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3.大和撫子と会津中将(後編)

「伊根で船越さんが私に見てもらいたいものって何なんだろう…」

昨日の夜は久しぶりに気持ちが軽くなった。そんな飲み会だった。
一晩あけて翌日、船越と待ち合わせしている天橋立駅へ友里恵は車を走らせる。

天橋立駅に着いて船越の姿はすぐ見つけることが出来た。

「おはようございます」

車を一旦停めて友里恵が車に乗っていた船越に声をかける。

「友里恵さん、おはよう。今日は付き合わせてごめんねー!ここからね、伊根まで30分くらいだから僕の車についてきて」

分かりました、と友里恵は車に戻る。
船越の白い車にエンジンがかかり、左へウィンカーが点滅した。

友里恵も車を発車させ、船越の車に先導されながら後を追う。伊根への道は山の麓をなぞるように続いている。

古民家や食堂みたいな建物がポツポツ点在していると思ったら、急に真っ青な海が目の前に現れた。

友里恵が住んでいる太平洋側の海とは色が違う。
深い青で緑とも捉えられるような、そんな海の色。
よそ見運転してしまいそうなくらい美しい。

美しい海の色を堪能しながら運転していたら、あっという間に30分で伊根に着いた。
舟屋と言われるであろう建物が海に浮かぶかのように、ズラズラと並んでいる。

駐車場に車を停めて、船越と合流する。

「海が凄く綺麗な町なんですね。」

友里恵の一言に、そうなんだよ、あはは!と船越は自慢気に答えた。

「漁師の町とも言われていてね、海は勿論、この舟屋が並ぶ景色も素晴らしいんだ。冬に水揚げされる伊根の鰤は日本酒のアテにも最高なんだよね」

この人は日本酒の話になると凄くテンションが上がるのが分かるなぁ…。船越の話を聞きながら幅の狭い道を進む。

「あ、ここだよ。いやー、近い駐車場に停めれて良かったぁ」

どうやら目的地に着いたらしい。

「え…、船越さんここって…」

友里恵が呆然とする。
古民家のような見た目の建物だ。

「大丈夫だよ?ほら、今日は車だし飲まないよ。奥さんに頼まれた買い物だからさ」

古民家様の建物の入口には「京の春」と筆文字で書かれた酒樽、その下部に立て掛けられているのは波型に可愛らしく型どられた焦げ茶色の看板だ。

その看板には【向井酒造】とベージュ色で可愛らしい手書きの文字が書かれていた。

(船越さんが私に見せたかったのってこの酒蔵…?!でもなんで…?)

混乱と疑問が隠せない友里恵に、酒蔵にルンルン気分で入っていった船越がおいでおいで、と手招きする。

友里恵が動揺しながら酒蔵に入ると、こじんまりした内装の奥に酒が入っている冷蔵庫が見えた。
冷蔵庫から酒を2本取り出し、これだよこれ。と船越はニンマリしながらお会計のオバちゃんに酒を手渡しする。

そのお酒を見た友里恵が声をあげる。


「船越さん、これ日本酒なんですか?」

驚いている友里恵に、船越がよくぞ聞いてくれたという表情で返答した。

「可愛いでしょ。ちゃんと日本酒だよ。この見た目故にそこらの酒屋じゃすぐに売り切れちゃってさ。酒蔵の直売場なら間違いないと思って。妻がこのお酒大好きなんだよね。」

お会計が終わって、船越が酒粕アイスを奢ってくれた。外のテラスで休憩しながらそれを食べる。同時に船越は話し始めた。

「僕が友里恵さんに見せたかったのは、このお酒なんだよね。この蔵もね、会津中将を造ってる蔵同様、女性の方が杜氏さんなの。造りも抱えた背景も大変だっただろうし頑張ってる酒蔵さんだと思う」

船越はテラスのテーブルの上に購入したお酒を置く。そのお酒は透明な液体ではなかった。
ワインのロゼを思わせるような透き通ったピンク色。

クリーム色がかかったラベルに力強く印字されている【伊根満開】の文字。

船越は続けた。

「原料に古代米を使っていて鮮やかな赤が出るんだ。味は甘酸っぱくて旨味もある。この古代米は伊根町で特別栽培されたものなんだよ」

京都とという地域柄はとても日本酒と縁が深い場所だ。
兵庫の灘の男酒、京都の伏見の女酒と全国に轟かせたくらい実績がある。

船越が住んでいる丹後は京都の北側になるが、日本酒としての文化はまた伏見と異なるものだろう。

「この蔵の杜氏さんが、もし京都の酒の大御所、伏見で酒蔵を構えていたらこのロゼ色のお酒が世に出てくることはなかったと思うんだ。古代米を使用してお酒を造るってことは手間が要るしスタンダードな造り方じゃないからね。それは友里恵さんも同じじゃない?」

