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Dragon Ashのストリーミング配信解禁によせて~オススメしたい15曲~

2020年2月21日(金)、メジャーデビューから23年目の記念日にDragon Ashがほぼ全曲のストリーミング配信を解禁しました。

僕は1984年生まれの35歳。この世代にとってDragon Ashというバンドは特別な存在感を持っています。

"俺は東京生まれHIP HOP育ち 悪そうなやつは大体友達"という日本のHIP  HOP史に残る名パンチラインを生み出しスマッシュヒットを記録したシングル「Grateful Days」を経てアルバム「Viva La Revolution」がリリースされた1999年は中学3年生。
そしてW杯のテーマソングとなり今でもライブアンセムとして君臨する「FANTASISTA」がリリースされた2002年は高校3年生。

僕らの世代において、Dragon Ashはヒットチャート番組での紹介も含めて彼らの音楽に触れたことが全くないっていう人は皆無なのでは?というくらいの知名度を誇っていました。

また、音楽面だけでなくファッション面でも大きな影響力を発揮していた彼ら(当時、降谷建志が「smart」を中心にファッション誌の表紙をよく飾っていた)。着用モデルやブランドを買いに原宿や代官山まで行った記憶がある人も少なくないのではないでしょうか。かくいう僕も影響受けまくりでGDCやDELUXE買いに行ってました(笑)。

そんなDragon Ashというバンドを考えるときに僕の中で真っ先に出てくる言葉は”変化”です。

ミクスチャーロックをベースにしつつもパンクロック期、HIP HOP期、ラテン期、ロック期という風にその時々で音楽性に変化をもたらしてきたとともに、バンドを構成するメンバー数も変化してきました(一方で、一度として脱退がないのが素晴らしい)。

そして、90年代末から00年代中頃まで邦楽ロックバンドシーンを牽引し続けた彼らにとって、その変化の背景にはいつも音楽に対する真摯な態度や悩みがあったように記憶しています。

これまでにもDragon AshはDL販売やストリーミングサービスでの展開も主にシングルを中心に行っていたのですが、今回のようにほぼすべてのカタログを解禁したのは初めてです。

そこで10代の頃から影響を受けまくっているDragon Ashフリークの一人として、彼らの活動期を3ターム(97年~99年、00年~09年、10年~19年)に分けて当時の状況にも簡単に触れながら隠れた(=シングルカットされていない)オススメ曲を15曲紹介します。
※当時の状況はかなり記憶に頼る部分が大きいので誤りがあればコメント等でご指摘頂けたら嬉しいです。

1. 90年代の5曲

1. チェルノブイリに悲しい雨が降る(from 「The Day dragged on」)

Dragon Ashは1996年5月、青山学院の同級生であったVo.&Gt.の降谷建志(以下、Kj)とDr.桜井誠(以下、サク)の2名にオーディションで選ばれたBa.馬場育三(以下、馬場さん)が加入する形で結成されました。その後、結成1年を待たずしてリリースされた最初のミニアルバムがこの「The Day dragged on」です。

この頃の彼らは当時流行の兆しがあったパンクロック色が非常に強い音楽性を打ち出しています。Kjのギターとボーカルは荒々しく、サクのドラミングも今と比べると明らかに力任せ・・・若さゆえの粗削りが目立つ二人のサウンドを既にいくつものバンドを渡り歩いてきた馬場さんのベースがどっしりと支える形で成立している3ピースバンドで、このミニアルバムを通して聴くとその様子がありありと伝わってきます。

その中でもこの「チェルノブイリに悲しい雨が降る」は当時18歳のKjが感じる世の中や人生に対する空虚感ややるせなさを原発事故により封鎖されたチェルノブイリを比喩に使いながら表現しています。バンドマンとしての酸いも甘いも知った今の彼では書けないであろう実感のない虚しさを綴った歌詞にも注目してみてください。

2. Public Garden(from 「Public Garden」)

「The Day dragged on」から2か月後にリリースされたのがこの「Public Garden」。前作に比べるとアコースティック要素が強くなっていたり、バンドサウンドにラップ要素を取り込んでいたりと今後のバンドとしての方向性が示され始めています。

