見出し画像

ヴィーガンはただの迷惑? ”おもてなし”の行方

「困っちゃうね、そう言うの。アレルギーとかでどうしても食べられない、という訳でもないのに。”郷に入っては郷に従え”と言うしね」

ヴィーガン対応に追われ、鰹だしではなく昆布だしで提供してくれそうな蕎麦屋探しに翻弄していると、母は同情してくれた。


通訳案内士として、訪日外国人案内に携わりはや1年半。

相手の言いなりになってしまうのはやり過ぎだが、せっかく日本という国を選んでくれたのだから、出来るだけのことは尽くして満足してもらい、素敵な時間を過ごしてもらおうと努めてきた。

つまり、もてなす事、相手の顕在的ニーズを満たしてあげることを、ある意味生業としてきたわけだ。

また、私も以前一度、ヴィーガンとして日本で暮らそうと試みたことがあったからかもしれない。

相手がヴィーガンであるならば、当然その嗜好性に合わせたものを提供してあげるべきであり、ヴィーガンに限らず他の事もまた然り。

出来るだけ気持ちよく過ごしてもらうよう、その環境を整えてあげることは当然だと思ってきた。

だから、母の発言には固まってしまった。

そうか、そういう考え方もあるのだな、と。

現在私は、動植物愛護の観点もあり、ペスカタリアン寄りのフレキシタリアン(基本は魚食。だが、状況に応じては肉も食べる)として暮らしている。
なので、ヴィーガンやベジタリアンに対しては、母も一定の理解があると思っていた。

もちろん、私のことを思いやっての発言だとは理解しているが、ヴィーガンのことをそんな風に、まるでただの好き嫌いが激しい人のように捉えている節があるという事実が、なんだかショックだった。

そういえば、電話口でも同じような反応をされた。

蕎麦屋に片っ端から電話をかけ、ヴィーガン対応はできないのか聞いて回っている時だ。

「うちは代々鰹節でやっている。ヴィーガン?そんな対応はしていない。他を当たってくれ。」

パーンと突き放された。
ショックだった。

そんな風に、そこまで邪険に扱われる存在だとは。

強い使命感を持って、植物性タンパク質で生きる彼らを、私は少なくとも心から尊敬してきたし、社会的にも賞賛に値する存在だと信じてきた。

だから余計、悲しくなったのだと思う。

選りすぐりの食材と腕にプライドを持って、お店をやっているというのも分かる。

だが、そこまで頑なに拒否するのも、いかがなものだろうか。

「日本に来たのならば、魚は食べないと。本当の食文化、日本文化を理解することはできないと思うよ。」

蕎麦屋の話をなじると、母はこう私に告げた。

なるほど。
たしかに、言う通りかもしれない。

だが、いつまでもそのような姿勢、異なる文化に対して歩み寄ろうとする姿勢が全く欠如してしまっているのであれば、今後日本が移民国家として、多国籍国家として舵を切ることなど、到底不可能なのではないだろうか。

皆さんは、どう思いますか。
ヴィーガンって、一般的に見たらやっぱり迷惑な存在なのでしょうか。

ボトムアップでやっていくのには、やはり途方も無い時間がかかりそうですね、こりゃ。

#エッセイ #日記 #コラム #日常 #ライフスタイル #ガイド #インバウンド #ビジネス #フリーランス #ヴィーガン #ベジタリアン #訪日 #日本 #将来 #移民

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?