酒粕アイスを食べながらじっと話を聞いていた友里恵は顔を上げた。

(私と同じ…)

「私は今、転職する立場にありますが私がどう在るかということを主軸にして考えていってもいいものなのでしょうか」

船越は友里恵の言葉に被せてきた。

「人生1回しかないのに友里恵さんが友里恵さんの主軸を大事にしないでどうするのよ」

そう言われてどう返しをしていいか友里恵が分からないうちに船越から問われた。

「仕事の話になっちゃうけどね、社会的処方って言葉、知ってる?」


ふんわりと、どこかで聞いたような言葉だった。
そんな記憶をたどりながら友里恵は聞いたことくらいは…と答える。

「僕はね、それをこの丹後で実現したい。薬だけでなく社会全体で患者さんを支えていこうって考えなんだ。薬剤師って存在だけでね、患者さんの全てを救おうだなんて無理だよ。薬剤師だけじゃなくて、他の職種の人とか地域の人とか色んな支えがあってその患者さん1人を助けることが出来ると僕は考えている」

真剣な眼差しで仕事の話をしてる船越。
日本酒だけじゃなかった。
この人は、本気で自分が育った愛する地域を心から救いたいんだ。自分の薬剤師という仕事を通じて。
そんな想いをヒシヒシ感じながら、友里恵は話を聞いていた。

「患者さんを支える一部だとしても僕はその一部として存在出来ればいいんだ。でも何もしていないわけじゃないでしょう?そこで自分がその一部分として役割を果たしている事実に変わりはない」

だからね。

勢いがあった船越の言葉が和らぐ。

「友里恵さんはまず自分がやりたいこと、出来ることを明確にしなきゃ。それを大切にしてくれる企業を見つけたらいい。自分の実力が合わないんじゃない。目標を持った上で自身の力を発揮出来るところにぶつかっていったら良いよ」

言い過ぎちゃったかな、ごめんね、と船越がいつもの柔らかい雰囲気に戻った。

こんなに自分のことを肯定してくれて社外でも実力を認めてくれる船越の発言はこれからの友里恵にとって財産だった。

せっかくだから1本あげるね、と船越が購入したての「伊根満開」の2本のうち1本を友里恵に渡す。

「え、良いんですか?」

いいの!いいの!といつものテンションで船越が返す。

「そのお酒、何か悩んだ時や気持ちの変化があった時に開封してみたら良いよ。友里恵さんみたいに力強く頑張っている女性はいるって飲む度にきっと元気づけてくれる。お酒ってさ、そんな存在だよ。僕もそれで日本酒にハマったんだから」

じゃ。と車へ乗り込み、オフィスへの帰路についた船越を見送って友里恵も自宅への帰路に着く。

車の助席にコロンと転がっている船越からもらった
【伊根満開】

向井酒造の杜氏が「満開」という言葉が好きだったのだというエピソードを後に船越から聞いた。

そして、杜氏の名前をそのまま酒の名前に当てた会津の鶴乃江酒造。

目的を持った上で自身の持ち味を武器にして世間に商品を広めていった女性達。

なんだか自分の味方は沢山いるように思えた。
やっと緊張や不安がちらつく気持ちから解放されたような気がする。

「明日からまた頑張ろう」

友里恵は久しぶりに安堵して眠りにつくことが出来た。

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今の職場で仕事をしつつ、残りの時間を転職活動をしながら、友里恵は自分の本当にやりたいことはなんだろうと考えることが多くなった。

転職活動の休憩がてら、友里恵はSNSを開いた。
画面をスクロールする指がふと、止まる。

「SRHR…?」

友里恵の目が釘付けになったその投稿は女性ヘルスケアの分野で活躍している薬剤師、高橋夏帆のものだった。 

「薬剤師としてSRHRを知っていくこと」

どうやら近日都心で女性ヘルスケアを主軸とした薬剤師向けのイベントを行うらしい。イベントの内容広告もだが、その謎のアルファベットの単語の意味はちゃんと説明も載っていた。

「SRHRとは【自分のからだは自分のものであり、プライバシーが守られ、差別や強制、搾取、暴力を受けず、自己決定が尊重されることを当たり前にしようとする考え方】です。
Sexual Reproductive Health and Rights(セクシュアルリプロダクティブヘルスアンドライツ)の略称です。」