個人的には「The Day dragged on」と「Public Garden」は表裏一体の存在で2枚合わせて1つの作品というイメージです(敢えて分けてリリースすることでバンドとしての振れ幅の大きさをアピールしたかったのだろうか)。

この作品の中で「Public Garden」を選んだのは単にアルバムタイトル曲というわけではなく、Kjが敬愛してやまないThe Smashing Pumpkins(以下、スマパン)の影響が如実に出ている楽曲だからです。ディストーションギターから始まるイントロ、かなり主張が強いベースライン、比喩を用いながら物語のように進む歌詞の世界観はまるで「Mellon Collie and the Infinite Sadness」の頃のスマパンを彷彿とさせます。

尚、この作品から約2年後の1999年、Dragon Ashはスマパンの名曲「Today」をサンプリングした代表作「Grateful Days」を生み出すわけです。

3. Cherub Rock(from 「Buzz Songs」)

デビュー年である1997年を1stアルバム「Mustang!」のリリースで終えたDragon Ashが間髪入れずに翌年11月にリリースしたのがこの「Buzz Songs」(デビューから2年足らずでシングル含め4枚も作品をリリースした彼らのハイペースっぷりには驚くばかり)。Dragon Ashファンの中では普及の名曲と名高い「陽はまたのぼりくりかえす」や「Under Age's Song」が収録されていることでもお馴染みのアルバムです。

全体を通してバンド色が強いアルバムではありますが、ジャジーな「Don't worry 'bout me」、四つ打ちパンクからレゲエに展開する「Perfect Government」など若干20歳のKjのあふれんばかりの音楽的才能を感じられます。

「Cherub Rock」は今作の中で最もHIP HOPテイストが強く、この後に本格的に始まっていくHIP HOP期の始まりを匂わせる楽曲です。イントロのドラムパターンをループさせ続けてスクラッチからメロディーを展開するあたりはHIP HOPのトラックメイキングを感じさせ、バンドサウンドとHIP HOPの歩み寄りを模索していることが感じられます。

Dragon Ashというバンドは今日に至るまで共闘やユナイトというメッセージを発信し続けているのですがこの曲の
"Gang up on Japanese pops 
 Gang up on Japanese raps
 Join hands to make a circle pinheads
 Black hand in White hand in Yellow hand"
という歌詞にもまさにそのスタンス表明そのもの。

※ちなみに前述のスマパンが1993年にリリースした「Siamese Dream」にも「Cherub Rock」という曲が収録されているので、この曲もDragon Ashが彼らをリスペクトしていたことの表れかもしれません。

4. Rock the beat(from 「Viva La Revolution」)

1999年に入りサポートメンバーであったDJ BOTSが正式加入。その後「Let yourself go, Let myself go」「Grateful Days」「I ♥HIP HOP」のリリースを経てHIP HOPサウンドに傾倒したDragon Ash。

ヒットチャートやラジオでのパワープレイも含め、それまで”好きな人は知っている”存在であったHIP HOPをお茶の間で流れる音楽まで引き上げたことは彼らの大きな功績の一つでしょう(今でこそ多くの人が評価する部分ではありますが、ZEEBRAとの共演があってなお当時のHIP HOP界隈からはどちらかというと冷えた目で見られていたこともまた事実)。

そんな名実ともに飛ぶ鳥を落とす勢いを誇っていた彼らが満を持してリリースしたのがミリオン越えを果たした「Viva La Revolution」です。アルバム前半はHIP HOP色、後半にかけてロック色が強くなるこのアルバムはジャパニーズミクスチャーロックの金字塔とも言えるアルバム。

その中でも3曲目に位置する「Rock the beat」は前半部分を最もアゲるHIP HOP曲です。バンドサウンドを後退させ印象的なフルートのリフをひたすらループ、その後ろにはHIP HOPレジェンドのLL Cool Jの「I Can't Live Without My Radio」とダウンタウンと坂本龍一が組んだ異色のユニット・GEISHA GIRLS「kick & Loud」をサンプリングしたトラックという無敵の組み合わせ。のちにひと悶着を起こすZeebraの名前がリリックにあるからなのか(?)これまでCDのみでしか聞けなかったこの曲が配信されたことが今回のストリーミング解禁で個人的に最も嬉しかったポイントでもあります。

