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海で子どもと遊びたい

海で遊びたい。

子どもたちとカヌーで沖に出たい。

放課後のみんなに会いたい。

失われてみて改めて、海に行けばみんなに会える毎日に自分がどれだけ満たされていたかに気づいた。海には、子どもが育つのに必要だと言われる「3つの間 - 時間、空間、仲間」が全部あった。そして「3つの間」は実は、大人が健やかでいるためにも大事なものだったのだ。

緊急事態宣言が発令され、「3つの密」を避けるために週末、逗子海岸にも県外からたくさんの人が訪れた。地元のみんなが毎日ビーチクリーンしている海岸にゴミが散乱する様子に心が痛んだ。同時に「バカなの?マナー守って自粛しろよ」みたいな論調にも心が痛んだ。

どちらも、ひどいよ。

私たちは、海岸まで自転車で10分ちょっとの家に暮らしている。でも、3月は毎日(本当に文字通り、毎日!)通っていた大好きな海に、4月に入ってから一度も行かないまま、1ヶ月以上を過ごしている。幸い、庭や裏山で誰にも会わずに「外時間」を過ごすことができるから、人で混み合いそうな海は自粛していた。

...いや、違う。

本当は、いつも皆と群れて遊んでいた海で、群れることができないのが逆に淋しくなるから、海に足が向かない。不要不急な会合をする輩がいないか1日に3回パトロールされている浜を見たくなくて、海に足が向かない。何より、自粛警察っていうのかな、人の行動が気になって文句を言う人の存在を感じたくなくて、海に足が向かない。

抑圧の強い社会は、いつだってスケープゴートを必要としている。「自分はこんなに頑張っているのに、あいつは」「みんながこうしているのに、あいつだけ」ってやつ。今いちばん避けたいのは、要らぬ分断を生むことなのに。

結果として、市外からの来客だけでなく、地元サーファーや早朝のビッチサッカー組、ちょっと砂遊びしたい親子など、海にいることが日常で、心身の健康に不可欠だった人たちも、海に行きづらくなってしまった。海は空いていて、開店前のドラッグストアや公園に人が溢れている。なんだかなあ。

自分で考えて自分で動くってことが、苦手なのかな。こんなこと言いながら、後ろ指さされたくなくて海に行かない自分も含めて。

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アムステルダムに暮らす友人が言っていた。「オランダの外出制限の対応は "インテリジェント・ロックダウン(知的なロックダウン)" と呼ばれている。テイクアウト以外のレストランや各施設はクローズしているけれど、フランスやベルギーのような外出禁止ではなく、ジョギングや散歩、買い物は自由にすることができる寛容な政策。公園で日なたぼっこをしている人たちもいるし、4月に入って以降サイクリングをしている人たちも目立つようになった」

政府は人々を信頼し、「一人一人が自分の現状に合った賢い距離のとりかたを自分で考えて実践してほしい」というメッセージを出している。その信頼を受け、個人もお互いの在りかたを尊重する。

そう。

自分で考えて自分で動く、ってことが、足りてない。「ステイホーム」も飛沫感染を防ぐための手段であって、目的じゃない。でも、こういうことって、平時でもよくあったよね。

よりよく生きるために、学ぶ喜びを知って欲しいだけだったはずなのに、カリキュラムをこなすのに必死な学校や、子どもの時間と思考力を奪う量の宿題。とか。

よりよい社会を作るために、税金を集めて社会に再分配するために政府があったはずなのに、議論のための議論が絶えず、今みたいな緊急時にも困っているところにお金が届かない。とか。

自分なりに考え、自分なりに動き、自分で責任をとる。そんな当たり前のことをサボった結果、手段と目的がいつの間にかすり替わっちゃう事態は、日常茶飯事だ。

今はいい機会だから、自分で感じて、自分で考えて、自分で動いてみよう。本当に会いたい人は、誰か。やりたかったことは、何か。どんな人生を生きたいと感じているか。

自分の軸は、どこにある?

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私は、家族と一緒にいることができていて、畑ができる庭があるから、半分は満たされている。これからもまずは家族を大切に、笑って、歌って、自然から食べ物を得ている喜びをつないでいたい。

そして、もう半分は、海で遊びたい。地域の子どもたちとカヌーで沖に出たい。放課後のみんなに会いたい。ここで会うみんなと一緒に、大好きな自然がずっと続くものであるように、あーだこーだ言いながら暮らしの工夫と実験を重ねていたい。

自粛期間中に深まったのは、自然の中にはやっぱり、子どもが育つのに必要だと言われる「3つの間 - 時間、空間、仲間」が全部あったんだという理解。そしてそれこそが豊さや安心感、幸せを生み出す温床だったんだという確信。

コロナを知ってしまった私たちは、ただ「元通り」には戻れない。「新しい生活様式」とか言うけど、「3密」を避けるだけじゃ足りないよ。

平時から、都会に暮らす忙しい子どもたちは(いや、大人たちも)「3つの間」を奪われてきた。幸か不幸か、外出自粛で「時間」だけは取り戻せた人が多いけれど、「時間、空間、仲間」を、みんなの当たり前として取り戻さないと。

それには、より多く、より早くと右肩上がりの成長を目指す社会のありかたそのものを何とかしないといけない。

地球の資源は有限。自然の摂理は右肩上がりじゃなくて、循環。これから必要なのは、多様性と再分配。足りていないのは、自分で考えて、自分で動く人。

寛容に循環する社会で自分らしく生きる人は、自ずと他者にも優しくなる。私はただ、その連鎖を生み出す一部でありたい。

ああ。そのために、今日も、海で子どもたちと遊びたいんだけどな。









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