「ふらり。」 #2 蕎麦屋のカツ丼
イマジナリーフレンドが100人いる主人公、
学文(まなふみ)のふらり、ふらり小説。
学文は南阿佐ヶ谷駅から青梅街道を新宿方面へ少しばかり歩いて一軒の蕎麦屋に入った。まだ早い時間なので店内は混んでいない。
先客はいつも新聞や雑誌の取りやすい席に座る爺さん一人だ。
学文がこれ位の時間に行くと爺さんは大体いつも同じ席で、同じように新聞を読みながら蕎麦を食っている。
学文はいつしかこの爺さんはこの店のインテリアの一つかもしれない…と思うようになっていた。
大体昔からやっているどの街でもありそうな蕎麦屋には、この手の爺さんがいるので全日本蕎麦協会連盟の昔からの取り決めなのかもしれない。
もしかすると、もっとありがたい存在で神様とかそういう類なのかもしれないし、自分にしか見えてないのかもしれない。
まあそんな事は学文には関係はないので、彼はいつものようにそこまで拘りはないのだが、空いていたのでいつもの席に座る。
(彼は気付いていないのかもしれないが、こういう事の繰り返しが蕎麦屋の神様の神事として行われた結果、先程の爺さんのように店から出る事が出来なくなりそのまま店の一部として組み込まれてしまうのかもしれない。)
学文は暑い日だったので席に座るなり生麦酒を注文した。
彼はそこまで酒の量は呑まないが酒の雰囲気は好きだった。
生麦酒はすぐに出てくる。この店は「柿ピー」をお供に付けてくれるのがちょっと嬉しい。
腰の低い店員さんに学文はカツ丼を注文する。サービスとして小さいお蕎麦が付いてくる。最近は温かいのか冷たいのか選べるようになったのも嬉しかった。この日は暑かったが、ビールによって多少暑さが払われたのと汁物代わりになるものが欲しかったので温かい蕎麦を付けて貰う事にした。
学文はポリポリと柿ピーを口に運びながらビールを飲んでいた。
街の蕎麦屋も一昔前は爺さん婆さんばかりの印象もあったが、最近はちょっと客層がまた変化しつつあるのかもしれない。
土日などは若い者の顔をチラホラと見るようになっていた。
この日も学文が麦酒をやっていると、若い者の一人客が入ってきて酒とカツ煮でやり始めた。
こういう普段遣いできる蕎麦屋を近所に知ってるとやはり何かと重宝すると思う。
チェーン店とはまた違った気楽さや手軽さがある。
そうこうしているうちに学文のテーブルに盆に乗ったカツ丼セットが運ばれていた。盆にはカツ丼と漬物、小さいお蕎麦、それにお茶が添えられていた。
学文は蕎麦屋のカツ丼が好きだった。
今までそれなりにお高めの豚カツ専門店やカツ丼が売りの定食屋等、色々なお店でカツ丼を食べてきた。
しかし彼が思うにやはりカツ丼を食べるには蕎麦屋に限る。出汁と返しが効いたカツ丼が彼は好きなのだ。
学文はカツ丼の丼(どんぶり)に目をやった。
その丼の蓋は春先の空の様な水色で梅の花が描いてあった。梅の花は彼に古里、福岡の太宰府を思い出させた。
そして彼が小さく胸をときめかせながら蓋を開けると、春を迎えた頃、久留米、筑後川沿い一面に咲いた菜の花畑の如く、暖かく黄色い美味そうなカツ丼が目に飛び込んできた。
学文は箸をとり「The Catcher in the Pork cutlet on rice」(カツ丼畑で捕まえて)」とつぶやいた。
今の彼はこの丼の中の世界で、美味いカツの捕まえ役…そういった者にしかなれないという事を理解していた。
少し気取った店なら店の空気を壊さぬように、他人の気を害さない為にもマナーに気をつけるべきである事は貧乏な学文でも多少は心得ている。
しかしここは街の蕎麦屋だ。上等な連れと来ている訳でもない。ここは気楽に好きなように食べる。
彼は好きな物を最後にとっておくタイプであった。
彼はおもむろに4等分にカットされたカツの真ん中の一切れから食べ始めた。
それは理由があってロースカツのサイド部分は甘みがある脂がたっぷり乗っている。それを最後に残しておく為であった。
学文は豚カツは脂身があるロースカツが好きであった。こういう物を好むから、まあ痩せる訳はない。実に愉快である。
この店のカツ丼はしっかりと出汁で煮て玉子でとじてあるにも関わらず、ちょっとカツのサクッとした感触も残っている事が多々ある。そういう仕上がりの場合とても嬉しく感じる。
蕎麦屋の返しのしっかりと効いた出汁が、カツとライスを深く結びつけ渾然一体とした旨さを醸し出していた。
カツを一口、ご飯を一口、カツを一口、ご飯を一口、二口…。
まるで金鉱を掘り当てた鉱夫が如く学文は夢中で丼を掘り進めていく。
そうそう、忘れてはいけない。サービスの温かいお蕎麦と漬物があるのだ。
何事も働き詰めは良くない。夢中になり過ぎては時に世界を狭くする。
学文は鉱夫が深い坑道で腰を下ろし煙草をくゆらすように漬物を口に入れ、
一日の終りに疲れを癒やす為酒を呑むように蕎麦を味わった。
そしてまた新たな気持でカツ丼へと戻る。
目の前にあるのはメインの脂身の多く乗ったサイドの一切れである。食べる場所により甘みや食感、楽しさ、嬉しさが変化していくのも豚カツの魅力の一つであろう。そのサイドの一切れは今の学文にとってまさに長年追い続けてきた金塊のような物であった。
学文はラストスパートとばかりに最後の一切れを口に入れ、味や食感を存分に楽しみつつ、カツを飲み込む前に米を口の中にかきこみ、カツ丼の醍醐味はこれだと言わんばかりにカツと米の完全調和を存分に味わったのである。
咀嚼、咀嚼…ごくり。
この瞬間いつも思うのは満足感と共に時期に襲ってくる寂しさ。
残されたのは空の丼だけである。
「人生もカツ丼も儚いものだ。」
お茶を飲みながら学文はひとり思うのであった。
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