5. Freedom of Expression(from 「Viva La Revolution」)

タイトルはその名も「表現の自由(=Freedom of Expression」)。抑え目に始まる1番からザクザクっと切り開くようなギター音をきっかけに2番から一気にロック調に切り替わります。

「Rock the beat」の時も触れましたが、シングル3作を経てミクスチャーロックとしてHIP HOPへの接近を色濃くしながらチャートでも上位に食い込み始めたDragon Ash。ただ、HIP HOP界隈から彼らへの目線は必ずしも温かいものではありませんでした。今でこそ日本のHIP HOPシーンの歴史を語るときにHIP HOPが大衆に受け入れられるきっかけを作った功労者という好意的な評価を受ける彼らですが、HIP HOP誌で言及されることはほぼなく、あっても”フェイク”というような否定的な論調だったと記憶しています。

ミクスチャーロックはロックと他音楽の融合を主としており、どの音楽との融合を色濃く反映していたかがDragon Ashの音楽性の変化につながるわけですが、この頃の彼らはHIP HOP色が強すぎた故に純血主義のロックバンドからは少し距離のある位置にいたこともまた事実です。

そのような状況を踏まえてこの曲の歌詞を読むと、バンドを取り巻く上記のような空気感を理解しつつも『それでもやりたい音楽をやっていくんだ』という決意表明の歌のように聞こえてきます。

”Rock'n' Roll it was my adolescence
 Born in fuckin' country
 Hip Hop music it's my everything to me it's like a hymn
 When I suffer in mind, l'll keep on singin' maybe 
 'cause I don't wanna lose Freedom of Expression”

”このくそったれな世界に生まれて、ロックは俺の青春だった
  HIP HOPは俺のすべて 讃美歌のようなものさ(注:Kjはクリスチャン)
  苦しいとき俺は歌い続けるだろう だって表現の自由を失いたくないから”

当時20歳にしてKjがこの気持ちを持つことができたのが、のちに起きるZeebaとの確執の際にも新たな道を模索しながら立ちあがることができたことにつながったのではないかと信じられるような一節です。

2. 00年代の5曲

1. Glory(from 「LILY OF DA VALLY」)

IKUZONEの流れるようなベースラインをバックにギターとスクラッチの緩急で彩る楽曲。HIP HOPのリリック然と脚韻や頭韻を組み合わせた歌詞は航海を比喩表現として仲間たちと共にシーンに切り込んでムーブメントを造るぞ、という気概と自信を感じ取ることができます。

この頃のKjはDragon Ashの人気はもちろんのこと、客演を通じてSugar Soul・wyolica・SBK(スケボーキング)などを次々とヒットさせ、(当時の彼女だった)MIHOのプロデュースも成功、2000年にはSBKやPENPALS、ラッパ我リヤやRIP SLYMEのメンバーと組んだジャンル横断型ユニット・TMC ALLSTARSの活動も本格化。周囲に信頼しあえる仲間を得た、まさに順風満帆の状態でした。

Dragon Ashの活動においてキーワードとなる「百合」(と百合の紋章)が頻繁に登場するようになるのもたしかこの頃。キリスト教で白百合の花言葉が「純潔」であるため穢れなく音楽に対して真摯にありたいという気持ちを込めてバンドのモチーフにしていたのかもしれません。

2. Canvas(from 「HARVEST」)

2002年後半に巻き起こったZeebraとの騒動(詳細は各自調べてもらえれば)により相当な精神的消耗を食らったDragon Ashは音源発表を行わない沈黙期間に入ります。

2001年のSteady & Co.の活動期間を除けばほぼ3~4カ月に1枚のペースで作品をリリースしていた彼らが1年以上作品を出さないのは異例にも見えました。ツアーは実施していたものの発売予定のシングルは延期が発表(メンバーが土下座するという意味深なビジュアルの広告が渋谷に出される)、ようやくリリースされた「morrow」はこれまでの楽曲たちは異なる、柔らかな音に穏やかな歌声で歌われるキリスト教の世界が色濃く映る抽象的な歌詞。これまでの共闘を呼び掛けてきた歌詞の世界観とは違い、大きな心境の変化(もしくは苦悩)があったことを読み取らずにはいられませんでした。

