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田舎には田舎の地獄がある

福島県に移住して6ヶ月が経過した。美味しいものは沢山あるし仕事で悩むことはあっても、それなりに楽しくやっている。
東北の気候は関東に比べて涼しめだから、私みたいな夏が苦手で暑がりの人間にとっては移住して正解だった地域かもしれない。

さて、冒頭のテーマ。実は移住する前、喜多方に住んでいる叔母に本当に移住するのか?の質問ついでに散々念を押された言葉だ。

私はその言葉の意味を当時深く考えずに移住したけれど、移住して半年が経過した今、その言葉を思い返すことがある。果たして叔母の言っていた「地獄」とはなんだったのだろう、と。

私の叔母の住んでいる地域は福島県喜多方市のはじっこで、少し行けば新潟に近い。今は統合して町扱いになったが、もともと村で山の中にある小さな集落だし閉鎖的。病院もなければ近くのコンビニまで車で20分。ましてや、車がなければ生活なんて成り立たないような場所。別にディスってる訳ではない。紛れもない事実である。

この物理的な事実を基に叔母は「地獄」と言っていたのだろうか。


聞く人によっては「そんな地域に住むなんて耐えられない。自分にとっては地獄」という意見の人もいるだろう。物理的に不便な方が住みづらいし故に生活しづらいというのが多数派の意見かもしれない。

ただ、叔母の地獄のニュアンスはそういった物理的なものではなかったように思う。私がその言葉に違和感を覚えたのは移住して3ヶ月が経過してからである。

当たり前にその土地の文化がある。
例えば私の住んでいる会津であれば会津の三泣きだとか、会津弁、あいづっこ宣言など。土地の歴史を反映していると言ってもいい形ある文化であろう。形はないが、その土地に住んでいる人の性分も文化の一部なのではないかと考えられる。

文化になじむことが出来なければせっかく移住すると選んだ地域から離れざるを得ない。精神的な村八分を味わうことになる。

それが叔母の言っていた「地獄」の正体なのではないか。

移住でよく「失敗した」というケースの大半はこの「地獄」にぶち当たり自分には合わなかったと移住地域を離れることになっているような気がする。言い方がとっても良くないが、土地のいにしえルールにはじかれて嫌な思いをしたくなければ移住する側は移住する前に土地の文化をしっかり調べるべきである。


私の場合、移住先で選んだ土地を離れたいと嫌になることはなかったが、逆に移住して気づいてしまったことがあった。考えてみたらそりゃそうだろうと冷静に突っ込むけれども私がもといた関東にも「地獄」が存在していた。

都会には都会の地獄がある。
自分がずっと気づいていなかっただけで。

色濃い競争社会が苦手だった。克服することもできなかった。
自分の生まれ育った地元の文化が私にとって「地獄」だったのかもしれない。


土地の文化が個人の認識の違いで地獄になり得る。
叔母から学んだこと。
移住前は違和感を感じなかった彼女の一言を振り返ることになったのは自分が移住先の文化に直接触れる機会があったから。

6カ月経過した今だからこそ、ゆっくり考える余裕ができたのだと思う。

ここまで読んでいただきありがとうございました。最後に。


数年前に書いた日本酒×薬剤師のnote小説ありましたね。
新しいの書こうかな。ネタはもうあがっているんだ。
下のリンクは過去作。

自分のnote活、全然出来ていなくて書かないと文章書けなくなってしまうなとも思ったのでもし書いたら読んでください。

そして、これからもよろしくお願いします。


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