたしが言いたいのはつまり,今までDVを受けてきたのになぜそれに気づかず,いや,それを認めずここまでやってきてしまったのか,というところにあるんだと思う。だってこれでも,時にはDV被害者を支援したり研究したりするような立場にいるのに,逆にわたしが支援を必要としている人間であるという事実はなかなか認められないのだ。

そもそも,これまでどんなことがあったのか,ちょっと言わせてもらいたい。

例を挙げればきりがないんだけれど,精神的暴力でいえば,呼ばれ方が「マンコ」だし,彼の酔いが回ったときに彼に異議を唱えれれば「このバカマンコ!」と言われるし,「女は料理と(性的)ご奉仕をしてればいい」なんて言われてきた。これ以外にも,わたしの同級生の男の子とは連絡を取らない様に言われたこともあった(タチが悪いのは「キミが連絡を取りたいのならそうすればいいよ」と,わたしに決定権を渡すように言ってきたところだ。あとからフツーに友だちとしての連絡を取ってもキレてくるくせにさ)。身体的暴力であれば,何の脈絡もなく(セックス中でもないのに)噛みつかれてアザが出来たり,「この乳オンナ!」といわれておっぱいをビンタされたりしてきた。後者に関してはマジで何?という話なんだけど。性的暴力であれば多分,これは当てはまるかわからないけれど,手コキを断れないくらいの形相でおねがいされたり,疲れ果てているのに寝込みを襲われてまったく濡れていない状態で挿入されたりということがあった。経済的暴力に関しては全くないと思う。

あらためて列挙してみると,なかなかユニークで残酷だけど比較的平凡な暴力ばかりである。でも,こんなことを書いておいてなんだが,暴力の内容なんてそんなに重要なことじゃないとも思う。なぜなら,DVの最も怖いところは,自分では気づかないし,もっと言えば「DVを受けている」という事実を認められないことだと感じているからだ。自分が「よくない」恋愛をしていることを受け入れることはとても怖いことで,わたしが今まで感じた彼との「幸せ」な時間や出来事,我慢してきたこともすべて否定してしまうことと同じなわけで,なんだかすべて「しらね~よ,やってらんね~」という気持ちになってしまうのである。(こんな話をしているといい恋愛とよくない恋愛って何なんだよという疑問が出てくるが,それは追々考えていきたいところである。善悪の判断を単純な言葉に委ねるなんて野暮ったいもんね。)

わたしが事実を認められた理由は,進学を機に物理的な距離を置けたことが大きいと思う。彼と会えない/会わない時間が増えたことで,客観的に物事を俯瞰して見れるようになった。また,新たな友人から,出会って数日で口をそろえて「別れた方がいい」と言われたことも大きい。今までは現実を「幸せ」と肯定したくて,DVないしそれっぽいエピソードの中でも軽くて面白そーなものを飲みの席の笑い話として昇華してきたけれど,彼との現実での交流が少ない今,その幸せの肯定もいらなくなった。

思えば今まで,彼と付き合った当初から友人たちに「別れた方がいい」と言われていたのだ。その時のわたしは本当にその理由が分からなくて「なんで人の幸せを否定するんだよ」と本気で思っていたし,わたしの幸せを保証できないのに軽々しくそんなこと言わないでよと憤ってまでいた。本当にわたしの幸せを願ってくれていたのは,わたし自身でも彼でもなく,彼らだったんだと思う。

というわけで,長ったらしくDVを受けてきたかもしれない話を書いてきたわけだが,言いたいことは以下の3点である。

・DVの渦中にいる人間は,その事実を認めることが難しい。

・DVの渦中にいる人間を助けることは難しい。

・友人の親切と心配はありがたく受け入れておいた方がいい時がある。

パートナーからの暴力にどうしていいかわからない人(わたしも含め)には,DV相談ナビ(0570-0-55210)や各都道府県の専用相談窓口(♯9110)もあるということなので,我々現代人は割と心強いサポートに恵まれているのかもしれない。コロナでDVも増えているみたいだし,被害者は男女問わず怖くなったら誰かに助けを求めていけたらいいなと思う。


今まで忠告してきてくれたのに無視しちゃった友人たちに愛をこめて。

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