狂ったコンパス

「書けない。書けないよ、私もう」

小説家とか、脚本家とかそんな大層なものじゃない。私が書けないのは、ただの卒業論文だ。たった、3万2000字の、たったそれだけ。
卒業論文は、ただリサーチのまとめだけじゃ通らない。それを踏まえてそこからどんなことを見出して、それをどう問題と絡めて結論付けるのか。
わかってる。そんな簡単なことが、わたしには出来ない。

何を言っても、へえ、そういう考え方もあるんだねと言われ続けてきた。これはむしろいいほうで、ひどいときには変だよ、それ、と笑って切り捨てられる。切り捨てるくらいだったら笑ったりしないで欲しい、ただ反感を示すだけでいいのに、やるせなくなる。まるで自分自身ごと笑われているみたいで。
だから自分のことを守るために、考え方を変えた。
これは、わたしの「解釈」。「わたし」はこう「思う」だけ。あなたの言うことは、あなたがそう「思っている」だけ。それは全体の総意じゃないし、一般論かどうかはわからない。

そんな言い訳をしているのは直視するとみじめだから見ない。一般論というのは多数決で決まる、多数決で決まるということは、多くの人がそう思うということで、目の前の人がその多くの人の一部というのは確率論として可能性が高い。

だけど、卒業論文は新奇性を求められるのにみんなが納得することが必要だ。みんなが納得するのは、論理だけじゃない。感情も伴わないといけない。

わたしは、こう思う。それはこういうデータがあって、こういう理由からです。

その繰り返しなのに、どうして上手く出来ないの。パソコンに向かうたびに、断言することの恐ろしさに襲われる。自分の内側にある常識が、考え方のコンパスが、狂っているような気がして、もうどうしたらいいのかわからなくなる。普通になりたいなんてついぞ思ったことがなかったけど、普通であるという隠れ蓑を持つというのはこういう時に役に立つのだと思う。

今日も、コーヒーをノートパソコンの向こう側において私は闘っている。

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