そしてその後にリリースされたアルバムが「HARVEST」です。高速のブレイクビーツやハウスの要素が強いトラックが目立ち、Dragon Ashというよりはnido(Kjの別名義ユニット)でやってきた音楽に近い楽曲が並びます。実際、インタビューで相当難産なアルバムであったこと、これまでDragon Ashにはバンドに合う音楽を作ってきたけれど「HARVEST」は自分のやりたい音をバンドに押し付けた部分が大きい旨を答えていることからも、当時のバンドとしては異質な作品だったことは間違いありません。

「Canvas」はアルバム終盤を飾る楽曲です。高速のドラムループとスクラッチに乗せて、傷つきながらもなお自然や四季の移ろいに身を任せながら足を前に進めようという思いが綴られています。

「HARVEST」は音数が多く複雑なリズムの楽曲が多く、また抽象度が高いことから敬遠されることもありますが、個人的には全アルバムの中でも最も優しくて暖かい1枚だと思っています。

3. Los Lobos(from 「Rio de Emocion」)

2003年の「HARVEST」以降REMIX版の発売、04年夏のシングル「shade」以外はほぼ目立ったリリースのなかったDragon Ashが再び活動を本格化させた2005年。立て続けにリリースされた「crush the window」「夕凪UNION」を聞き、多くの人々は衝撃を受けることになります。

自らの名を立てたHIP HOPから離れた彼らが次にミクスチャーロックに取り込んだのはラテンミュージックでした。約5年間続くラテン期の始まりです。

Dragon Ashの活動を語るうえで欠かすことができない事柄のひとつにフェス、特にROCK IN JAPAN FESTIVAL(以下、RIJF)との関係が挙げられます。2000年に初開催、昨年(2019年)に20周年を迎えた日本最大級の邦楽ロックフェスである「RIJF」。そのメインステージに初年度から20年連続で立ち続けている唯一のバンドがDragon Ashです。そして、彼らがラテンミュージックと接近を果たした大きな理由のひとつにフェスがありました。

Dragon Ashがデビューした年は1997年。「FUJI ROCK FESTIVAL」が初開催された年であり”フェス”という言葉自体、世の中に全く浸透していない時代でした。その後、1999年に「RISING SUN ROCK FESTIVAL」、2000年に「SUMMER SONIC」と「RIJF」が始まり、いわゆる”国内4大フェス”が出揃うことになります。

2000年代前半はフェス黎明期とも言え、ルールやマナーも含めて主催側も参加者側も手探りの状態が続いていました。僕自身は2000年から様々なフェスに参加してきましたが、この頃のフェス会場はライブハウスの延長線上のような世界観が広がっていたことを覚えています。

しかしながら、黎明期を超え音楽好きの中での認知度も高まってきた2000年代中頃からフェス会場におけるマナーやルールについて積極的な議論が交わされるようになってきます。その中でもいわゆる危険行為(モッシュやクラウドサーフ)についてはこれまでの”形式的禁止”から”実質的禁止”へと移行が始まりつつある時期でした。そして、そういったルールやマナーについて最も徹底的に向き合っていたのが「RIJF」です。

それまでのDragon Ashは「FANTASISTA」「百合の咲く場所で」に代表されるように客席のモッシュやクラウドサーフを巻き起こす曲を引っ提げてフェスのステージを盛り上げてきました。しかし、「RIJF」が徹底的にルールやマナーに向き合う以上、”RIJFの番人”ともなっていた彼ら自身も危険行為を巻き起こさずに会場を盛り上げるためにロックバンドはどう在るべきか、を徹底的に思考することになりました。

そこで辿り着いた結論が”縦揺れでなく横揺れで盛り上げよう”という思想であり、その着地点がラテンミュージックというフォーマットだったというわけです(僕自身の考察ではありますが、当時こういう内容のインタビューを読んだ記憶があります)。