こんな言葉は初めて聞いた。
大学で習ったこともないし、社会に出て勉強会や研修で見たこともない。

彼女が発信するホームページにはそれを細分化した内容が載っていた。
SRHRは医師や助産師の間では当たり前に知られていること、緊急避妊薬を今後販売するかもしれない立場である薬剤師にその概念が浸透していないこと。

なかなかの中堅の立場であり薬剤師として勉強もしっかりしてきた友里恵だが、知らないことはまだ沢山あるのだと実感させられた。


そもそもバリバリと薬局業務もこなしながら、まめに女性ヘルスケアの発信をしてる高橋夏帆という女性はどんな人なのだろう。

「会ったことない人だけれど…会ってみたいなぁ」


興味を持ったことに対して人見知りなんて理由をつけていたら何にも進まないよね…と彼女へのダイレクトメールを打つ友里恵の指は勝手に動いていた。


夏帆からの返信は早かった。

【楠木友里恵様  】

今回のイベントに参加したいとの旨、とても嬉しいです。まだまだ未熟者ではありますが、精一杯頑張ります。東京でお待ちしております。

【高橋夏帆】

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友里恵がそのイベントに参加しに行ったのは彼女とのダイレクトメールのやり取りがあって3週間後だった。

東京駅の人混みは地方の人混みと比べ物にならない。
毎日こんなお祭りみたいな人混みが交通機関に生じてると思ったら気が滅入りそうだ。

イベントブースに到着した友里恵は夏帆であろう人物に声をかけた。

「あの…高橋夏帆さんですか?」

書類に目を通していた女性はフッと顔をあげて慌てる。

「あ、初めまして、高橋です。楠木友里恵さんですよね?先日はわざわざダイレクトメールくださってありがとうございました。」

彼女はペコッと頭を下げた後、友里恵にイベント会場を案内してくれた。
展示コーナーにはタンポン、ナプキンなど生理用品が並べられている。性に関する絵本がズラッと並びイベント参加者が読めるように立て掛けてある。

「これ準備するの、結構大変なんじゃないですか?」


友里恵が展示物をじっくり眺めて夏帆に問いかけた。夏帆は苦笑いしながら返答する。

「私と少数のスタッフでやってるので正直言って大変です。でも発信していかないと世の中は変わらないし発信しなければ変わる可能性すら、ないですから」

会場には数人、スタッフであろう女性が受付やテーブル配置をしていた。
夏帆はそのまま話を続けた。

「過去に私が救えなかった女性がいたんです。それは私の力でどうにかなるものでもなかったけれど、今後その女性みたいに苦しい思いをする人は沢山いるかもしれないのに、この職業として何にもしないのは私にとって怠惰しかないです。だからこういった活動をしています」

ただ会話をしているだけなのに、気迫がこもるようなオーラを友里恵は彼女から感じた。同時に今まであった出来事を思い出した。

自分が散々悔しい思いをして退職することになったあの会社では今後も女性が上の立場に上がっていくことはないのだろう。上が変わらない限り。

「私は全く違う立場ではありますが、女性で若いからという理由で会社のポジションを与えてもらえないことがありました。SRHRという考え方、もっと世間に広まると良いですね」

友里恵は彼女にそう言って頭を下げる。
イベント開始時刻がせまっていることもあり、夏帆に礼を伝え参加者向けの席に戻る。

SNSで「高橋夏帆の女性ヘルスケアの講座は評判が良い」と言われてる理由が初めてイベントに参加した友里恵でもすぐ分かった。

説明が充実していて丁寧で分かりやすい。絵や図も上手く使用して参加者がきちんと理解出来るようにワークショップを組み込む。

他の参加者も彼女の講座に前のめりだ。

「SRHR…私もいつか広められる側ではなく広める側になれたらいいな」

友里恵はそんなことを考えながら、彼女の講座を聞いていた。

講座がひとしきり終わって、友里恵は東海の自宅に帰る前に夏帆に再度声かけにいった。

「また機会があったら講座に参加しても良いですか?」

「是非!というか一緒に活動しませんか?」

夏帆のまさかの反応に友里恵の目が見開いた。
「え…私なんかが…よろしいんですか?」

夏帆がコクリと頷いた後、彼女の口が開く。

「いつとは断定が出来ないのですが、私は近いうちに一般社団法人を設立する予定です。公共の場で薬剤師としてちゃんと声をあげられる、勉強する仲間を作って共に活動していく。そういう形で世間にこの活動を浸透させていきたい」

(私も一緒に活動してみたい)

