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病気で死ぬ前に、先にメンタルがやられて死ぬ。

いつも、病気に対して、深刻かつビビりだった。

37度の微熱で40度ありますみたいな顔して苦しんだり、学生の頃は予防接種を打ちまくったりしていた。

「女性は病気から立ち直るのが早い」「つらいときでもメンタルが男性より強い」という話をよく聞くが、

一方の私は「病気軟弱王日本選手権」があったら341位くらいにはなれる実力者だと思う。

そのくらい病気という概念に対して、常に恐れおののいているのだった。

大学四年生の時、私は肺気胸という肺に穴が空く病気になった。

原因は単純明快で、バイトの頑張りすぎだった。

卒業を目前に独りヨーロッパ旅行を企てていた私は、3ヶ月で40万稼ごうと、夕方から深夜まで毎日働いた。

するとある日突然、早歩きができなくなった。

青信号が点滅しているのを見て走り出し、胸の痛みに思わずその場でうずくまった。

なんだこの痛みは。

翌日もシフトが入っていたので出勤したが、その時にはもう重いジョッキが持てなくなり、階段を駆け上ったりするのが困難になった。

店長に体調が悪い胸を伝え、1日休みをもらった。

そしてしぶしぶ病院に行った私が見たものは、肺が通常の3分の1程度に小さくなったレントゲン写真だった。

「これはもう、即入院だね」

ヤブ医者で有名なおっさんだったが、ヤブでもすぐにヤバいと分かるヤバさだったようで、そのまま大病院に直行する。

するとそこでも「入院っすね」と言われ、私は最悪じゃねえか、と思った。

なぜなら、3日後に卒業試験を控えていたからだった。

3日後に退院させてもらえるのか、と先生に聞いてみると「それは無理っすね~」と無慈悲にも断られる。

いやいやでも、と食い下がっていると、条件を出された。

「今からあなたの肺の周りに溜まっている空気を抜きます。そこで、肺が大きくなったらそのまま帰宅して、卒業試験ののち手術です(肺に自活力があるという意味らしい)。大きくならなかったら、今年の卒業はあきらめてください」

私は上裸になって診察室のベッドの上に腰をかけた。その状態で、肺の周りの空気を抜く施術がはじまったのだった。

太い注射針をぶすっと、鎖骨あたりに刺された。そして、空の注射器を何度もピストン運動させて、肺の空気を抜いていった。技術がこれだけ進歩した現代日本において、なんて原始的なんだろうととても悲しくなった。

「はい、250ミリリットル。はい500ミリリットル。はい750ミリリットル」

と医師がピストン運動させるたびに、抜いた空気のリットル数を告げていく。

250ずつ増えているんだなあ、正比例してるんだなあ、と私は思った。

そして、「はい1500ミリリットル~~~」のところで意識が完全に途絶えたのだった。


意識が戻った瞬間、それまで見ていた壮大な夢の内容を私はぜんぶ忘れた。

目の前には知らない天井があった。

ものすごく具合が悪くなって、吐き気をこらえた。

「あ~気を失ったのは、朝礼のとき貧血で倒れたようなもんだから平気っすよ」

医者にそう軽いノリで言われ、なにがなんだかよく分からないままレントゲン検査へと連れていかれた。

私はまだ、さっきまで見ていた夢の内容をがんばって思い出そうとしていたが、最後まで思い出すことはできなかった。

ドキドキの検査結果なのだが、肺は見事、膨らんでいた

卒業試験が終わるまでは家で安静にし、その後即入院で手術、ということになった。


病気に対して深刻でかつビビりである私は、手術の前に、肺気胸に関する記事やブログをとにかく読み込んだ。

もはや医者より私の方が詳しいんじゃないか、というほどだった。

肺気胸の手術は基本的に任意である。なぜなら自然治癒することがほとんどだからだ。

じゃあどうして手術することに決めたかというと、自然治癒の場合再発率が高く、手術なら再発率1割程度に留めることができるからだった。

それに、飛行機内で肺気胸が再発してしまうと呼吸ができなくなり、卒業旅行どころではなくなるから、というのもあった。


肺気胸の佳境は、手術の翌日だ。夜一睡もできないほどの痛みが背中に襲うらしい。

手術の前日、私は4時間しか寝られなかった。普段12時間寝ている私からしたらもはや不眠に近かった。

当日の朝になり、手術室まで点滴をもって自力で歩いて向かう。

入口の前で、生年月日とか名前とか聞かれる。このとき、心臓はばっくばくではち切れ寸前だった。これから全身麻酔をかけられて体の中に管を入れて手術と考えると卒倒しそうになった。契約書にも「全身麻酔で死んでも責任を問うことはしない」みたいなことを書かされた。手術で2度と目覚めなかったらどうしようという不安に襲われる。

そんな不安をよそに手術台に載せられる。この時点で私は眠かった。もはや全身麻酔じゃなくて自力で寝たかった。

「はいじゃあ、麻酔いれはじめますよ~」という執刀医の声に、これが肺気胸じゃなくて生死にかかわる脳とか癌の手術だったら、もう俺泣いちゃうな、死ぬ前にメンタルが先に死ぬな、

とか色々考えていて、目を覚ましたら手術は終わっていた。

え、こんなものなのか、余裕じゃん、と手術直後は思った。


しかし苦しんだのは、6時間後の全身麻酔の副作用だった。

この副作用、女性と乗り物酔いしやすい男性に多いらしい。

私は完全に後者だった。目が覚めているのに夢を見ているみたいな変な感じに襲われ、吐き気を伴って何度も吐いた。最悪に気持ち悪かった。夜になると、ブログでしつこいくらい見た例の「強烈な背中の痛み」に襲われた。

寝がえりとか絶対できなかった。ロンギヌスの槍で刺されているような痛みだった(え)。吐くときは顔だけ横に向けてビニール袋のなかに出した。つらすぎてもはやここで殺してくれと思った。病気になると健康の大切さを知るとよくいうが、病気になるくらいなら私は人間をやめたかった。

しかし、不幸中の幸い、私は夜にはぐっすり眠ることができた。なぜなら、前日に4時間しか寝ていなかったからだった。


目を覚ますと、ツラさのピークはそこで終わっていた。気持ち悪さはなくなっていた、しかし背中の痛みは相変わらずだった。尿管カテーテルという、尿道にさす管を取り外した。これは正直、ブログで言われているほど痛くなかった。どうやら私は生まれつき尿道が広いらしかった。

肺についていたドレーンという機器も外し、とうとう私にとりついている管は点滴一本になった。だいぶ身軽になり、トイレに一人でいけるようになった。

二泊三日。背中と手術の痛みを少し残し、私は退院した。

退院する直前、私は医師に「ヨーロッパ旅行はあきらめてください」と言われたのだが、無視して決行することになった(だって社会人になったらいけないじゃん)。

病気に常におびえている私だが、そこだけは譲らなかったのだった。

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