「ふらり。」 #7 カレー南蛮
イマジナリーフレンドが100人いる主人公、
学文(まなふみ)のふらり、ふらり小説。
学文は夕涼みがてら、ふらっと近所の神社に水琴窟を聞きに出かけた。
水琴窟(すいきんくつ)とは江戸の頃考案された日本庭園の装飾の一つで、手水鉢(ちょうずばち)の近くの地下に設けられたている。甕(かめ)などの底に小さな穴を開けそれを逆さにして埋め、地中に空洞を作り出す。手水の余水が甕の天井から雫となって下に落ち反響する発音装置である。明治から大正を経て昭和の始めには忘れられた存在となり一度は消えかかったらしいが、昭和の終わりにメディアに取り上げられてから各地でまた設けるところが出始め現在に至るらしい。
学文はこの水琴窟を見つけると嬉しくなって、つい耳を傾けに行ってしまう。
石造りの鳥居をくぐり、本殿の方に一礼してから学文は水琴窟のある本殿左手の方に向かった。その神社は大きくはないけれど地元の人達に愛されており、普段は静かなところだが大晦日等は大変賑わうし、マメに地域行事をされていて学文も好きな場所である。
学文は頭が良くない時や心が穏やかにならない時にはこちらにお参りに来たり、水琴窟の音色で癒やされに来るのであった。たまに少し石段に腰掛けてぼーっとする事もあった。
こちらの水琴窟は地中から竹筒が伸びている。そこに耳を傾けると地中からカラン、カラン、キラン、キランといった涼し気な音色が聞こえてくる。
その音は学文の心を穏やかにし、色々な想像を膨らませてくれる。
思わず学文は「ブラジルのみなさーーーん!!」と地球の裏側にいる人達に呼びかけてみたい衝動にかられた。しないけど。
学文の心はいつまでたっても雑念に支配されているのであった。
ひとしきり水琴窟の音色を楽しんだ学文は、鳥居のところでまた一礼してからその神社を後にした。
もう少ししたら近所の蕎麦屋が開く時間である。そこで早めの夕食を食べて帰ろうと思う学文であった。
いつもの南阿佐ヶ谷の蕎麦屋に入る。
開店直後とあり、いつもの席でいつもの様に新聞を読む爺さんしかいない。
学文は席に着くと日本酒とツマミに鴨葱焼きを頼む。日本酒はすぐに来る。お通しはいつもの柿ピーである。
柿ピーをつまみつつ日本酒をちびちびとやる。日のまだ落ちぬ頃から蕎麦屋で呑む酒は美味い。鴨葱焼きは少々時間がかかる。
日本酒を呑みつつ万能電子携帯電話(スマートフォン)に入れてある文庫を読みながら緩やかな時間を過ごす。その間に若い一人客や年配の夫婦であろう二人が入って来る。
そうこうしていると鴨葱焼きが学文のテーブルへと運ばれて来た。蕎麦を揚げた物の上に香ばしく焼かれたぶつ切りの長葱と肉厚な鴨が綺麗に並べられていて、その上に刻んだ小葱が乗せられている。
学文は鴨葱焼きを食べ始める前に店員さんにカレー南蛮と車海老天、小ライスを頼んだ。
さてと、学文はよく焼かれた鴨肉を一切れ箸でつまむと一緒に付いてきた醤油ダレにちょいとつけて口に運んだ。鴨肉は程よい歯ごたえがあり肉汁が口の中に広がる。酒のつまみにも最高なのは勿論だが学文はこれで白米でも食べたら美味かろうとも思った。
次にぶつ切りの葱。これも香ばしく大変美味い。醤油ダレも良い味をしている。敷いてある揚げ蕎麦も見た目の為もあるのだろうが、食べてもポリポリとした食感が酒のツマミにもなるし、箸休めにもなってこの鴨葱焼きは隙の無い一品である。食事における食感の変化はまるで口の中で色んな楽器が鳴っているような楽しさを感じる。
学文が鴨葱焼きと日本酒をやり終わる頃、良いタイミングでカレー南蛮と車海老天、小ライスがやってきた。
ちなみに蕎麦好きならご存知だろうが、南蛮とは葱の事である。江戸時代、日本に訪れていた南蛮人が、健康維持や殺菌目的で葱を盛んに食べていたのが葱を南蛮と呼ぶ由来らしい。
学文はまずは蓮華でカレー南蛮のスープを一口。カレーのとろみに蕎麦屋の返しと出汁が効いたこれぞ日本の蕎麦屋の和風カレーという味が口に広がる。実に美味だ。
次に箸で蕎麦を引き上げる。とろみのあるカレーのスープがよく麺に絡まっている。洋服にカレーの汁が飛ばないように多少は気を使いながらも蕎麦をすする。麺の量も中々あるが食べれば食べる程食欲が湧いてくるのが分かる。また具にはカツ丼なんかにも使っているのであろう、中々肉厚な豚肉が入っていて食べごたえがある。勿論南蛮も入っていて食感と味両面で良い仕事をしている。
次に車海老の天ぷらに箸を伸ばす。カラッと揚げられていて身と衣がしっかりと一体化しているのが分かる。これがイマイチなところだと衣ばかり大きかったり、衣がフニャフニャだったり、齧った途端衣と身がバラバラなんて事も多々ある。
一口齧るとカリッとした衣の食感とともに身の詰まった車海老が口の中に幸せを運んでくれる。海老ちゃんは衣が剥がれ中身が露わになって恥ずかしい姿を見せるような事も勿論無い。
次にその車海老天をちょいとカレー南蛮のスープに浸してお化粧をしてやる。そしてまた一口。カレーソースが付いた車海老天もこれまた美味い。またこうしていると衣の天かすがカレー南蛮の汁へと落ちていく。その天かすがカレー南蛮の汁にコクを与えていくのである。
学文は夢中になってカレー南蛮と車海老天を食べ進める。まずは麺をあらかたやっつける。そして次に真打ち登場。日本人は白米である。
麺を食べ終わったカレー南蛮ではあるが、丼の中にはまだ並々とカレーの汁は残っている。また具の豚肉や葱を残しておくのも忘れていない。
〆のカレーライスである。少々品が無いかもしれないが、なあに、街の蕎麦屋だ。咎める者もいないだろう。学文は蓮華でカレースープをすくいライスの茶碗にカレー汁をかける。豚肉と葱も乗せる。
そして一気に胃の中にかきこむ。至福の時である。そしてすぐにライスの入った茶碗は空になった。
カレー汁はまだ多少残っている。学文は塩分を気にする年頃の中年である。スープを残す事も覚えた大人である。
最後に一口と蓮華でカレー汁をすくって口に入れた。
「美味い」
お茶を飲む。さっぱりする。
寂しくなってもう一口だけカレー汁をすくって飲む。
「美味い」
最後にお茶を飲む。
気になってもう一口だけカレー汁をすくって飲む。
…。
学文のテーブルには申し訳程度にカレー汁の残った丼が残されていた。過去の事は振り返らない学文である。満足して蕎麦屋を後にする。
夕暮れの南阿佐ヶ谷の中心で「南蛮TRY!!」そう誰かに叫びたくなった。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?