友里恵は思った。
でもそう思ったからには、ちゃんと落とし前をつけて色々腹を決めなきゃいけないことがある。
そう、転職先も。

「お言葉嬉しいです。このSRHRという考え方はとても素晴らしいと思いますし、私自身そのお手伝いが出来たら光栄です。前向きに検討させてください」

また連絡します、と頭を下げて友里恵はその場を後にした。


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それから数日後、友里恵は船越とオンライン飲み会をすることになっていた。

画面が切り替わり、日本酒を抱えた船越の姿が映る。
どうやら先に飲んでいたようでご満悦の笑顔だ。

「友里恵さんー!元気ー?この間一緒に飲んだお酒がとても魅力的だったからさぁ、買っちゃった」

彼の手には鶴乃江酒造の会津中将が握られていた。

「私もこの間、船越さんから頂いた伊根満開を空けようと思って、これ」

友里恵は伊根満開のボトルを画面越しにチラ見せする。

「そのお酒を飲むってことは友里恵さんにとって何か心の変化があったってことだよね。話って何ー?」

船越はお猪口にトクトクとお酒を注ぎながら問いかける。

「転職活動していて内定頂いたところもあったのですが、船越さん、いや、船越先生」

友里恵がフウッと息を吸った。

「船越先生の会社に私の居場所はありますか?」

船越は一瞬虚をつかれたような顔になったが、友里恵の真剣な発言に耳を傾けた。

「面接、試験があるならキチンと受けます。ただ一旦ここでお話させてください。私は船越先生の社会的処方という考え方、地域に貢献する姿勢、とても感動しました。転職活動に当たって色々な会社とやり取りをしたけれど、どれもしっくりこなかった。私は地域に貢献しながら自分のやりたいことをやっていきたいです」

ひとしきり聞いた後、船越は安堵した様子だった。
「やりたいこと、見つかったんだね」

はい、と返事した後、友里恵は続けた。

「ある女性に出会いました。その方はSRHRという考え方を世間に広めようとしている薬剤師さんでした。私はその方のお手伝いをしたいです。ただ、船越先生の会社にもし、私を採用して頂けるのならこの活動は足枷にならないでしょうか」

船越はニッと笑って一呼吸おいてから、口を開いた。

「履歴書も出してもらうし、面接は再度行うような形になると思うけれど。もし入社することになったら、友里恵さんのやりたいことは僕は上の立場として全力で応援する。薬剤師として地域活動のお手伝いもしてもらう形になるけどね」

緊張で張りつめていた友里恵の顔がフワッと明るくなった。

「ありがとうございます。試験でも面接でも何でも受けます」

ちょっとだけ泣きそうになりながら、友里恵は平杯に注いだ伊根満開を飲んだ。
画面ごしにお酒を楽しく飲む、今後上司になるかもしれない船越と霞んで見える会津中将。

飲んだ伊根満開は旨味があるのに甘酸っぱい。
これから、もしかしたら住むかもしれない丹後の味。

どこの誰が送ってくれたのか結局分からなかった「ゆり」というお酒が、こんなにも出会いを連れてきてくれた。

鶴乃江酒造と向井酒造に友里恵は深く感謝した。



ーーーーーエピローグーーーーーーーー


「よしっ」

友里恵は最後の荷物をほどき終わって一息ついたところだった。

ちょっと汗ばむが、丹後の初夏はなんだかんだ涼しいらしい。
京都は盆地だから暑くなるという話は京都市内の話のようだ。

この日の夜は友里恵の歓迎会の予定だ。
you薬局株式会社に入社してちょうど1週間になる。 

スマートフォンの音が鳴ったと思ったら高橋夏帆からの連絡だった。


ーー 次回の講座は「生理と避妊」という内容で開催するのですが、友里恵さん関東には来れますか?もし来れるなら明日オンラインで詳細をお話したいです ーー

転職活動終了後、夏帆に連絡をして一緒に活動したいという旨を伝えた。半年後に一般社団法人開設も決まり、それに向けて活動も活発になってきている。

やりがいのある日々を過ごせているなんて感じたのは、いつぶりだろうか。

そんなことを考えながら返信し、飲み会に行く準備を進める。

今日行く居酒屋は日本酒はあるのかな。
あれから日本酒がもっと気になる存在になった。

新しい土地での出会いが楽しみだった。
お酒だけじゃなくて人との出会いも。


飲み会に行く時間になったのを確認して、友里恵は自宅となった家のドアに手をかけた。

握ったドアノブはヒンヤリと冷たかった。



ー 会津中将と大和撫子 (後編) 完 ー

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