そしてリリースされたアルバムが「Rio de Emocion」。その中でもこの「Los Lobos」がこのアルバムのモードを如実に表しています。ガットギターと手拍子がリズムを刻み、エレキギターの情熱的なフレーズは汗臭さすら感じます。この時期のDragon Ashはラテンミュージックの中でもフラメンコに代表されるようなスペイン音楽の要素を大いに取り込み、観客席に大きな横揺れの波を起こしていました。

4. Develop the music(from 「INDEPENDIENTE」)

「Rio de Emocion」から約2年、そしてデビューからちょうど10年目の2007年2月21日にリリースされたアルバムが「INDEPENDIENTE」です。スペイン語で”独立・自由・孤高”を意味するこのアルバムは、当時のバンドシーンにおけるDragon Ashの立ち位置を表現している作品です。

Introから繋がる形で始まる「Develop the music」は本作の製作を開始する際に最初にレコーディングした曲とのことですが、「Rio de Emocion」で接近したラテンミュージックを(特にフェス)シーンの現状を咀嚼したうえで自分たちの音楽に反映している姿が見受けられます。

爽やかなパーカッションとホイッスルで始まるイントロから始まるメロディー、楽曲の合間合間に湧き上がる掛け声はまさにサンバ。客席の横揺れを突き詰めていった結果、スペインの情熱的なラテンミュージック(前作)を踏まえつつ陽気で明るいブラジリアンミュージックの方向へ舵を切ったことが伝わってきます。

"Let your feeling flow out
 Our action and music kindle your night
 The world it's in bright"
"君の感情を湧き上がらせてくれ 
 僕らの行動と音楽が君の夜を焚きつけるんだ
 世界は輝きに満ちている"

"Develop the music into the joy"
"音楽を歓喜へ!"

これらの歌詞を読んでみても音楽をやることへの素直な喜びに溢れ、聞く人みんなと盛り上げる祝祭を想起させる言葉に満ちています。10年目にしてDragon Ashがバンドとしての自分たちの在り方について、ひとつの到達点に達したことを表現している楽曲です。

ちなみに僕個人としては、数あるDragon Ashのアルバムで全体を通して最も完成度が高くて大好きなアルバムがこの「INDEPENDIENTE」です。よかったら1曲目から通しで聞いてみてください。

5. Dear Mosh Pit(from 「FREEDOM」)

およそ5年、アルバムにして3枚を費やしたラテンミュージック期の締めくくりとなる作品が「FREEDOM」です。ジャケットのイメージからも分かるようにこれまでの歩みを踏まえつつ壁を突き抜けた明るいアルバムになっています。また、前2作に比べてラテンミュージックにバンドサウンドの色を濃く出した楽曲が多いのも本作の特徴。

「Dear Mosh Pit」は2007年にリリースされたベストアルバムに収録された「For Divers Area」と表裏一体の関係性を持ち、自分たちの音楽とフェスの現場における観客の"盛り上がり方"の関係性を試行錯誤し続けた彼らが辿り着いたゴールのような楽曲です。

BPM遅めのバンドサウンドで進行しつつホイッスルと共に一気にラテンサウンドに転換するサビの構成からは、ゆったりとした横揺れから一気にダンスになだれ込むモッシュピットの情景を思い浮かべます。

”肩を組み合おう””手を取り合おう””みんなで歌おう”というメッセージからも、揉めることなくみんなで一体感を持ちながら盛り上がろうという彼らの思いが伝わってきます。

Dragon Ashの音楽とずっと共に歩んできた”親愛なるモッシュピットたち”へ、彼らから発せられた愛情をぜひ聞いてみて下さい。

3. 10年代の5曲

1. SKY IS THE LIMIT(from 「MIXTURE」)

2010年以降のDragon Ashは活動最初期に見られたオルタナティブロックやハードコアの側面を強くしたミクスチャーロックへの”原点回帰”を図っていきます。一方でそれは単にあの頃の音ではなくこれまで通ってきたHIP HOPやラテンミュージックの要素も取り込んだ、進化したミクスチャーロックを鳴らすフェーズに入ったことの表れでもありました。

