最近、勧誘にあって思いだしたトラウマと考えたことなど

しばしば「神様を信じてない奴は神を恐れぬ人物だから、どんな恐ろしいことをするかわからない」ということで、しばしば、無宗教・無神論が叩かれるが、それでも私は無宗教・無神論を標榜するだろう。それで結構だと思ってるから。

実際、入国管理局で無宗教の人の入国拒否をしたサウジアラビアには一生行く気はさらさらない。こちらから、願い下げというのが本当のところ。

とはいえ、なぜ、無神論・無宗教を標榜するようになったのか?ということを説明せねばならない。実はその原因が・・・。

当時、創価学会に所属していた年上の知人。「南無妙法蓮華経」のお経をやたらと勧めてきたことを覚えている。ある時に浄土宗のお寺でお葬式があった際に「南無阿弥陀仏」のお経を聴いていて、言葉は違えど、目指しているところは一緒なのかと思って、「南無阿弥陀仏」とその知人の前で唱えたら・・・「地獄に落ちるぞ」と言われた。

なぜ他の宗派のお経に難癖をつけたりするのか?全く持って理解できなかったというわけ。まあ、それで、どちらも極楽浄土に行く際に必要だと思っていたお経が片方の宗派に、けなされたことで、不信感が生じた。もしかして、極楽浄土などなくて、宗教ごとにテキトーに行っているだけではないかとね。これは私が5歳のころに考えたことだった。ここまで、はっきりとは思っていなかったけど、ぼんやりとそんな感じのことをね。

で、その後、中学に入って歴史を学び始めて、実は宗教で争いがあったりするということもあった。悪魔信仰でない限り、本来、目指すべきものは一緒のはずだが、なぜ、そうなるのか?という矛盾をより一層感じることになった。その結果、あくまで、そういったお経や聖書や経典は人間が考え出したものだと思うようになったというわけ。

ならば、神や極楽浄土を信じるのではなく、単に、宗教の創始者の考えをあくまで、「哲学」の一つとして、位置づけ、それを元に「道徳」を考えていくという路線ではだめなのか?という考えに至ったという次第。まあ、おかげで、リアルでは、宗教家とは仲が悪いけど。

もっとも、哲学というのは、まだ、専門でやったことがないので、イマイチ、どういうやり方なのか、わからないけど。なお、初詣、クリスマス、ハロウィン、ヴァレンタインデーなどに関しては、全く宗教色を感じたことはなく、あれが宗教行事だと言われても「はあっ?」という感想でしかない。確かに、ごくまれに聖書を読んだりするけど、それは、あくまで、気まぐれ。とくに、その内容に賛同したり反対することはない。

まあ、これがいいかどうかは謎だがな。それにしても、最近、ネームレスカルトとでも呼ぶべきか、自分の思考を放棄して、特定の考えに、はまるのをよく見かけることがあるな・・・。でも、それでいいのだろうかと、はた目から見ると心配になる。なぜなら・・・

その「一時的な幸せ」には消費期限があることを知っているから。いずれ、現実に直面せざるを得なくなるという経験をしたから。実際、自分の状況に合わせて、意思決定をしない、もしくは、過去の風評のみで、意思決定をしてしまうと・・・痛い目にあったりするとね。

さてと、なぜ、このようなことを考え出したかというと、実は二つ理由がある。一つは、東京都知事選の時に某政党に無条件に入れる集団がいたというのを見て、どうなのか?と思ったということ、もう一つは、むしろ、こっちが「主な原因」なのだが、街を歩いていたら、宗教勧誘にあったからだ。しかも、意図を隠して接近されたので、10数分、炎天下で、話を聴かされたから。なんだか、covid-19の出現を日蓮上人が予言していただの、中国脅威論を唱えていただの、言っていたが・・・。

まったく、何をいってるのかわからん。

恐らく、「立正安国論」の内容を曲解した結果だと思うが、とにかく、支離滅裂なことを言っていた。

だいたい、日蓮上人がいたのは、鎌倉時代で、今とは状況も全然違う。あの当時は、鎌倉幕府だし、あの時、中国大陸を支配していたのは、モンゴル族だったはず。あのような状況を今の状況と重ねるのは無理があるという者だ。

にしても、本当のところ、宗教のあるべき姿というのはよくわからんな・・・。少なくとも、特定の党の票田ではないと思いたい・・・。まあ、そうもいかないから、政治的なものと結びつくんではないかと思うけど。ロビー団体という体裁でね。とはいえ、単に神とのつながりという視点だけで語れないのか?

まあ、社会福祉の視点というのもあるのだろうけど。まあ、いずれにせよ、バランスが重要なのかもしれんな。

(後日)

もしかすると、教えを布教するうちに、だんだんと政治的な発想になっていくのかもしれない。その政治的な発想になっていく過程で、もともと、修行自体に無理があったり、不祥事を隠そうとしたりすると、それがあからさまになっていたりするのかもしれないし、元からある自然発生的な宗教と対立をする過程で、そうなるのかもしれない・・・。少なくとも、この二つを見て、そう思った。

政治的にぶつかったりする際に、果たして、どう対応すべきか?そこが考えるべきところなのだろう。

とりあえず、やれることは、本を読むことぐらいか。その本の思想に耽溺することなくね。

よろしければサポートをよろしくおねがいします。