馬鹿と感傷

「ごめん、だってキスしても怒られないと思ったから」
バイトの可愛い女の子が好いている社員。彼も彼女のこと可愛いねって言っていたけど、だったら私がキスしちゃってもきっと気持ちは変わらないでしょう?
一瞬でそんなことを考えて、自分のロマンチスト加減に嫌気がさした。好き同士だけど何も関係性が始まっていないからと言って、旧時代のメロドラマじゃあるまいし好きという気持ち一本で延々いられるわけがない。横槍を刺したらぐしゃりとつぶれてしまうことだってあるだろう。
だけど、私のこと別に好きじゃないあなただったら、一回くらいキスしても別になんともならないかなって思ったんだもん。
「なんで…」
呆然とつぶやく彼に、そりゃびっくりするよね、とちょっと笑ってしまった。
「キスしたかったの、生理前だから、ちょっとそういうことしたくなるの、わかる?」
「俺じゃなくてもよかったってこと?」
「そう、キスが出来ればよかっただけ」
我ながら自己肯定感の低いことだわと思ったのは次の瞬間抱きしめられてしまったからで、ああやっぱり自分は女なんだなと思う。相手は男で私は女。
「ねえ、あの子のこと好きなんじゃなかったの」
私でもいいなんて、ばかみたい。結局性欲も恋愛も、一定の基準を超えていれば誰でもいいんじゃないの、ねえ?
何か言いかけて唇を離した彼の胸を、彼がびっくりするくらい強く押した。
「ばかみたいだよね、こういうの、全部」
何も言えないかと思ったのに「そんなことない、君が欲しいと思ったんだ」と言われてさらに白けた。そんな子供だましみたいなこと聞きたくない。あの子が好きなだけのほうが全然いい。だって彼女が彼を思う、めんどくさくなるほど堂々巡りのピンクな気持ちを、私は毎晩聞いていたのに。
「はは、そんなの嘘じゃん、聞きたくない、黙ってキスだけしてればいいのに」
思った以上に乾いた笑い声が出てしまって、ああなんだかこれじゃ傷ついているみたいだ。
そんなこと言うなよ、と言われてじゃあなんて言えばいいのよと思う。
恋愛はめんどくさいだけど性欲だけは満たしたい、あなたはセフレにぴったりだと思ったのに、だめじゃないこんなの、しかもこれを順序立てて説明しても私はただのビッチでしょ、じゃあ女の性欲はどう処理すればいいのよ。
お前は傷ついてるんだよ、誰も選んでくれないから、だれかの特別になれていないから
頭の裏でロマンチストがささやく。五月蠅い五月蠅い五月蠅い、そんなのわかってる、黙っててよ!
そこまで考えて、耳を甘噛みされて快感に溺れた。さあ本当のお馬鹿さんは誰?

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