そして3枚のシングルをリリース後に満を持して発表されたアルバムが「MIXTURE」。バンド結成以来ずっと掲げてきたミクスチャーロックを初めてタイトルに掲げていることからも、自分たちの音楽に対する自信と、なによりもバンドの状態が良いバランスを保っていることが伺い知れます。

これまでDragon Ash(もしくはKj)は、フェスのステージ上でバンドとの共演は数多くあったものの、楽曲内ではHIP HOP畑のMCたちとの共演が目立っていました。

そんな中、ついにバンドシーンのミュージシャンとの楽曲共演を果たすことになったのがこの「SKY IS THE LIMIT」です。相手は盟友・10-FEETのVo.&Gt.のTAKUMA。

お互い長らくミクスチャーロックシーンを引っ張ってきたバンドであることに加えて、10-FEET自体も歌詞の中での韻踏みやフロウ感ある歌い方等HIP HOPからの影響を感じさせる楽曲が目立つこともTAKUMAとの息もぴったり。ギター音が前面に押し出されたハードコア要素が強いメロディにラップ要素の強いツインボーカルの掛け合いは必聴です。

2. The Show Must Go On & 3.Curtain Call(from 「THE FACES」)

「MIXTURE」から約3年の間をあけてリリースされたのが「THE FACES」です。この「THE FACES」リリースまでの間、バンドにとって大きな2つの変化が起きていました。

まず2011年3月11日に発生した東日本大震災が挙げられます。当時から今に至るまで多くのミュージシャンたちによる復興支援が続いていますが、特に積極的な支援を行っているのがAIR JAM世代(そしてそのフォロワー)を中心とするメロディックパンクのバンドたちです。

KjはHi-STANDARDからの音楽的影響について過去に何度かインタビューで触れているものの、震災以前には(フェス等で同日出演になるということを除いて)それらのシーンとの積極的な関わり合いを見受けられることはほぼありませんでした。

しかし、被災地にライブハウスを建てて音楽が鳴る場所を作るという「東北ライブハウス大作戦」プロジェクトが立ち上がった際には、先導して活動を行っていたTOSHI-LOW(BRAHMAN)や細美武士(ELLEGARDEN、the HIATUS、MONOEYES)に交じって弾き語りライブを行うKjの姿がありました。

最初はその二人の先輩ミュージシャンに半ば強制的に参加させられたというKjでしたが、その後も積極的に支援活動に顔を出すようになバンドとしてり石巻BLUE RESISTANCEでライブを行ったり、支援を通じて今まで関わりがあまり見えてこなかったシーンのバンドたちとも交流を行う姿を見て取れるようになってきました。

のちのインタビューでKjは、悲しみに満ちた顔ばかりの被災地の子供たちが音楽での支援を続けるうちに笑顔を取り戻していったのが嬉しかったと語っていることからも、音楽を鳴らし続けて次の世代に繋げていくことの大切さを実感した経験だったのかもしれません。

そしてもう一つの大きな変化が初期からの仲間でありメンバー最年長としてバンドを支えてきたIKUZONEとの別れです。

2012年4月21日に急性心不全のため急逝したIKUZONE。あまりにも突然の別れがメンバーに与えた影響は計り知れないものがあるでしょうし、バンドの継続すら不安視される声もありました。それでもメンバーはバンドの形を残して音を鳴らし続けることを決意し、IKUZONEと最後にレコーディングした「Run to the Sun」「Walk with the Dreams」をリリースします。

これら2つの経験から場所や時間に縛られることなく音を鳴らし続けることの重要さ、そして不変なものは決して無く形は変えながら次の世代に受け継いでいくことの大切さを実感したDragon Ashがリリースしたアルバムが「THE FACES」でした。

その中でも「The Show Must Go on」と「Curtain Call」は自分たちのバンド活動をショーに見立て、失ったものを嘆くんではなく自分の終わりが来るその時までなにがなんでもショー(=バンド)は続けていくんだという決意と、ショーを見守り続けてくれる仲間たち(=ファン)への愛情と感謝を素直に伝えています。この2曲は10年代以降のDragon Ashの活動における大きなテーマになっており、様々な場所で示され続けています。

