見出し画像

#47 喚阿厳,Come again, コンドル

前回の答え"Come again." 83歳の病床で,『波和遊』How are youと対で書いたものだそうです.さすが川喜多半泥子,波の人ではできないユーモア.人生の終わりを迎えるときに,これほどウィットにとんだもの自分に書けるかなぁ―.

 今回は,前々回の松浦武四郎つながりで明治の建築家ジョサイア・コンドルを取り上げます.江戸時代の終わりから明治初めに武四郎さんが江戸にいた頃,ジョサイアコンドルも招かれて西洋建築を教えるために東京にいました.『がいなもん  松浦武四郎 一代 』(河合和香 著、小学館)の中では,武四郎さんとコンドルさんは河鍋暁斎を共通の知人として親しい間柄として書かれています.コンドルさんの教えを受けた辰野金吾は東京駅を設計したり,英国風の建築を日本風に取り入れる先駆けとなりました.現存するコンドルさんの建物で,私が訪れたことがあるのは二つです.

 一つは東京上野にある三菱の創始者岩崎弥太郎の邸宅です.ちょうど見学に訪れたときには,音大の学生さんの室内楽コンサートが催されていて洋風と和風の両方が残る明治の建物でゆったりとした時を過ごすことができました.ラッキーでした.

 もう一つは,三重県桑名市にある旧諸戸邸です.こちらも六華苑として一般公開されていて,コンドルさんが三重の実業家諸戸清六のために建てた洋館と和館がつながる建物です.蔵が残っていて市民ギャラリーなどに公開されていて、時々映画やドラマの撮影にも使われているようです.

 レプリカで再建されたものには三菱一号館があります.一般に公開されているので中をのぞくと,ベンチに座るコンドルさんの銅像がありました.写真だけより,やはり実物大に近い銅像があると親近感がわきました.

 コンドルさんはイギリス生まれの建築家ですが,日本人の奥さんと結婚し,日本画・日本舞踊・華道・落語と幅広く日本文化に造詣が深かったそうなので,きっと松浦武四郎さんと出会っていたなら意気投合していただろうなと思います.日本で人生を終えているので,本当に日本が好きだったんだろうなと思います.もし自分が海外で仕事をしても,終の棲家(ついのすみか)には一番好きな場所・楽な場所を選ぶだろうと思います.コンドルさんが最後を日本で過ごしたのは,きっと彼にとってよき地だったのでしょう.

”喚阿厳,コンドル”

(写真:コンドルが実施設計した東京のニコライ堂)