希望なんてなくても
「何もしたくないなぁ」
とぼんやり考えながらタイピングをしていた。ここはディズニーランドホテルのロビー。オリーブ色の1人がけ用ソファーに腰掛けている。実は宿泊者ではなくても、ロビーまでは出入りが自由な事をご存知だろうか?
安らぎの場
私はよく何でもない時にここに来て、時の流れを持て余しながら天井のシャンデリアを眺めている。彫刻の曲線を目でなぞっている。丸を数えたりしている。丸が3つ重なると、ミッキーだぁ…と緩んだ顔で微笑みながら。負の感情に心が荒んでしまいそうな時、安らぎをもたらしてくれる場所だ。
通りすがりの幸せさんへ
数分前、横を通り過ぎた青年2人が戻ってきた。目が合ったが特にアクションもせず、彼らの親しげな姿を遠目に眺めた。友達同士の旅行だろうか、いいなぁ。私はこの空間に1人でいても充分満たされているが、2人だともっと満たされるのだろうか。価値を共有できることは、とても幸せな事だと日々感じる。
真ん中にある噴水の縁にちょこんと座った女性と、その姿を写真に収める男性。恋人同士だろうか、いいなぁ。写真を撮るということは、今という瞬間を永遠に残したいという願望が記される。仲睦まじく腕を組んでエレベーターに乗っていった。私もいつか、誰かの写真を眺めて懐かしい愛を思い出すのだろうか。
近くの3人がけのソファーに、赤ちゃんを抱っこする女性と杖をついた女性が並んで座り、カップアイスを食べている。親子だろうか、いいなぁ。子供、母、祖母。3世代でこの空間にいるなんて、それは奇跡であろう。家族と共に笑い、共に泣き、共に歌い、共に生きる。幸せは見渡さずともすぐ側に。まだ幼い子供の幸せを、オリーブ色のソファーからひっそりと祈っている。
大丈夫だよ
希望なんてなくても生きていけるのだとこの場所にいると分かる。分かるというより、悟るという言葉が合っているのかもしれない。
私はいつも分けてもらっているのだ。空間やその場所にいる、名を知る事のない人々から。
そのつもりがなくても人を救うことも、人に救われることもある。もちろん、逆もあるが…それでも、やっぱりこの世界は美しく思えるのだ。
ああ、視界がぼやけてきた。でも元気が出てきた、書くって良い事だな。自分の気持ちや考えが可視化されて、鉛のような重いものが軽くなっていくよう。さて、そろそろ自分の家に帰ろうかな。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
またいつか文章の中でお会いしましょう。
舞浜に帰るための貯金に回します