またこの頃から、Dragon Ashは常に先頭に立ってシーンを引っ張り続けてきたこれまでの立場から後輩たちや若いファンたちにバトンを受け継いでいこうという意識の変化があったことを感じさせるような場面が見受けられるようになってきました。

ライブで「Viva La Revolution」を歌う際、歌詞の”僕ら”を”君ら”の変え、
”駆け抜けよう共にこんな時代
 塗り替えるのは君らの世代”
と歌うようになったことがその代表例です。

長い時間と多くの経験を経て、これまで多くのものを託されてきた立場から今や自分たちは託していく立場になっているという自認と決意が感じられる光景に他なりません。

4. Singin' in the Rain(from 「MAJESTIC」)

活動20周年を迎える2017年にリリースされた「MAJESTIC」。リリース時のいくつかのインタビューでKjが語っているところによれば『今までのアルバムの中で一番ラフにデモトラックを作り、メンバー各々のアレンジ(解釈)できる余地を沢山残した』とのことで、これまでの作品と比較して一番のバンドの今が表現され、楽曲によって様々な顔が見え隠れするアルバムになっています。

今作から感じられるのはDragon Ashの”新たなミクスチャーロックの構築”です。Dragon Ashはこれまでも時代時代の音楽シーンの雰囲気や状況を咀嚼し自分たちの音楽に落とし込んでミクスチャーロックに昇華させてきました。

そして20年目を迎えた彼らの新たなチャレンジは、シンセサイザーを大胆に取り入れつつ重めのバスドラムとシンガロング要素の多いコーラスで楽曲を彩るエモポップの音像を取り入れていくことにありました。世界的にロックバンド不況が叫ばれている中で善戦している数少ないジャンルであるエモポップを選択するあたりにDragon Ashのアンテナ感度の高さを感じられます。

「Singin' in the Rain」はディストーションギターとシンセサイザーのメロディーが絡み合うイントロから始まり、音数が少ないAメロ・Bメロを通って一気に使用楽器全ての音が集中するサビに突入するっていうポップエモの教科書のような楽曲です。

今までのDragon Ashの楽曲からすると全体的に聞き馴染みの良い音のバランスに仕上がっていると感じる人もいるかもしれませんが、バンドとして歩みを止めることなくまだまだ新しいことにチャレンジしていくという気概が感じられるのは20年来のファンとしては嬉しいものです。

5. A Hundred Emotions(from 「MAJESTIC」)

個人的な思いとして、Dragon Ashにおいては各アルバムの最終収録曲は絶対に名曲であるという考えがあります。Kj曰くアルバム最終曲は基本的に一番最後に製作しているとのことなので、それまでに辿ってきた生みの苦しみを全て総括したような楽曲になるからこそ温かくて優しさを感じさせるのかもしれません。

Dragon Ashは結果的に日本のメジャーシーンにHIP HOPというジャンルを浸透させるきっかけの一端を担ってそれゆえ傷つき、ロックシーンの先頭に立って国内のフェス黎明期を盛り上げ、自分たちの音楽と観客の向き合い方に真摯であった結果ラテンミュージックに辿り着く。そして仲間との別れも経験しながらロックバンドとしてのあるべき姿を求めながら原点回帰をしていく、という具合に決して平坦ではない道を歩き続けてきました。

そんな彼らが活動20年を超えてなお、

”音楽は鳴りやまない 感情はやり場がない 日々を音楽が助け出すように”

と歌い続けてくれることが、これからもきっと止まることなく試行錯誤を続けながら彼らなりのミクスチャーロックを僕らに届けてくれるのだろうという確信を持たせてくれるのです。

4. おわりに

気が付けば13,000字近い内容になってしまったのですが、20年来のファンとして見続けてきた背景も踏まえながらお気に入りの楽曲を紹介できたのではないかなと思っています。

この15曲の中にお気に入りが1曲でもあったならぜひ収録アルバムを聞いてみて下さい。最後に15曲をまとめたプレイリストを置いておきます。


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