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「ふらり。」 #6 東京

イマジナリーフレンドが100人いる主人公、
学文(まなふみ)のふらり、ふらり小説。


学文は古びた喫茶店の古びたテーブルの一角で氷の溶けかかったアイスコーヒーを一口飲んだ。

向かいに座る連れの表情は暗い。彼は東京に来てから3年が経つという。彼は東京が嫌いだという。東京の人間が嫌いという。

学文は思う。まあ合う合わないがあるのは仕方が無い。学文自体も地方出身者だ。

東京は自然も無いし、質も対して良くないのに物も高いという。

まあそういうところもあるとは学文も思う。

学文は彼に3年で東京のどこに足を運んだのか興味本位で聞いてみた。

新宿、渋谷、原宿、浅草には足を運んだという。どこも人が沢山でつまらん言う。

学文は彼は彼の言う自然に飢えているのかと思い、手軽に自然を満喫出来て文化的な香りも楽しめる高尾山を勧めてみた。

彼は行った事は無いがあんなところは東京では無いという。

なるほど…と学文は思った。

東京に何かを求めて来る人はある種の病にかかる事がある。
それは東京に「自分の東京」を求め過ぎて視野が狭くなる事である。

東京の魅力のひとつはその人の多さである。玉石混交の人の輝き、エネルギーが何百年と歴史を紬、いくつもの街を生み出し一つの都市を形成している。下町など古くから東京に住む人達がいる。その人達にとってはそこが故郷である。そしてちゃんと故郷らしい空気がある。新しい人が集まって作られた街もある。そこにはそこの空気がある。人が集まれば文化が生まれ、歴史が生まれる。そして街にあるそのエネルギーを人が再吸収して何人かは大きな才能の翼を広げる。

勿論その大きなエネルギーに当てられて人の形を保つのに苦労する人間も少なくは無い。学文もほどほど疲れる時もあった。

そういう時は神社仏閣、日本庭園などに行く事にしている。それでも駄目なら旅行にでも行く。「自分の理想郷」を他者や自分以外の物に求めるのは苦しい。

「自分の理想郷」は東京に限った事ではない。自然を求めて田舎に行く人にも言える事だ。人が思う綺麗な「自然」とは往々にして人の手が入った「自然」であり「緑」である。

本当の自然は陰鬱だったり、荒々しく人に厳しい。

東京にも実際は自然や緑も少なくない。足を伸ばせば人の手の入っていない自然もある。街中にも目を向ければ人の手が入った素晴らしく綺麗な「緑」が沢山ある。公園もある。そう山も川も海もある。そして歴史ある街がある。

暮らしに追われたり、理想の東京を求める人、東京を嫌う事で心の張りを保つ人達には中々こういった自然や文化的な物や心の穏やかになる場所を見逃しがちになってしまう。

東京は何でも高いという。

地方からいきなり出てくればそう感じるかもしれないが、大抵の場合は適正適価である。

探せば幾らでも安い場所もあるが「理想の東京」を求める病にかかった者は中々そういう場所を探す目と余裕を持っていないのは少し残念だと思う事もある。

それでももし、彼に戻る地元があり、そこに戻る事で穏やかな生活を取り戻せるのなら幸せだろうとも思う。

学文は来るもの拒まず、去る者追わずの東京の懐の深さが気に入っている。



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